マキリの幻蝶 | ナノ
マキリの幻蝶 / マキリの娘とねじれた世界
0-1




貌のある鏡に名を聞かれた。一瞬口ごもったことで、鏡の横へと並んだ男から無機質な視線が注がれる。
どのような仕組みであるのか、この場で眼を使うわけにも行かず、己の名を「シンヤ」と告げることにした。間違ってはいない。以前、兄達同様に男であればそう音を付けるつもりだったと、蟲蔵の底で何かを懐かしむように告げられたことがあった。
もうずっと昔、妹ができるより前、遺伝子上の父である兄が戻ってくるより前の話だ。

深夜(シンヤ)。汝の魂のカタチは……。

脳を揺さぶるような声に、くらりと目眩がする。脳を掴まれているような不快感。
低い声はどこから聞こえているのか、まるで脳に直接語りかけているかのような不思議な響きだ。この鏡のために用意されたかのような広い空間(ホール)には、音響機器があるようには見えなかった。かといって鏡の表面が空気を震わせているわけでもない。
鏡の中に浮かぶ白い貌は、悩ましげに息をこぼしながら口の中でいくつかの音を転がしている。誰も言葉を発さない。じっとその時を待ち、黒い鏡面に浮かぶ白い無貌を見つめている。
周囲に倣い同じようにしていると、やがて、白い貌の奥に緑の炎が立ち上った。

ーー汝の魂のカタチは……オクタヴィネル。

厳かに告げられた言葉に首を傾げるよりも早く、一つの集団から声をかけられた。

「君、こちらへ」
「これにて儀式は終了です。皆さん、上級生に従い着いて行ってください。……さぁほら、あなたの寮はあちらですよ」
「……はい」

儀式。どうやら「オクタヴィネル」という集団に仕分けられたようだった。他の集団と共に数多の巨大な鏡が並べられた大広間へと連れて行かれながら、いつかだったか、家族と見た洋画を思い出す。
それぞれが先導されながら、鏡を文字通り潜って行く。どういう魔術を使っているのか、誰も驚いた様子でない辺りこれはここでの常識らしい。列を乱して目立たぬよう前の者に倣い、鏡を潜る。
結界に侵入した時のような異物感が肌に走る。次いで、視界が揺らぐ。甲高い音が脳を跳ね回って身体中に反響しているようだった。最後に空間が捻れたような、三半規管が回転する錯覚に足がもつれる。
ぐにゃりと曲がり揺れる足下にたたらを踏んだ。その、次の瞬間。
そこはもう、海の中だった。

「ーー」

きらきらと、星が瞬いて弾ける。
その光景に、思わず息を飲んだ。
正確には海中に建てられているようで、窓からは魚が泳ぐ姿が見えている。細やかに煌めく鱗と屈折する陽光が踊るように揺れ動く。その天井を埋め尽くす海の輝きに、目を奪われた。

「、」

それは、暗く明けることのない夜と陰の住人である深夜には、あまりにも眩しすぎるものだった。口を僅かに開いたまま、呆、とそれを眺めていると、突然深夜の背中に衝撃が走った。

「っ、すみません!」

よろめき倒れかけた体は、思いの外強い力で引き戻された。悲鳴を飲み込み背後を見ると、足を震わせながら壁に手を突く少年がいた。頬を朱に染め、唇を真一文字に引き結んでいる。
辺りを見回すと、似たような状態の子供が多く見られた。配属された集団は足が不自由な者が多いようで、殆どの者が壁や柱を支えに足を震わせている。魔道の家門において、その刻印や神秘を継承する上で肉体的な損失があることはままあることだ。

「手を貸そうか?」
「……では、有り難く」

恥辱に耐えるような表情を浮かべ、少年は深夜の手を取った。
これが、後にオクタヴィネル寮長となるアズールと、誰にも知られることなく世界を移動した大聖杯の欠片・マキリの娘の出会いである。


20211208

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