マキリの幻蝶 | ナノ
マキリの幻蝶 / Fate/fall butterfly
interlude W




interlude W



 衛宮士郎がその部屋に入った時、全ては終わった後だった。
 血にぬかるんだ絨毯は歩くたびに水音を立て、すでに固まり始めた表面が重さで割れる乾いた音が混ざる。顔にかかる乱れた前髪を整えると見えた白さの目立つ男の顔は、桜とあれだけ複雑で粘つくような重たい感情を向け合っていたにしては、存外綺麗なものであった。顔以外は、士郎にはもうどこがどれだかもはや判別できなかったが。
「もう分かっておるな。誰が慎二を殺したのか」
 士郎が振り返ると、部屋の暗がりから湧き出た無数の蟲が壁を這い回り人のカタチに蠢いていた。手を出す素振りを見せない臓硯を、士郎は正面から真っ直ぐに見据えた。
「ほう。見ない振りをしていると聞いていたが、止めたようじゃな」
 臓硯は呟くように言うと、手にした杖を床に二度打ち付けた。
「いやはや、あそこまで我慢強く育ったあれを壊すのは骨が折れる。欲を言えばお主の手で裏切ってほしかったが、保険はかけておくものよ。此奴は儂も深夜もできなかったことを成し遂げた。不肖の孫と呼ぶのもこれ限りじゃな。使えぬ男ではあったが、深夜めとは違って最後にはきっちり役目を果たした」
 呵々と笑う老魔術師の歪んだ醜悪な顔。その表面の落ち窪んだ穴から見える、そこだけ生気に満ちた目が慎二へと向けられた。
「役目……? どういうことだ」
「お主にも感謝しておる。姉を与えてみたはいいが、親鳥と雛鳥にしかならんでな。何事にも耐えるだけだったあの娘に人を欲しがる欲望を教えたのは他ならぬお主自身。兄を殺し従姉(あね)を取り込んだアレは、もはや立ち止まる事などできぬ」
 この世に絶望することによって、桜に自身の影を受け入れさせる。その先にあるのは自滅だ。慎二を殺した桜が不安定な状態にあることは明白である。臓硯と戦うことは放棄して、まずは桜を探さなければ手遅れになると、士郎は怒りに凝縮する神経を深く息を吸うことで落ち着かせた。
「臓硯、桜はどこだ」
「居場所など、探すまでもなかろう。アレはアインツベルンの聖杯。そしてあの小娘が取り込んだアーチャーの魂を奪う。門に至る鍵も十分に育った。……いやはや、いささか無くすには惜しい出来ではあるが、致し方あるまい。我がマキリの悲願、第三法の再現はついに果たされる」
「このっーー」
 呵々、と老魔術師の嘲笑が響く。士郎は神経を逆撫でる耳障りなそれを振り払うように、激情のまま回路を起こす。ここで魔術を使っても、臓硯には傷一つ負わせられない事はわかりきっていた。臆病な老人は安全を確かめたどこかから屋敷を視ているのだろう。もしかすると、この屋敷にすらいないかもしれない。間桐の正統な魔術師達は、蠢く蟲に身を潜ませる事など造作もないのだ。
 封じられた腕が電気を通電したように痙攣する。走る激痛に耐え、衛宮士郎は直感のまま腕を振り上げた。ーー途端。その目に、鈍色と冷めるような青色が映り込んだ。
 熱が急速に冷えていく。血が上った頭は冷静さを取り戻し、回路を走る魔力は霧散していった。
「ライダーに、お前ーー」
 ライダーの鎖刃が壁に突き刺さる。死角から士郎へと放たれた翅刃虫は、大振りな青い翅を持つ虫が襲い貪っていた。モルフォ蝶のような見た目の虫が割れた窓ガラスから次々に侵入する。臓硯のように人のカタチを成したそれは、士郎を守るようにその前へと立ち塞がった。
「ほう、儂の前に立ち弁明もないか」苛立たしげに杖で床を叩く老魔術師の言葉に士郎は眉を寄せた。
「我が娘ともあろう者が土壇場になって怖気付きよって。今更情でも湧いたか? 心身ともに影そのものに変わり果てるところを、人のカタチを保った半端な覚醒など。だがまあ、それも時間の問題よな」
 どういうことかと声を上げようとしたその身体を、ライダーは背後から抱きかかえるようにして掴むと、その敏捷さでもって部屋から飛び出した。後を追うように分裂し、破裂する蟲が溢れるように窓からこぼれ落ちる。「おい、ライダー! あいつもーー」蟲に飲み込まれていく青白い影に向かって士郎は手を伸ばした。いつぞや釘付けられた青い目と視線が交差する。青ざめた顔に浮かぶ赤い唇が形取る言葉を理解すると、士郎は唇を噛み行き先である衛宮邸へと向けて顔を上げた。
「呵呵呵。今お主らを殺しはせん。深夜はともかく、桜を育て上げた衛宮士郎には、見事成長したアレの姿を見てもらわねばならぬからのぅ……! そうだ、急ぐが良い衛宮士郎! 桜はイリヤスフィールを捕らえれば容赦なく飲み下すぞ……!」

 冷たい風の刃は幾重にも連なって士郎の顔を叩いた。宙を切るように進むライダーの速さはあっという間に住宅街を飛び越える。跳躍を数度繰り返した先、やがて遠くに見えた鈍色の空が夜の闇に染められていく。それを見たライダーの足が一層速さを増した。
 ーー桜はあなたに任せるから。
 ああ、わかっているとも。誰に伝えるでもなく心の中で士郎は答える。
 イリヤは自分が助けると。だから半端な覚醒に留めたと。なぜ深夜がイリヤスフィールを助けるのか理由はわからないが、士郎は一瞬交差した視線でそれを理解した。間桐深夜は決して敵ではない。衛宮士郎の味方ではないが、少なくともライダーのように共闘することは可能だった。
「頼む、間に合ってくれーー!」
 だからそれを信じて、士郎は桜を引き止めに衛宮邸へと戻るのだ。桜がイリヤを連れ去る前に桜を止めるために。
 



interlude out



20220320

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