マキリの幻蝶 | ナノ
マキリの幻蝶 / マキリの娘と呪いの世界
夏油と

学年が上がり、特級となっていた夏油と五条は一人で赴く任務も増えていた。特に夏油には、一般出のくせに五条家の直系当主に近いというだけで回される、理不尽な難易度のものも少なくない。
今日もそんな悪意に塗れた任務の一つで、漸く寮へと戻った頃にはすでに日付が変わっていた。

「お。帰ったか傑」
「……まさか、私を待っててくれたのかい?」
「んなわけないだろ」

疲れ果てた夏油を出迎えたのは親友の五条悟だった。ついに悟がそこまでの人間性をと潤みかけた瞳は、そのまま五条の持つ攻略本を見つけた。
どうせそんなことだろうと薄々思っていた夏油はすんと真顔になり、だろうねと返す。
表紙の絵は、確か任務に行っている間に発売された新作だった気がした。ぱらぱらと本をめくりむっすりと口を噤んだまま、五条は入口のソファに腰を降ろし足を組んでいる。
そのまま五条の横を通り過ぎた夏油だが、共用のシャワーから出てきても、まだ五条がウロウロと落ち着きなく歩いていることに首を傾げた。
長い足で行ったり来たり。小気味よい靴音がフロアに響く。
階段を伝い居住フロアにまで響いていたのか、起きてきた家入も同様に首を傾げ、互いに顔を見合わせた。もしかしたら天才にはたまにあることなのかもしれない。きっとそうだ。目だけで会話していると、苛々とした様子の五条がぽつりと何事かを呟いた。

「うん? 今なんて?」
「深夜が、出たっきり戻って来ねぇ」
「……はぁ!?」

当然、家入と夏油は早く言えと怒った。
今時私物の携帯を持っていなかった深夜は、任務中に限り貸与される形で折り畳み式の携帯電話を所持していた。なので普段は連絡手段がない。今の今までなくても問題がなかったから、不所持でいたのだが、ここに来ての行方不明騒ぎ。
今はすでに深夜過ぎ、先輩や先生を呼ぶのにはさすがに非常識すぎる時間帯だった。もしかしたら外泊届を出しているのかもしれない。
3人は頭を突き合わせて緊急会議を開いた。
ひとまず戻って来た時のために家入は寮で待機。男子二人、特に知っていて言わなかった五条が寮外を主に捜索することとなった。
夏油は探索向きの低級呪霊を数体出し、寮内と外へと放つ。うっかり払われないよう「探し物中(五条悟)」のプラカードを下げた呪霊が夜の闇に消えていく。遠目でも薄ぼんやりと光るのは、蛍光塗料によるものだ。
任務帰りの夏油はそこまでの協力で良かったが、少し行き先に心当たりがあったためそこだけ確認しようと手を挙げた。

「悟、硝子、私は敷地内を探して来る」
「じゃあ1時間後に連絡して。その前に見つかっても当然連絡しろよ。特に五条」
「わーってるって」
「悟」
「行ってきマンモス」

家入の澱んだ目からハイライトが消える。それを見た夏油が素早く五条を小突いた。長い足で飛び上がった五条が脱兎のごとく飛び出していく。
その後ろ姿に、心当たりがあるとは言わなかった。これも悟にホウレンソウの大切さを覚えてもらうため。どこか親のような気持ちで五条を見送った夏油は、隣からわかってんのかあのクズと、地を這うような低い声が聞こえ、思わず二度振り返った。
結局夏油は家入にだけ心当たりを伝え、寮の少し裏に建てられた温室へと向かった。



温室に入ってすぐ、夏油の前をひらりと淡く光る蝶が横切った。
戦闘時以外によく見る、彼女の式神のような蟲だ。それが温室の中を数匹、彷徨うように飛んでいる。
夏油が指を差し出すと、気づいた一匹がすいと近づき指先に止まった。淡い光が空へと登る、その柔らかい美しさが彼女と重なり、夏油は思わず目を細めた。
侵入者に気づいたのか、室内を飛んでいた蝶達も次々と夏油に集まる。瞬く間に蝶に群がられた夏油は、学友の式とあって無碍にもできず、ただ茫洋とした眼差しで優雅に飛び交う光を眺めた。
しばらくそうしていると、指先の蝶はまたふわりと羽ばたき、頭上の蝶を従えてまるで夏油についてこいと言わんばかりに列を成して飛んでいく。
誘われるようにして導かれた先は、何の変哲も無い壁付けの噴水だった。上部から水が流れ、カーテンのように広がるそれは道具類を洗う水場も兼ねているが、今は弁が閉じられている。水を出せ、と言われている気がして、夏油は淵に蝶が次々と止まっていくのを横目に水を出した。水の薄い膜が張られ、足元を濡らしていく。

「水が飲みたかったのかい?」

そう声をかけた直後、淵に並んだ蝶の光が明滅し始めた。次第に光は強まり、思わず後ずさった夏油ごと暗い温室に光が溢れる。
あまりの眩しさに夏油が顔を背け、そして何かに押されるようにして前へ倒れた。水に触れた手はその奥の壁に届くことなく、口を開けた黒い異次元へと吸い込まれていく。
水に濡れることもなく夏油はいつの間にか温室ではなく、書斎のような場所に立っていた。並ぶ背表紙は全て外国語。それも英語ではなく、おそらくヨーロッパ圏の言語だろう文字が連なっている。

「ここは……すごいな」

振り返ると揺れる薄布があるのみだった。そっと手を伸ばすと、布に触れることなく手が消える。潜るように頭を出すとそこは先ほどの温室で、夏油はしばらく確かめるように頭を出したり引っ込めたりしていた。
深夜の蟲に導かれた先ということもあり、夏油は比較的落ち着いていた。むしろ、秘密基地を見つけた少年のように胸を高鳴らせている。これもまた瞬間移動のような術式だろうかと、親友である五条の姿を思い浮かべた。
辺りを見渡し、目についた本を手に取る。本物のようでずっしりと重たく、中身も全て外国語で綴られている。
シンプルだが美しい装丁の、流麗な筆記体で刷られた文字をなぞる。

「Lan、ce、lot……ランスロット? アーサー王伝説か?」

始めと終わりを丁寧に捲るが、奥付のようなものは見当たらなかった。古く黄ばんだ紙が正確な年代を分からなくさせる。
読めはしないが、知っている単語を探して目を滑らせた。
すると、一緒について来たのか、夏油の肩から先ほどまで温室にいた蝶が飛び立った。夏油の背後、書斎の奥へすいと空を泳ぐように真っ直ぐ飛んでいく。
夏油は本を慎重に棚へと戻すと、その後を追った。
意外と広い空間になっているのか、書棚に挟まれるようにして虫の標本やホルマリン漬けの奇妙な虫が並べられた机が続く。区画が分かれているのか、再び夏油の身長よりも高い書棚が並んだ。
その先、ぽっかりと空いた小さな空間。洋風の造りには不釣り合いな、南国風の籐の長椅子に寝そべるようにして深夜は見つかった。
青白い頬に睫毛の影が色濃く落ちている。安らかな寝息が漏れる、薄く開いた唇は血のように赤い。どちらかと言うと五条の血統に近い西洋的な色彩の美貌。
昏い眼差しと冷徹な呪術師の思考がなければ、どこか貴い面影すら感じさせる。その遠いおとぎ話の姫君のような寝顔に、夏油の心臓が俄かに速まった。
無防備に眠る少女へ、無意識のうちに手が伸びる。それが、美しいものへ触れたいという人間的な欲求なのか、淡い好意を抱く異性への欲からくるものなのか、夏油には判断がつかなかった。
乾いた指先が顔にかかる髪を払う。そして白い頬を滑り、色づく場所へと触れる、その寸前。

「……げ、とう?」

開かれた、ガラス玉のような赤い目。虚ろなそれに、欲の滲んだ男の顔が映った。
ひやりとしたものが首筋を伝う。
赤い眼がぱちりぱちりと瞬く。

「探したよ、深夜。一緒に戻ろうか」

熱い手を隠すように下ろした夏油は、五条からはやや不評な優等生のような笑みを湛え、きょとりと首を傾げた深夜を見下ろした。


20210825

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