マキリの幻蝶 | ナノ
マキリの幻蝶 / マキリの娘と魔法学校
7ー1




深夜にとって、トム・リドルは唯一先輩らしく振る舞える後輩だ。特別に拘り悩みながら足掻くリドルは、深夜の眼にはいつか美しく羽化する繭のように視えた。彼がより美しく鮮やかな羽化を迎える時をこの眼に納めたい。それは終ぞ自分の願望を抱かなかった深夜の、世界を超えて初めて抱いた夢だった。
それに、何より彼に宿る水の魔力は遠い故郷の霊脈に似ていて、深夜は一等気に入っている。だから僅かでもその輝きが陰ることがあれば手助けをしたい。曇らせるような障害は、アクセントになりそうなもの以外は取り除きたいと思う。
耳を塞ぎ座り込むリドルに深夜はそっと近づき、魔力を乗せた息を細く吐いた。リドルを絡め取ろうとする魔力が途端に霧散していく。

「ぁ……」

赤い虹彩が虚ろに揺れ、深夜を見上げた。この世ならざる輝きを帯びた深夜の青い眼が徐々に赤みを取り戻し、燐光が解けていく。

「リドル、その声はまだ聞こえる?」
「い、え……。ありがとうございます、助かりました」

リドルにまとわりついていたのは古い魔力だ。絡みつく蛇のようにも、どこかへ連れて行こうと伸ばされた腕のようにも見えた。
ここ数日、リドルは同じ魔力に当てられ放心状態になることが増えていた。





始まりは、貧血で倒れる生徒が増えたことだった。時代故、貧血気味の生徒は多い。それ以降、食事の献立にレバーや鉄分を含む食材が増えたが、倒れる生徒は日に日に増えていく。ついに保健室のベッドが24時間が埋まるようになった頃、倒れたまま目覚めない生徒が出てしまった。今までのような貧血ではなく、仮死状態で見つかったのだ。それから間をおかず、立て続けに数人の生徒が仮死状態で倒れているのが見つかった。
偶然にも、皆マグル育ちの魔女や魔法使いだった。
そのうち誰が言い出したのか、いつの間にかスリザリンが隠されている秘密の扉を開いたと噂されるようになり、魔法族であろうとマグル生まれだろうが、スリザリン生というだけで遠巻きにされるようになった。
倒れた生徒はマグルの時勢を考慮しても、お世辞にも栄養状態が良いとは言えない者達だ。以前から貧血気味になるのも倒れるのも皆マグル生まれ、マグル育ちの生徒ばかりだった。しかし、その全てがスリザリン以外の生徒だったことで噂は真実味を帯びた。やがてスリザリンの生徒に体調不良者が出ても、その噂は広がり続けている。

「愚か者の戯言とはいえ、さすがに看過できない事態となりました」

スリザリンの談話室では全寮生が集められ緊急会議が開かれていた。蛇の玉座に座るオリオンは憂いを帯びた顔で寮生達を見る。

「スリザリンがマグル生まれの排斥を掲げたのはもはや数世紀前、魔女狩りが盛んだった時代です。どのような出自であれ、助けを求める手を掴み続けた彼の英雄を、僕たちは忘れてはなりません」

寮生の顔つきが変わる。オリオンは自らに刺さる、この寮の王足りうる存在なのか値踏みするかのような数多の視線を感じていた。正面に座るヴァルプルガすら、常の慈愛の篭った目ではなく見定めるかのような無機質な目でオリオンを見ている。

「教授達は未だ傍観の姿勢を崩しません。秘密の部屋はスリザリンから与えられた護りの要。それが開かれる事態こそ、我々は避けねばなりません」

「我らスリザリンの子供達は、今こそ父の意志を叶える時です」





ふらりとリドルが足を止めた。何事かを囁くような声で、壁に向かって語りかけている。常より伸びた背は曲がり、俯き落ちた黒髪の奥で生気の無い瞳が虚に、紅く炯炯と輝いている。誰が見ても、何者かに操られていると答える様相だった。
深夜達は即座に杖を構え、リドルを囲むようにして体制を整えた。
幽鬼のように進むリドルについて行くと、女子トイレにたどり着いた。城の構造上、人気のない3階の女子トイレは、虐められている他寮の生徒がよくいると聞いている。迷わず入っていったリドルに、下級生二人の足が止まった。

「トイレ…水気のある場所と言えばゴーストでしょうか」
「怨霊の類は入れない筈だが…」

指示を伺うように見上げてきたブラックとマルフォイをその場に残し、ヴァルプルガと深夜が中へと進む。
蛇の紋章が象られた手洗い場から個室がある方へと向いたリドルが、神託を受けた巫のように顔を上げた。瞳の輝きが増し、はっきりと聞こえる不思議な発音のそれが場に反響する。

「――いい加減にして!!またからかいに来たの!?」

威嚇するようなドアを叩く音に、ヴァルプルガがほっとした表情で声をかけた。噂の他寮の2年生のようだ。

「わたくしはスリザリンのヴァルプルガ・ブラックです。あなたはハッフルパフ二年のワレンさんですね?」
「ス、スリザリンの先輩が何の用よ!」
「近頃の事件はご存知ね? 先日もすぐ下の階でグリフィンドールの三年生が倒れています。現在スリザリンでは複数名での行動を義務付けているのですが、よろしければ寮までお送りしましょうか?」

少女のいる個室まで行こうとしたヴァルプルガを嫌な予感がした深夜が手で制した。
再び、扉を叩く音がする。深夜は瞬き、妖精眼を起動させた。魔眼で視る世界は不自然なほど濃密な魔力に包まれている。一際魔力が集まっているのは魔法族であるリドルと前に立つヴァルプルガ。そして、リドルが見つめる先からも魔力が流れて来ている。

「そ、そんな事言っても騙されないんだから!! どうせ貴方達もあいつらと同じよ!!」
「スリザリンはそのような浅ましい真似はいたしません!」
「嘘よ!! 信じられないわ!!」
「っ……年下だから気を使っているというのに……!!」
「ヴァルプルガ、何かおかしい」

抗議するかのように叩く音が強くなる。リドルはまだ奥を見つめたまま戻らない。ドンドンと扉を叩きつける音に混じって木が割れる音と金具が外れた音が聞こえた。

「もうやめて!! ドアを叩かないで!!」
「え……?」
「まずい、リドルを連れて逃げよう」

焦点をより深く合わせた深夜は、奥から流れてくる魔力が毒性を帯び、何らかの形に成り始めたのを視た。あの女子生徒は助からない。そう判断した深夜は素早くリドルに駆け寄り手を引くが、リドルは石のように硬直し動かない。
リドルの囁くような発声が響く。鍵の壊れたトイレから女子生徒がそろりと現れる。深夜はその正面に、蛇が巻きつきもがき苦しむ、蜘蛛の形をした毒の塊のようなモノを視た。魔獣の幼体。魔力に混じる人間への殺意を感じ、回路が熱を帯びる。回転させた思考が女子生徒の死を予測した深夜は、リドルの手を引く力が篭り、軋む音を立てた。
その瞬間。響くような囁きは止み、リドルの目に生気が戻った。

「あ……僕、は……?」
「ひっ……いやぁぁあああああああ!!」

呆然とするリドルの目の前で、赤子ほどもある蜘蛛が少女に飛びかかった。脊髄反射で魔術を紡ぎ、身体強化をした深夜が今度こそリドルの手を引き走り出す。
聞いている側も裂かれていると錯覚しそうなほどの、少女の絶叫が木霊する。極度の恐怖から無意識に行使しているのだろう。魔力を込めた声の刃が無差別に空間を裂き、深夜達にまで降り注いだ。
続いて、大粒の葡萄を潰すような、濡れた水音が耳にこびりつく。
思わず振り返ったリドルの紅い目に、赤い血飛沫が焼き付く。

「ヴァルプルガ!!」

飛び散った血を青褪めた顔で見つめ立ち尽くすヴァルプルガに、深夜が鋭く叫ぶ。
直ぐに正気に戻ったヴァルプルガが、入り口で呆然と立ち尽くしている二人に叫んだ。

「オリオン様! マルフォイ! 先生方を呼びなさい!」

青褪めたヴァルプルガのその背後で、血肉を振りまきながら蜘蛛が高く飛び上がる。蜘蛛の八つの目は蛇語を話すリドルでもなく、妖精眼で正体を捉えた深夜でもなく。一番非力で、かつ一番魔力の濃いヴァルプルガへと向いていた。

「っ、ヴァルプルガ!! 危ない!!」

オリオンが咄嗟に駆け出し、それを止めようとマルフォイまで駆ける。
反射的に振り向いたヴァルプルガの目に、牙を剥き出しにし、糸の塊を吐き出そうとする大蜘蛛が映る。防御呪文を繰り出す間さえなく粘度の高い糸が吐き出され、ヴァルプルガは床に縫い付けられた。
仰向けにされたヴァルプルガの灰色の目と深夜の黄緑の目が合う。吐き出した反動で反対の壁に着地した蜘蛛が、威嚇するようにカチカチと牙を鳴らしている。

「オリオン様をお願い、ミヤ」
「リドル、二人を連れて逃げて」

ほぼ同時に言い切った深夜とヴァルプルガは、思わず一瞬動きを止めた。
勢いのまま数歩よろけたリドルが震える手で杖を蜘蛛に向ける。吹き出す血と肉の裂ける音が繰り返し繰り返し再生される。生まれて初めて聞いたヒトの断末魔の悲鳴に、白い顔は一層青褪めていた。ちら、と隣の深夜を盗み見るも、平然とした顔で杖を構え蜘蛛を見据えている。

「ヴァルプルガ! くそっ、ベタついて剥がせない!」
「オリオン様!? ここは危険です! 早く逃げてください!」

いつもなら、先輩であり再従姉の姉であるヴァルプルガの言うことは親族の誰よりもよく聞いていたオリオンだったが、今は一瞥するだけで粘液を剥がす事に集中している。思わずマルフォイを見たヴァルプルガに、責められていると勘違いしたのか、マルフォイは自分は止めたとばかりに首を振った。
自ら囮りになることを瞬時に選択したヴァルプルガだったが、次第にオリオンを止める声に死への恐怖が滲んでいく。

「お願い、お願いだから言うことを聞いてオリオン……」
「うるさい! 貴女を置いて僕ひとり逃げれるわけないだろう!!」

常の良い子の仮面をかなぐり捨てたオリオンが、あまりの怒気に魔力を滲ませながら乱暴に叫んだ。その剣幕に驚いたヴァルプルガが目を丸くしている。ヴァルプルガの怯えを感じたオリオンはバツの悪そうな顔で目を逸らし、再び粘液を引き剥がす作業に移った。
それを横目に、唇まで紫にしたリドルが深夜と防御魔法を重ねがけしながら、ぽつりと呟く。

「こうなったら全員で逃げよう」

グリフィンドールのような蛮勇と誹られても言い訳のしようがない、狡猾なスリザリンにあるまじき行為だ。一人の犠牲で多くを救うことができるなら、迷わずそれを選ぶべきだ。
けれど、誰一人として、友を見捨てて逃げることは選べなかった。

「そうだね。マルフォイ、合図を出したらあの子を回収して走れ」
「え、私がですか!?」

どうせ助からないし、他寮だし。置いて行っていいのではと考えていたマルフォイは驚き、声を上げる。

「人食い蜘蛛だと分かった以上、置いておくわけにはいかないだろう」

リドルは手足に付いた血肉を丁寧に舐めとっている蜘蛛から目をそらさず、吐き捨てるように言った。
きちきちと鳴き声を上げた蜘蛛がリドルの防御魔法を破ろうと、鋭い爪を牙を晒す。

「ブラックはヴァルプルガを」
「分かっています」
「起き上がり次第マルフォイを追う。血の匂いを辿って来そうだ」
「え、ええ。わかりましたわ」




20210919

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