マキリの幻蝶 | ナノ
マキリの幻蝶 / マキリの娘とねじれた世界
1-3



 視界からグリムが消えた途端、ユウは喉の痛みと違和感からその場に蹲った。熱風を吸い込んだ喉は熱く、じくじくと痛みを孕んだ。医者に見せないと治らない類の傷だろう事は素人のユウでもわかる。けれど、治療をと思った身体はクロウリーの言葉を思い出した途端、ぴくりとも動かなくなった。
 ーー問題を起こさないように。
 先ほど言われた言葉が耳の奥で何度も反響する。記憶の中で咎めるような黄色の双眸がユウの身体を縫い付けた。そもそも医務室の場所だってわからないし薬が効くのかどうかもわからないのだから、治療も何もなかったことに気がついて、乾いた笑いが口から漏れた。
「……大丈夫?」
 どれくらいそのままでいたのか。鐘が鳴ってからそう経ってはいないはずだが、上から降って来た声に顔を上げると、視界の隅に学園の制服が映る。絡まれて巻き込まれた後だったこともあり、ユウの背筋に嫌な汗が滲んだ。
「具合が悪いの?」
 低すぎず高すぎない中性的な声だと思った。綺麗に磨かれた靴がユウの正面へと回り込む。スラックスが汚れることも気にせず膝をつき、遠慮がちに触れられた手のぞっとする冷たさに驚いて顔を上げると、ひどく青褪めた貌がユウを見下ろしていた。綺麗と思うよりも前にその顔色の悪さに目がいく。横に並べば、きっと蹲るユウよりも悪い顔色だ。けれどそれが貴族然とした雰囲気と合間って一層昏い美貌を引き立てている。この学園にはやんごとない家柄の生徒も在籍していることを思い出したユウは即座に首を垂れた。
「すみ゛ません゛、」
 慌てて口に出した謝罪は掠れていた。深海のような瞳を瞬かせたその生徒は冷たい手でユウの喉を撫でる。触れるか触れないかのくすぐったさに首を竦めたが、その冷たさは焼けた喉には心地よかった。
「喉、どうかしたの?」
「その、喧嘩の゛流れ弾に」
「ああ、さっき銅像を燃やした新入生がいたと聞いたけど、それかな」
 それですとも言えず曖昧に笑う。
「とりあえず医務室行こうか。そのままだと辛いでしょう」


「そっか。あなたが噂の魔力のない子だったんだ。災難だったね」
 労わるように告げた先輩ーーシンヤさんは医務室にある機材でてきぱきと薬品を調合している。医務室に行ったところ、これから呼び出しがあったそうで先生はちょうど留守にするところだった。急ぎの怪我人だったユウを素早く診察した後、先輩に薬品の指示をして先生は風のように去ってしまった。
「度胸あるよね、その子。像とはいえ魔女を火炙りだなんて」
 はい、と手渡された澄んだ色の溶液を持ったままユウはから笑いを返した。偉大なる七人と呼び尊ぶ彼らの像を燃やす、という不敬以上の愚行。中世の悲劇を思い起こすそれにユウは皮肉げに口を歪めた。
「でも、喉が焼けるくらいで済んでよかったです。防ぐ術がないから、うっかりを装って火炙りにされたのが自分でもおかしくなかった」
 自分に言い聞かせるように独り言ちる。ここでの異端は魔法が使えない自分なのだから、ちゃんと気を引き締めないと。
 一息に煽った瓶からとろみのある液体が口に流れる。チリチリと痛みが走る喉に溶液の冷たさが張り付いた。魔法薬と言えば勝手に酷い味を想像していたが、ミントのように清涼感のある薬品は瞬く間に喉の熱を奪い、痛みを和らがせていく。
「一応、寝る前にも飲んでね」
「はい、先輩。親切にしていただいて、ありがとうございます」
 渡された小瓶は大切に懐へと仕舞った。


 留守番を頼まれたという先輩に頭を下げてから医務室を後にする。放課後に窓拭き百枚が待っているから、早く今日の分の掃除をしなければならなかった。
 ユウは足早に廊下を歩きながら、そっと喉を撫でた。痛みはもうない。けれど、傷が出来るという事は、■■こともできるということだ。
 心の底で芽吹いた希死念慮はゆっくりとその蔦を伸ばし広がっていく。いくら摘んでも一度根を張ったそれは決して取りきる事はできないことを、ユウはよく知っている。


20220403


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