マキリの幻蝶 / Fate/fall butterfly
scene06
十 二 日 目
二月十一日
お腹が空いたと笑う子供に手を引かれ、夜の新都へと足を伸ばす。どろりと溶けた輪郭は宙を舞う翅へと変わり、ごうごうと進む子供の周囲を飛び交いながらその身を餌にならないモノの目から隠していた。
けれど飼育箱から抜け出した子供は酷く上機嫌で、そんな翅蟲の気遣いなんて気付かない。捕まえた餌を千切っては差し出し、呑気におやつと歌っている。
離乳食のようにすり潰していた餌は今や立派に卒業し、そのままのカタチで丸ごと取り込んでいた。心も身体も余さず溶かす。その過程で壊す無駄はもうなくなったのだが、きっと子供はままごとのつもりなのだろう。嬉しそうに飴玉に似せた肉色の欠片を差し出してくる。
それを受け取り食みながら、蟲もまた踊るように翅を閃かせる。子供が嬉しいと、深夜も嬉しくなった。
なにせ子供に集る虫供は、変わり果てた聖女の面影から作り上げたモノだから。
彼女の欠片が喜んでいる。
汚れた彼女が歌っている。
ゴーゴー。ゴーゴー。
笑う子供と歌いながら、深夜は餌を手に路地を歩く。気分はさながらピクニックだ。丸い目玉はしゅわしゅわ弾けるソーダの飴玉のようで、ぶちぷちとした食感はおやつにもちょうどいい。そうして、今度はソーセージの指をつまみ食いした頬を突いているとーー
不意に、翅蟲がざわめいた。不自然に空気が張り詰める。
「精が出るな」
「ーーぇ?」
きょとりとした子供が外を見る。暗い路地の外側では、黄金を溶かした金の髪と血よりも濃い赤い眼が、深夜と子供を覗き見ていた。
「選別は我の手で行う。適合し過ぎた己が身を呪うがいい。……だからあの時、馴染む前に死んでおけと言ったのだ」
愉悦と僅かな憐憫の浮かんだ眼差しに、虚ろな目をした子供が手を伸ばす。その黄金の輝きを知っているから、やめなさいと、深夜は嗜めるようにその指先に翅を下ろした。
「きらきら、きれいーー」
それでも、一際輝くそれへと桜が手を伸ばす。途端、波打つ宙から射出された黄金の剣は生温い路地裏の空気を裂き、真っ直ぐに生白い首へと吸い込まれた。
「あーー」桜が声をあげた。それよりも早く、辺りを付き添うように舞っていた蟲が迫る黄金の剣の前へ躍り出る。桜を庇うように翅を広げた蟲は青く明滅すると輝きを増し、その光は紋様を描きながら宙へと伸び結界を展開した。結界越しの子供の像がぶれる。結界内は水が満ちた水面のように揺らぎ輪郭を曖昧にさせていく。
「ふん。羽虫風情が無駄なことをーー」
結界は水よりも簡単にその切っ先を通した。波紋を揺らしながら通過していく剣は黄金の英雄王の狙い通り、けれど首ではなく肩を貫き、細く白い腕を切り離した。続いて射出された宝剣も狙った角度からずれ、太腿や腰、足を掠めて後方へと突き刺さる。
魔力で編まれた宝剣を光に見立てた深夜の魔術だった。
「あ、れ……?」
自衛のためと教わった、何度も見たことのある魔術に、骨の髄まで染み込んだナニカが桜の意識を叩いた。途端、身体中に痛みが走る。耐え難い痛みは夢に沈んだ精神にも届き、次第にはっきりと意識が浮上していく。
「まだ息があるのか。そこまで馴染めば楽には死ねまい」
「あ、ああ……や、だ……せん、ぱい」
夢のはずなのに。自分じゃないはずなのに。あれ、あれ、あれ。
覚醒した桜の意識が悲鳴を上げた。
噴き出した血が白いワンピースを黒く染め上げる。剣の衝撃に倒れた桜は溺れる蟲のように血の海を掻き手を伸ばした。苦し気に喘ぎながら、肉を再構築するための魔力を求めて盲目のように辺りを探る。
死体に集る蟲のように、血濡れてずたずたになった桜の身体へと深夜の蟲が舞い降りた。肉体の再構築にブーストがかかるが、宥めるように与えられる魔力では到底足りない。より空腹を感じた身体が声を上げる。
「は、ぐ……」
音を頼りに夜の中へと手を伸ばす。「貴様、よもやそこまーー」
うるさく響くから、ぱくりと口に放り込まれるのです。もぐもぐ咀嚼する桜を、くすくすと、底から浮かんだ子供が笑った。
一緒に口に放り込んだ蟲がぷちぷちと潰れて魔力へと還元されていく。
「いたい。少ないから、まだ治らないんだ」
耐え難い空腹に、桜は自らの意志で、飼育箱へと歩き出した。
20220212
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