マキリの幻蝶 | ナノ
マキリの幻蝶 / Fate/fall butterfly
scene04

八 日 目
 二月七日



 衛宮士郎が柳洞寺への調査へ向かった頃。深山町の丘を上った先にある、陰気な雰囲気の洋館の門前に遠坂凛は立っていた。一歩踏み込むごとに蟲の声は大きくなり、纏わりつくような水気が肌を舐める。
 今回の訪問は同じ魔導の同胞としてや、交流を閉ざしたかつての盟友としてではない。聖杯を敷く冬木の管理者として、今一度背筋を伸ばす。凛は一刻も早く、臓硯とあの影との関係性をはっきりとさせる必要があった。あの影は聖杯戦争に害を成すモノだ。ライダーを失い敗退を明言したというのに、キャスターの亡骸を再利用までした臓硯もまた、此度の聖杯戦争の外敵である。
 聖杯戦争の御三家である遠坂と間桐は、同じ地に根ざしながらも互いに不可侵とする盟約を交わしている。亡き父、時臣からも間桐とは関わらないよう言い聞かされていた。ーーそれでもかつては、一人だけ例外がいたが。
 遠い記憶にある懐かしい思い出が蘇りそうになり、頭を振る。
「行くわよ、アーチャー」
 傍に控える赤い弓兵へと声をかける。わざわざ口に出したのは、自分に言い聞かせるためだ。凛が父との約束を破るのは、これが初めてのことである。深呼吸をして緊張に力んだ体へ酸素を送る。そうして数回繰り返した後、呼び鈴も押さずに魔術施錠を力技で破壊すると、凛は勢いのまま重厚な扉を開けて「ーー待て、凛!」
 回路を通じたアーチャーの静止に足が止まる前に、凛の目の前で青い光が閃いた。「あ、なたは」驚きで言葉が詰まる。
 衰退したマキリに残された、臓硯の血が流れる最後の魔術師。前回の聖杯戦争の生き残りにして、参加していたならば最後に衝突するであろうと思っていた一人である。その人形じみた白く美しい貌の女は、まるで待ち侘びた来客がようやく訪れたかのように凛を出迎えた。
「間桐深夜ーー!」
「御機嫌よう、遠坂のご当主」
 臓硯の人形と称されるその女の周囲では、腐肉を貪る、夢のように美しい青い蝶が舞っていた。



 地下にあるという修練場へ行くのに二階へと案内される。霊体化したアーチャー曰く、二階の間取りに不自然な空白があり、そこが地下への入り口に繋がっているのではとのことだった。
 場合によっては一戦構えるつもりでいた凛は、あっさりと通されたことに怪訝な顔をする。感情の見えない無表情は意思のない精巧な人形を見ているようで気味が悪かった。
「ずいぶん素直ね。いいのかしら? マキリの神秘を盗んでしまうかもしれないのに」
「不可侵の盟約はあれど、盟友である遠坂を拒む理由はない」
 一見するとただの壁だ。魔術が組み込まれた扉は主人を歓迎するようにその形を変えていく。手をかざすなんてこともしない。
 開かれた扉の先、足が竦むような暗闇から生臭い湿った風が吹き上がってきた。苔生した石レンガの階段とそこに這う小さな蟲が川の下水管を思わせる。ゆっくりと石畳を下りていく。薄闇の奥からきちきちと鳴る蟲の音が聞こえた。今は好意的でも、立っている場所は敵陣本家の魔術工房という相手に有利な場だ。今の凛には傍のアーチャーだけが頼りだった。
 石畳の下は、周囲を無数に開いた穴で覆われた空間が広がっていた。地下墓所だ、と感覚的に思う。うぞうぞと夥しい数の蟲が石壁を覆い、暗闇を這い回り蠢いている。
「ようこそ。ここがマキリの修練場よ」
 振り向いた人形が舞台役者のごとく両手を広げた。途端に個として蠢く蟲たちが軍隊と化す。壁に、天井に、棺の奥に、潜み歯を鳴らしていた蟲たちが最下層へと集っていく。それは地で泳ぐ鰯の群れのようで、沼のようだった。濡れた体を照らしながら地を泳ぐ蟲のプール。「ここがーー」愕然とした表情で凛が声を漏らした。くらくらと目眩がする。生理的な嫌悪はもちろん。けれど、彼女が声を震わせたのは、激しい怒りだった。
「なんなのよ、これ。これが間桐の、マキリの修練場ですって? これが、こんなものがっ……」
 十一年前に別れた妹の顔は、どんな顔をしていたのか、忘れたことは一度もない。きっと幸せに暮らしているのだろうと思っていた。子供ができない後継者の代わりに、母として、次代の魔術師として間桐に貰われていった妹。さぞかし大切にされているのだろうと。
「マキリの魔術の継承方法は、蟲に嬲られながらその術を身体に刻むこと。女であれば同時に胎も育てる。血統操作が上手くいくよう、馴染ませるの。それは外から来た娘も同じ。むしろ、外から来たからこそ、より調整する必要がある。桜が変質していたのはそのせい」
 あまりにも愚鈍で無駄な方法。けれど、間桐はそうして何代も血を重ね魔術を繋いできたのだ。自分たちが合わせることで、蟲たちの統率をして来た。
 腐った水の臭いが立ち込める。先ほどからする濡れた音に、凛はようやく蟲達が食事をしていたことに気がついた。散乱する生き物だった跡に、ついに凛は耐えきれずに嘔吐した。それを無感動に見下ろす間桐の人形が、ハンカチを差し出す。
「遠坂凛。ここに沈んでから三日間、あの子はお姉ちゃんを呼んでいた」
 もっと早くに来るべきだった。こんな石櫃で十年も耐え抜いた誰かへの後悔を笑うように、蟲はきちきちと歯を鳴らしていた。





20220107

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