マキリの幻蝶 | ナノ
マキリの幻蝶 / マキリの娘と魔法学校
7ー4



 次に深夜が目を開けると、そこは崩れた岩でもなく、石造りの重厚な天井でもなく、白い塗装が所々で剥がれたレンガ造りの高い天井だった。少し視線を落とせば、四方を囲む淡い色のカーテンに忙しなく動く人影が映っている。ーー見慣れたホグワーツの医務室だ。
 助かった、と思うと同時に指先を包む温もりが無いことに気がついた。首を動かそうと身を捩ると、長く無理な姿勢でいた影響で凝り固まった体が軋んだ。ぎしぎしと寝台を鳴らしながらから起き上がると、その音に気がついたのか、カーテンに濃い影が浮かび隙間から見知った顔が現れた。血の痕も影も見当たらない輝くブロンドが揺れる。
 無事な姿に、あぁ良かったと安堵する。

「マル、フォイ」

 目を見開いた少年が「先輩!」と声を上げ深夜が横たわるベッドへと距離を詰めた。理知的なアイスブルーの目が水を張ったように潤んでいる。
 無事を喜ぶ言葉は音にならなかった。あまりにも酷く掠れた声に、マルフォイはサイドテーブルに置いてあった水差しを差し出す。「先輩、丸二日眠っていたんですよ」そう言われて口に含んだ水は、甘露のように甘いどころか、薬湯そのものの苦さだった。飲み干したそばから、胃が煮え湯を飲んだように熱くなる。
 常の無表情を歪めた深夜に、マルフォイは悪戯が成功した子供のようにくふくふと笑みを浮かべた。

「先輩の水差しには体温維持の薬が入ってます。リドル先輩はなんともないのに、酷い低体温だったんですよ」

 そう説明された時には、既に熱は全身へと広がっていた。魔力が全身に漲っている時と似て、指先から足先までが軽い。ベッドから足を下ろすと、魔法で温められた生温い風が足を撫でた。「ーー先輩」立ち上がりかけた深夜をマルフォイが引き留める。ただ後ろ手に立っているだけなのに、その声には視線を逸らすだけの力があった。一部の貴族階級が持つ無意識の魅了(チャーム)である。こういう時、深夜は彼らを時代の異なる貴族だと再確認する。かつて足を踏み入れたことのある時計塔を思い起こす、うなじが僅かに痺れる緊張感。

「後から同じ話を聞くと思いますが、先に私から話しておきます」

 そう前置きをして、マルフォイは退避してから深夜が寝ている間のことを語った。
 二階女子トイレから人のいる広間へと駆け込んだマルフォイは、自身が害したと疑われることを懸念していたものの、直後の爆発音で何らかの事故に巻き込まれたと判断した校長により保護され二人とも医務室へと運び込まれた。
 けれど、治療を終えたのはマルフォイ一人。ハッフルパフの生徒は、既に蘇生が困難だったそうだ。聞けば失血と蜘蛛の消化液により体内組織が溶け出していたという。
 その後、崩れた岩の前で座り込むブラック達を救助した。教授数人と城にいる僕妖精の手を借り、埋もれたリドルと深夜を見つけたのもそのすぐ後になる。

「リドル先輩もすでに退院して事後処理の調査を受けています。勇敢にも立ち向かったと、スラグホーン教授が嬉々として担当者になりましたよ。それから、ブラック先輩方ですが、そちらも回復しています。過剰摂取すると仮死状態になる麻痺毒があるらしく、一連の事件も蜘蛛の仕業だったと、昨日教授達から連絡がありました」

 深夜は「そう」と短く返事を返した。スリザリンの寮監であるスラグホーン教授であれば、悪いようにはしないだろう。それよりも、深夜は気がかりなことがあった。声を潜め「蜘蛛は?」と問う。

「崩落した天井を撤去したところ、圧死した状態で見つかっています。生物学の教授が調べた結果、アクロマンチュラという種の蜘蛛でした」
「アクロマンチュラ?」
「本来は東南アジアに生息する蜘蛛です。まだ若い雄の個体だったようで、荷物に紛れたのではと」
「荷物に、ね」

 マルフォイは口元に笑みを浮かべたまま「はい」と答えた。戦争の物資補給で東南アジアからの貨物がイギリスにあったらしく、教師陣達はそこに紛れていたと判断したそうだ。この件は魔法生物規制管理部へと報告されたが、魔法省は現在、魔法族徴兵の要請を避けることに注力しているため、対応は期待できない。また、当の蜘蛛が死んだこともあり事件は有耶無耶のまま終わるだろう。
 深夜は一つ息を吐き立ち上がると、サイドテーブルに置かれた杖を掴みカーテンから出た。眠っていただけで、既に身体は問題なく機能している。魔力回路にも瑕疵は生じていない。忙しく間仕切りの間を行き来するマダムに礼を告げると、まだしばらく休んでいるようにと呼び止められる。それを深夜を違う生徒と誤認するという暗示で返すと、ぼんやりとした顔のマダムが「健康なら早く戻りなさい。今日は怪我人が多いのですから」と呟きながら並ぶベッドの巡察へと戻った。

「では御機嫌よう、マダム」

 優雅に礼をして見せた深夜が足早に医務室から立ち去る後ろを、付き従うようにマルフォイが続く。早歩きだった足はやがて廊下を蹴り進むまでになった。病み上がりとは思えない速度にマルフォイは困惑の表情を浮かべる。「先輩、どこにーー」「リドルのところへ」深夜は息を弾ませることなく一息で告げると、更に速度を速めた。
 嫌な予感に胸がざわめく。
 蜘蛛の仕業だと言うのなら、絡みつく蛇の形をした魔力は、一体なんだったのだろうか。


 深夜が去った後、医務室の閉じられたカーテンの下を小指の先にも満たない小さな蜘蛛が駆けていく。蜘蛛は壁を伝い窓枠へと移動すると、そのまま外へと逃げていった。



20220101

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