マキリの幻蝶 | ナノ
マキリの幻蝶 / マキリの娘と呪いの世界
02




「たまには魔術師らしい事をしましょう」
 岩から染み出す雪解けの水のような冷ややかさで、深夜は京都校の学生達を見下ろした。
「行きなさい」そう言うのと同時に、深夜の背後にある森の暗がりから翅刃虫が現れた。低い羽音を響かせながら、円形に囲む学生達へと突進していく。
 その中で樹上から狙撃しようとした男子生徒は、乗る枝を虫とは思えない鋭い牙と爪で抉り取られ宙に放り出された。着地をしようと体勢を整えた少年の目に地面に蠢く数多の蟲が映る。それらは今か今かと落ちる肉(男子生徒)を見上げていて、暗がりに光る無数の不気味な目のおぞましさと生理的な嫌悪から、気がつけば小さな悲鳴がこぼれていた。
「狼狽えるな!」
 リーダーを務める男の叱責が飛ぶ。低空を飛び交う虫の影に潜み、いつの間にか地面にも虫が這っていた。一瞬のうちに立場は逆転していた。獲物を取り囲んでいた猟犬のつもりでいたが、囲まれていた獲物だったのは自分たちだったのだと気付いた頃にはもう遅かった。
 式神であれば呪力でわかる。けれど、今この場にいる虫からは呪力を感じられない。呪力で動いているモノではないのだろう。ではこの虫はなんなのか。得体の知れない未知への恐怖と形態そのものの嫌悪に思考が凍りついた。
 精神の揺らぎを感じ取った深夜が笑みを浮かべる。その表情には獲物を甚振る愉悦が滲んでいた。
「Es trifft(声は満ちる)ーーMeine blut dringt(私の翅は) in die erde ein(地を覆う)」
 とどめとばかりに、囁くような声で、けれど歌うように軽やかに深夜が魔術を紡いだ。途端、森の薄闇が深く、昏く、濃さを増す。空は帳が降りたかのように夜へと変わり、辺りに濃密な呪力が満ちていく。
 それは、人の身では毒になりかねない濃度だった。まるで海で溺れたかのような錯覚に、一人の学生が膝をついた。天が逆づいたような息苦しさと言い知れぬ恐怖に怖気が走る。
「ひっ」
 展開した術式は領域展開で結界内に取り込まれた時同様に次々と無効化されていた。
「ーーSturz.(落ちよ)」
 ぱりん、と何かが割れる軽い音が響いた。ぱりん、ぱりん、と音は続き、深夜達学生がいる広場に近づいてくる。「街灯、が」誰かの震え声が風にかき消される。その声で、ふと、左右に髪を緩く縛った少女は気がついた。山奥に通っている誘蛾灯やら誘導灯やらが割れ、周囲から暗闇が迫りくる。
 木々の影が落ち暗く染まった地面がぼこぼこと沸騰したように沸き立つ。
「あ……」呆然と吐き出された声は暗闇に吸い込まれた。まるで、影が飛び立つように暗闇が一斉に羽ばたくと、学生達を覆い飛び越え、森の暗闇を駆けた。影の蟲が刃となり木々を切り裂いていく。それらから身を守るように地に伏せた学生の肌を汗が伝う。
 禅院家の相伝術式を思わせる、自身の影を媒介にした蟲の式神召喚。もしくは影を媒体とした構築術式。
 ーーとでも、思っているのでしょう。
 深夜は薄く笑みを浮かべた。世界軸を越えたとしても、間桐深夜は聖杯に由来する呪い(祈り)がかけられている。その心臓は大聖杯の起動式となったホムンクルスの一部が編み込まれ、因果の逆転により大聖杯と繋がった深夜もまた、後天的に変貌した器であり門である。
 聖杯の呪いが有効という事は、深夜からも接続が可能という事だ。それが本当に間桐深夜の知る聖杯からなのか、この世界にもある聖杯という概念と繋がった結果なのかはわからないが。
 だが、門を通し組み上げた魔力は呪いに汚染されたモノだった。それも殺すことに特化している、こちら風に言うならば呪力と似て非なるモノだ。だから呪術と誤認した。否、本来神秘を起こすという点において呪術と魔術に違いはない。そもそも、呪力と魔力はエネルギーとしての方向性が異なっているだけで、人から生まれるものであれば同じものであるはずだ。呪力のあり方としては自身から生み出されるオドに近い。ただ、感情から生まれる呪力は負の指向性を。生命力からなる魔力は正の指向性を持っている。開示することでより効力を発揮する呪術に対し、魔術は秘匿することで神秘を深める。
 エネルギーとして考えれば同じ効果をもたらす同一のモノだが、そうと認識できない以上、彼らに間桐深夜の術が呪術なのかそうではないモノなのか区別がつく事はない。無事に逃げ切れたとて残り時間いっぱい、森の中にいる全ての生き物を疑い、怯え、神経をすり減らしていくだけだ。
「この地はこれと相性が良いの。あなた達、来たのが私でよかったわね。彼女ならきっと一時間で完食していたでしょう」
 深夜の操る蟲と影は異なるモノだが、それも情報を開示しない以上、六眼を持つ五条悟以外に気づく人間はいないだろう。魔術属性も桜に吸収され、再度肉体を構築した結果、桜と同じものへと変貌していた。そのことに気がついたのは、こちらに来てからだったが。
「ーーさぁ、ご飯の時間よ」
 うっそりと嗤う青褪めた死人のような色をした少女が、彼らが見た最後の景色だった。

 失神した生徒を見下ろし、深夜はぺろりと唇を舐めた。呪力と共に適当に記憶も抜いている。舌が痺れる甘美さはないが、特段不味くもなかった。
「怖がらせ過ぎたかしら」
 冷えた声は彼らの耳に届くことなく葉擦れの音に紛れ風に消えていく。
 影はもう引いていた。森は明るさを取り戻し、以前と変わらず鬱蒼としている。再開した通信に電波の悪い振りをして答えると、深夜は学生達を振り返る事なく交流会へと戻っていった。


20220404

- 36 -

|
[戻る]




×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -