紅葉の娘 | ナノ
いろは鬼 / 序章
01




「ようこそ、オンボロ寮へ。見知らぬ同郷の貴方」

白皙の美貌の麗人が、どこか芝居がかった仕草で手を広げる。着物に似た羽織りの長い袖が揺れるのを、ユウはまだはっきりとしない頭でぼんやりと眺めた。
思わず目を引かれる、命の色をした瞳がきらきらと瞬く。焦点の定まらないユウに気が付いて、麗人は首を傾げながら一歩近づいた。どこか懐かしい香りにユウの意識が一瞬覚醒する。

「ぁ……」
「大丈夫かい?まだ少し虚ろだね……学園長、彼女ここに来てから何か口にしていますか?」

麗人がユウの背後に立つ、仰々しい出立ちの男に向かって問いかけた。それを聞いて、目覚めてから水も飲んでいないことをぼんやりと思い出す。背後の男が「あっ」と声を上げたのを最後に、ユウは視界が墨が滲むように黒ずみ、意識が遠ざかっていくのを感じた。





ナイトレイブンカレッジが誇る最高の護りが施された場所で、男と麗人は向かい合っていた。
浮遊する半透明の霊体が芝居がかった、恭しい仕草給仕をする。今日は深海の商人を通して購入した希少な
湯気が立ち昇る紅茶で唇を湿らせた男が、重苦しく息を吐き出した。視線の先には、先程昏倒したオンボロ寮の暫定入寮者がいる。

「魔力がないのであれば、元の場所に戻っていただくのが一番なんですけどねぇ」
「それはもう、帰る場所がないと鏡も言っていたでしょう」

三年前の麗人と同じく帰る場所がないと告げられた子供は、しかし麗人と異なり魔力すらないと断じられた。

「魔力がないのであれば、ご覧の通り一切の魔法防犯装置は作動しません。ならば私の下に置くのが妥当かと」
「……あなたは生徒です。私の学生を危険に晒すことはしたくないのですが」
「心配はご無用ですよ、学園長殿。白兵戦において、現状この学園で私に勝る者がいないことは、ご存知でしょう?」

白く嫋やかな手が、傍に立てかけられた緩やかな曲線を描く寮長ステッキをなぞる。メープルの葉を模した鈴が飾られただけのシンプルなそれは、寮長の証にしてはあまりにも質素なものだった。オンボロの名に相応しいと、目の前の麗人は気に入っているようだが。

「それでも、です。今のあなたには不要だとしてもですよ?そもそもこの寮はこの学園長室よりも高レベルのセキュリティが構築されています。そうやすやすと寮生以外を入れることはしたくないんですよ」

もう入れているが、という麗人の視線を男は知らないフリをした。何より、男の前で優雅に茶を飲む麗人に執着している、後見人でもある次期妖精王が難色を示すだろうことは、火を見るより明らかだった。
目の前の麗人にとって、対人を想定している防犯セキュリティなぞ意味を持たない。そもそもこの麗人に敵う者なんて、全力の教師陣くらいしかいないとクロウリーは思っている。
ため息を吐いたクロウリーに向けられる、鮮やかな柘榴のような瞳が弧を描いた。走馬灯のように、脳裏にひたすら内蔵を荒し続けた一年間が甦る。


今でこそ健やかに過ごしているが、当時は生きるか死ぬかの境、冥府へ続く坂にいた。その麗人のため、オンボロ寮は大規模な内装工事を執り行っている。結果、埃と蜘蛛の巣だらけの屋内は塵一つない、自動清掃と空気清浄魔法付きの衛生的で清潔な環境へと生まれ変わった。さらに本来の性別のこともあり、教職員総出で学園の宝物庫と学園長室を参考に組み上げた防犯魔法を三度重ね掛けしている。
羽虫の一匹も通らないほどのそれは、余程高い魔法レベルがないと侵入することすら難しい。

とは言え、景観の都合上見た目はオンボロのままである。入学資格が生徒の資質だけで決められる以上、当然良からぬ事を考える者もいる。何せここはヴィランの学校なわけで。
いつか起こるだろうな、と教職員達が考え対策していた通り、美しい麗人が一人で住まう古びた寮へ侵入を試みた不埒な生徒がやはり現れた。
しかし彼らは入れないと悟やいなや、出入りの際を狙い麗人を襲撃したのだ。
それは氷の彫像のように怜悧な美貌の少年を辱しめたいという、あまりにも低俗な欲望だった。となると当然、クロウリー達が前もって仕掛けていた保護魔法が発動する。
麗人の身に危険が及んだ際、自動で発動する防御魔法。それが発動した瞬間。
彼らは声を上げる間も無く、地面へと転がされていた。
その同時刻。防衛魔法が発動したこと、また捕捉した対象が消えたことに論理破綻を起こし、教職員とクロウリーの下に緊急事態を告げる警報音が鳴り響いた。
学園長室から移動魔法を使用し、誰よりも早くクロウリーは駆けつけた。ところが、クロウリーが目にしたものは、無様に転がる意識を失った少年達だった。

「これは、一体……?」

施した魔法は絶えず麗人が襲われたという警告を吐き出し続けている。しかし目の前にあるのは無傷の麗人と、意識を失っているものの同じく無傷の少年達。
首を傾げたクロウリーに、少年達を挟んだ向かいで、人を惑わす魔性の微笑みを湛える麗人が同じように首を傾げた。その二人の間、少年達の上に箒で空を駆けてきたのであろうバルガスが降ってくる。

「無事か!?」

華麗に着地を決めたバルガスの下で、潰された少年達が呻き声を上げた。次いでタオルを抱えたトレイン、保険医を引き連れたクルーウェルが続々と到着する。

結論としては、色々と未遂で終わった。
魔法が作動する直前に少年達は意識を刈り取られただけのことであった。

「あまり信じられませんが、その棒切れ一本で、ですか?」

クロウリーが問い詰めると、後ろ手に隠していたただの木の棒で少年達の気を失わせたという。
何度見ても、魔力も何も宿っていない、何の変哲もないただの木の棒。折れて枯れた、幼い子供の好きそうな枝であった。

「ええ、まぁ……婦女暴行をほのめかしていたので、罪を重ねる前に折っておこうかと……」
「折って」
「折る?」
「あ、いえ。ただ、その……この学び舎にいるのは優秀な魔法使いと聞いていましたので。妖しい術を使われる前に、と」

それを聞いて逆にテンションをぶち上げたのはバルガスとクルーウェルの二人だった。よくやったと褒めつつも駄犬の躾方をレクチャーしようとするクルーウェルに、発動した自動制御型防衛魔法よりも速い動きを見たくてそわそわするバルガス。
困ったよつに笑う麗人に、むしろ困ったのはこちらだとクロウリーは涙が出そうになった。
トレインも安堵と違う問題が発生したことに長く息を吐いた。
クロウリー達はその日、麗人への評価を再度改めることとなったのだった。


「学園長?」

澄んだ鈴の音のような声に、記憶の海に投げていた思考を現実に戻す。

「ええと、なんでしたっけ。そのステッキに付与した緩衝魔法の修繕の話でしたっけ」
「それもお願いしたいところですが違います。しっかりしてください、学園長殿。あの子の処遇の話でしょう」

クロウリーは麗人のことを存外気に入っていた。
時折価値観のズレを感じなくもないが、極力こちらの意に従う姿勢と、NRCには珍しい裏表のない模範的な優等生のような態度。けれど何処ぞの学園のようなきらきらしいものではない、むしろ老獪さすら感じる落ち着き。
そして何より、人の姿をしていながらも非人間的な高貴な美しさが、ただ一つ愛した華に通じるものがあった。ただ、愛した華と比べると、些か以上に物騒な思考回路ではあったが。
それでも二人の間には、生徒と教師というより古い知人や同僚にも似た気安さがあった。

「ええ、そうでしたね。……どうせ置ける場所も限られますから、一旦あなたに任せましょう」

こうして、異界からの二人目の訪問者は、オンボロ寮を仮住まいとすることが正式に決められた。



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