マキリの幻蝶 | ナノ
マキリの幻蝶 / マキリの娘と呪いの世界



 入学にはまだ早い、春の足音すら聞こえない二月のある日。目の前に立つ少女の頭の先から足までを眺めると、なるほどこれが秘蔵っ子かと、五条は歯噛みした。
 思わず背けたくなるその色に、五条は腐り粘着く血液を思い浮かべた。呪力無き者に人権はない腐った世界であるが、どのような仕打ちをされればこれが出来上がるのか。いっそ浜辺に打ち捨てられた魚の方がマシだと思った。
 まだ十五の年ということを考慮しても、遠慮も配慮もしない五条だが、さすがに初対面で、それも大人や腐ったミカン達の汚い欲抜きの、何も仕組まれていない偶然で面会したおそらく年下の少女相手に気を使う程度の教育はされている。
 少女のことは、五条は前から一方的に知っていた。大嫌いな腐ったみかんがどうやって殺そうか思案しているのを聞いていたからだ。少女は五条の祖父の代にいた、呪術界を追放されたも同然の老呪術師、芦原と名乗る男が引き取ったとされる子供である。老術師の男は三百年前は御三家に並ぶほどに、栄華を極めたとされる一族だったが、その男は血統を重んじる呪術の世界では異端であった。五条が思うに、最先端を行きすぎた。呪力の無い者にも門戸を開き過ぎ、結果一族は衰退したとされている。ーー表向きは。
 闇より昏い、虚ろな双眸が五条を見上げている。六眼を通した印象と食い違うそれに吐き気を覚えた。全身に刻まれた術式のような紋様が蠢いている。
 確認をしようにも、何もわからないという答えしかわからなかった。呪霊ではないが、人間でもない。先祖に交じり物がいるとかの次元でもない。五条の美しく輝く六眼には、少女は数多の呪いを孕み抱え込んだ呪いの人形のように見えていた。それは、生まれて初めて見た人の枠から半分外れた推定・人間だった。
「あー……お前、名前は?」
「……深夜」
 思っていたより落ち着いた、少し低い声。
 泥のように黒く濁った目は何も映すことはない。けれど、六眼を通さずに見た視界では、確かに瞬いたように見えた気がした。




 襲撃者達は深夜にとっては羽虫と変わらない。翅をいで水に落としてしまえばこれこの通り、元の静寂が戻ってくる。だからいくら来ようが変わらない、というわけでもなく、そう間を置かず騒がれるのはそらはそれで耳障りだった。
 
 哨戒に当らせていた蟲が俄かに騒めく。
 先程まではすぐさま泥から生まれた蟲達が絡め取っていたが、どうにも敵意がないのかのんびりとしていて、さらに同類なのか気配も薄い。
「呵々、あの老いぼれ共の顔でも拝む方が先だったようじゃな」
 淡く光る蝶がその来訪者の足元を照らすように瞬いた。
 暗がりから現れたのは、落ち窪んだ目の奥を光らせた老獪な老人だった。蟲達が襲撃者を貪る様子を見ても驚きもしないどころか、もっと食えとばかりに散らばった部品を拾い、蟲に差し出している。
 どこかマキリの老人を思わせる容貌と仕草に、親近感を抱いた深夜の警戒が僅かに緩んだ。
「これだけの数の使い魔、上手く躾けてある。知性も僅かにあるようじゃな。いくら一級と言えど、数には勝てんか」
 老爺は独り言のように呟き、少女の足元に広がる召喚陣を見た。
 もはや基盤は崩れ血で洗い流されているが、僅かに残った陣は精緻なもので、それぞれが複雑に絡み合っている。見ただけでも消去、退去、それから召喚の陣が。それを中心とし囲うように別の陣の跡が六つ。立地と欠片の解析から推測するに、土地の霊脈へ接続した召喚を試みたのか。自分が持てる全てを対価とした、文字通り生命を賭した召喚だったのだろう。
 呪詛師へと身を落とさせられた弟子の顔を思い浮かべ、老爺は僅かに口角を上げた。生まれは名のある降霊術師の家だった。上層部の老いぼれ共は成果だけを回収するために術師を派遣したのだろう。けれど、それが間違いだった。西洋呪術と東洋呪術の融合。弟子は、この世全ての呪いを祓う万能の呪具を求めていた。
 招び出した道具がモノの形をしているとは限らない。その可能性に至らなかったことが、耄碌した老いぼれどもの敗因だ。少女を起点として広がる泥は、先端へと行くほどに蠢きながら蟲のカタチへと成っていく。老人が遠見で視ていた、術師を飲み込んだ黒い泥だ。
 悍ましい呪力。このモノは、あらゆる呪いを凌駕するだろう。
 命令を待つ絡繰のように、殺すでもなくじっと老人を見下ろす少女の、赤い雷の散る美しい青と目を合わせた。
「さて。お主、どこまでわかっておる」
 老爺の問いに、少女はゆるりと首を振った。
「喚ばれたことは。目的は知らない」
 少女が告げると、地から湧くように溢れた蟲達の中から死体が現れる。ミイラのように干からびていて、かつての面影は見る影も無い。けれど自分が、手塩にかけて育てた弟子を間違えるわけがない。今にも叫びだしそうな顔のそれは、間違いなく老人の弟子だった。
 召喚された直後から術者を殺そうとする術式もあるのだ。もうとっくに腹の中だと思っていただけに、老人の目頭が俄に熱くなる。同時に、対話をするだけの理性と知性がある目の前のモノへの警戒も高まっていく。
「この人に喚ばれた。マスターが死んだから私(サーヴァント)は還るはずなのに、いつまでも戻れないの」
 術者が死んだら召喚式は退去となる。それがわかっているのであれば少女もまた、こちら側に属するモノだったのだろう。
「貴方達は、代行者や魔術師じゃないの?」
「ふむ、それは欧州の術師の呼び名か?」
 青い目を瞬かせて、少女は首を傾げた。何か認識の齟齬があるようだ。
「我らは呪術師。お主を襲ったのも呪術師じゃが、まぁ我らも一枚岩ではないゆえな。その男のことは、敵対する者として呪詛師と呼んでおる。……行くところが無ければ、儂の元に来んか。少なくとも、羽虫を寄越した上の老いぼれ共よりは、餌の用意には困らせんぞ」
 にたりと口を歪め老獪な笑みを浮かべた老爺は、小枝のように節くれだった手を少女へと伸ばした。




20220102

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