マキリの幻蝶 | ナノ
マキリの幻蝶 / Fate/fall butterfly
scene11

十五日目
 二月十四日


 煮えたぎる闇の中で目を閉じる。きちきちと鳴く蟲の声から遠ざかるように、意識をもっと深いところへと沈ませる。そうして手放すと、地下に広がる泉の底へと落ちる意識はやがて、熱く沸る泥の海へと辿り着いた。門から注ぎ込まれる呪いはフィルター代わりを務める深夜の意識を容赦なく染めていくが、聖杯自ら叶えた呪いによって打ち消されていく。どのような目にあっても狂気に落ちない。正気を失えないという、十年前に深夜へと捧げられた祈りだ。
 思い出は走馬灯のように過ぎ去っていく。深夜が次に目を開けると、そこはもう壮麗な冬の城だった。否定される苦しみに身悶える桜によって、崩壊しつつはあるけれど。
「初めまして、当代のアインツベルン」
 慇懃に礼をとる深夜に、白い少女ーーイリヤスフィールはルビーのような目を瞬かせた。「あなたが……」ふぅん、と呟き少女の姿をした蟲をしげしげと眺める。存在はよく知っているが、こうして相対するのは初めてのことだった。アインツベルンの仇敵である老魔術師のように腐り落ちた魂ではないためか、心臓に埋め込んだモノが成せる技か、女の姿は未だ作られたように美しいままである。少女と呼べんでも差し支えない見目だ。イリヤスフィールの獲物を品定めする猫のような鋭い視線は頭からつま先まで往復すると、心臓のあたりでぴたりと止まった。
「マキリの娘。サクラの周りを飛んでいるのは見ていたけど、それが本体の姿? 随分と弄くり回されてるのね。心臓には何を埋め込んでいるのかしら」
「ーー聖女の遺髪を基にした糸を」
「そう。だから集合無意識(わたしたち)に繋がっていたのね」
 イリヤスフィールに驚きはなかった。間桐深夜が造られた正確な時期を知らないイリヤスフィールは、初めはむしろ聖杯の中身の方と縁があったのかと思っていた。けれど第三魔法の担い手であったホムンクルスのものであれば、髪の一筋であろうとそれだけで魔眼相当の魔術回路となり得る。
「それで、正装の催促にでも来たのかしら。あれは用意に手間がかかるとマキリには伝えているのだけれど」
「いいえ。もうすぐ迎えが来るようだから、伝えに来たの」
「ーーへ?」
 皮肉気に目を眇めたイリヤスフィールは、直後にその目を瞠った。
「衛宮士郎が迎えに来るから、出られる準備をしておいた方が良いわ」
「私を、逃すってこと?」
「貴女の悲願は聖杯の完成で、役目は門を開けること。けれど、相応しい器が他にいるならそれは貴女でなくとも構わない。……まして閉じろだなんて、誰も言わなかったでしょう」
 役目を手放せと唆すそれはアインツベルンの娘としての矜持を刺激する言葉だ。普段のイリヤスフィールであれば反論するだろう。これは聖杯を提供すると誓ったアインツベルンだけの役目だと。それが士郎であればお前には言われたくないと。けれどイリヤスフィールが言葉に詰まったのは、相手が間桐深夜ーーマキリの娘だったからだ。
 マキリの娘。間桐の娘であれば数多いたが、マキリの子となると目の前の青褪めた肌の少女しかいない。名を変える前の男と同じく蟲にその身を窶した少女。仇敵であり同胞であった男がとうに忘れ去った、かつて抱いた祈りを受け取った者。目的と手段がすり替わった男に対し、この娘は彼らの大願を知っている。だからこそ、マキリの娘と呼ぶに相応しいとイリヤスフィールは判断した。そこに重ねた代の隔たりなど関係ない。
「桜と私が開く門は貴方たちでは後始末ができない。だから、手を離すなら今しかない」
 マキリの聖杯が開いた門はアインツベルンの聖杯では手が出せない。間桐臓硯は同じモノを開いたつもりで違うモノを開こうとしている。それを理解しているのは初めから聖杯であったイリヤスフィールと、途中から聖杯に変えられた間桐桜だけだと思っていた。
「そっか。貴女の心臓(それ)、大聖杯由来だものね」
 深夜が小さく顎を引く。間桐深夜が考えていた手段は地下の大空洞に敷設された起動式とすり替わりオリジナル(ユスティーツァ)を回収することだが、門と通じた桜を通して確認した大聖杯は、三百年という歳月をかけて土地に根を張ってしまい魔術回路はもう引きはがせそうになかった。無理にでも手を加えれば少なくとも一帯が崩落する大災害を引き起こす。男は確かに彼女の肉体が失われユスティーツァという個体が喪われることを嘆いたが、カケラをかき集めて蘇らせたいとは願わなかった。
 それは、二人が抱いた悲願に反するものだからだ。
 男は聖杯降臨の儀式のルールを煮詰め、余分な時間などないとばかりに悲願を叶えるための研究に没頭した。全ては共に抱いた祈りのため。その献身を無駄にしないためには、人の身ではあまりにも時間が足りなかった。腐り落ちる肉体では間に合わない。ーーだから、不老不死を求めたのだ。
 けれど本当は、ただその面影を偲べたらそれでよかったのだ。余分だと切り捨てた、白い彼女を悼むための時間こそ、男に必要なものであったのだから。
「私の願いはただ一つ。後継機(あなた)を死なせないことだから」


20220328

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