マキリの幻蝶 | ナノ
マキリの幻蝶 / マキリの娘と魔法学校
7ー3



 茹るように揺れる水牢の中で、ついに大蜘蛛の脚が取れた。木から枝が落ちるように、ぼとりと水球に沈み、重力に従いタイルの上へと落ちていく。
 魔法生物は、同種の非魔法生物と比べると繁殖能力と生命力の高さが異なる。魔法族と非魔法族のように、同種と謳いつつも実際は交配が可能なだけの異なる種族だと。魔力生成器官のある生物は全て、よく似た進化を遂げた違う系統樹である説を唱える学者もいる。
 致命傷を与えても、その身に魔力が残っていればそれだけで動き出す異質さはヒトも同じだ。優れた魔法使いは人間種の時間の流れから外れることを考えると、あながち間違いではないのかもしれない。
 そんなことを考えながら、リドルは今にも遠退きそうな意識を懸命に保っていた。視線の先にある大蜘蛛の、その落ちた脚の付け根から、緑色の粘液を撒き散らしながら黒い脚が生えていくのを、呆然と見つめながら。

「っ! まずい、」
リドル、手を離さないように」

 大蜘蛛が落ちた脚へ向かって魔力の糸を吐き出した。

「っ、取れた……!」

 オリオンが声を上げるのと、水牢が破られるのは同時だった。
 糸には捕らえた獲物を確実に仕留めるための麻痺毒が含まれていたようで、オリオンはぐったりと虚ろな表情を浮かべるヴァルプルガを抱き起こす。
 既に深夜もリドルも授業で習う程度の魔法とは比にならないほどの魔力を込め、間髪入れずに強力な呪文を何度も紡いでいる。魔力が多い部類ではあるが、二人ともに魔 法使いとしてはまだ未成熟である。特にリドルは精神的にも限界はとうに過ぎていた。深夜もリドルの拘束呪文が弾かれた時点で、詠唱に無言呪文を重ねた高等呪法に切り替えている。さらには断続的な魔眼の使用。まだ全身の回路を活性化しきっていないとは言え、その魔力の消耗はリドルの比ではない。

急ぎま、」

 目の前の婚約者(ヴァルプルガ)に必死だったオリオンが顔を上げると、亀裂が走る杖を頭上に掲げた深夜が目に映る。次いで、血の気の引いた顔で振り向いたリドルが武装解除の魔法を放つ。
 止める間はなかった。オリオンは手を伸ばすこともできず、腕にヴァルプルガを抱えたまま、床の上を滑るようにして女子トイレから押し出された。

「先輩!!」
Reducto(粉々に)」

 その耳に小さな呪文を放つ声が聞こえたと同時に、轟音と共に女子トイレの天井が崩れ落ちる。

「ぁ……ミヤ、ミヤ……!」
「ヴァルプルガ! 動いては毒が……!」

 体は動かずとも意識は変わらずあったヴァルプルガは、オリオンの腕を振り切ると懸命に転がった杖へと手を伸ばす。けれど、空を掻くばかりの腕は杖には届かず、ただ冷たいタイルを叩くだけだった。

「だれ、か……誰か、来て……! お願い、誰か!」




 暗い瓦礫の下、僅か一人分の空間で深夜とリドルは折り重なるようにして耐えていた。
 魔法ではない、魔術による操作。水の染みた瓦礫を凍らせることにより、降り注ぐ瓦礫の中で僅かな隙間を作り上げた。場所は女子トイレ。水には事欠かないこの場所は、水属性の深夜にとっては一番相性の良い立地である。衝撃で気を失ったリドルをかばうようにして、深夜は魔術を張り巡らせた。
 瓦礫の下と言っても、通常の建造物より空気は通っている。長年魔力を浴びた物質は、それだけで反発し合う。磁石の同極と同じだ。だから僅かに隙間が空くのだ。
 きっと、オリオンとヴァルプルガが助けを呼びに行ってくれることだろう。生きていると思っていなくとも、せめて遺体だけは回収したいと思うはずだった。深夜の身体の価値は、死後であろうとも高いままである。

「ぅ……」
「よかった、気がついて」
「せん、ぱい……?」

 リドルの虚ろな赤い目が彷徨うように揺れる。あまりの近さに焦点が合わないのだろう。
 やがて、二対の赫い目が鼻が触れるほどの距離で見つめ合う。吐息が触れる、どころか身体の正面が余すところなく触れていた。下で深夜を受け止める形となったリドルは、胸や腰に感じる柔らかな感触に思わず身じろぎそうになった。
 そうでなくとも貴い美しさを湛えた青褪めた顔がそばにあるのだから、リドルの心臓はクディッチの試合に出た時以上に騒がしくなる。浅く早くなる呼吸に、蔦のように絡まる足が反射的に動いた。

「動かないで、じっとしてて」
「すみません、」

 パラ、と瓦礫から砂塵が落ちる。魔力不足の中、基本中の基本とは言え魔術を展開する深夜の身体は、冷凍庫の中に閉じ込められたかのように冷え切っていた。防寒の魔法がかけられたローブは凍りついた水の冷気を遮りはしても、身の内に起因するものには作用しない。
 数時間もすれば、もしくは一日か二日もすれば助けはくる。その確信を持って、深夜は静かに目を閉じた。


20211210

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