紅葉の娘 | ナノ
いろは鬼 / 前日譚
02




入学式典の騒ぎから数日後のことである。

場所は変わって輝石の国でも有数の国立医療センターのVIP病棟。人払いを済ませたそこで、クロウリーを始めとする主要な教師陣、そして茨の谷を代表して生徒でもあるリリアが一つのベッドを囲み真剣に会議を行なっていた。議題は目下で眠っている子供の処遇である。

あのマレウス・ドラコニアが同胞と呼び直々に助けたことにより、子供の存在はもはや学園内で隠匿できる問題ではなくなっていた。いくら人のふりをする人外だとて、クロウリーは子供を預かる学園の長として倫理道徳に反した行いをするつもりはない。多少、言われなければ気がつかない心の機微に疎い人でなしではあるが。だから正直、茨の谷を巻き込めてよかったとすら思っていた。
何せ来賓も多い式典で火災怪我人のコンボである。一歩遅ければ初の新入生が死亡も積み上がっていた。それが時代遅れ甚だしい棺による転移魔法の事故だなんて目も当てられない。自治権の認められている賢者の島であるからこそ、その全てを統括しているクロウリーは責任問題に関しては人一倍敏感だった。言われなければ気がつかない、人間や心の機微に疎い人でなしではあるが、影で泥を被る程度のことができる程度には、彼なりに生徒と環境には気を配っている。


棺にいたのだから新入生だろう、とは教職員全員の見解ではある。
しかし、式典服でもなければ謎の炎上騒ぎ。さらに転移魔法がヴィンテージものという事実と二年前の式典中第二王子暗殺未遂事件の例もある。そして歴史家でもあるトレイン教授、マジフト選手という経歴上戦略軍略に少々造詣の深いバルガス教授、茨の谷の元軍属で戦争指揮経験のあるリリアは捨て身の特攻という可能性も捨てきれずにいた。
しかし、とクロウリーは子供を見下ろす。全身の傷を次期妖精王がその根性でくっつけたことで失血死することなく安定した傾眠状態のこの子供は、捨て駒とするにはあまりにも美しすぎた。正直どこぞの姫ですと紹介されても信じてしまうほどの美貌。特に、耐えきれずクルーウェルが手ずから手入れをした黒髪はまさに東洋の絹のようだ。あまり人間の美に拘らないクロウリーですら、これは一朝一夕でなる輝きではないと思った。

今は簡素な病院着ではあるが、サム曰く、あの時着ていた生地は入手困難なほど上等な絹織物だったそうだ。値段はプライスレス。絹の輸出実績のある極東で見られる民族衣装に近いスタイルのため、産地で誂えられたのではとのこと。放さず持っていた剣も同様に、極東でよく見られる形状。ただし、こちらは刃こぼれと脂の付着が酷く、確実に使用した形跡があった。念のため採取した医師が調べたところによると、その塩基配列、遺伝子情報は人間のものだったそうで、その結果は即座に廃棄された。
そして子供が負っていた全身の裂傷と火傷は、トレインの昔馴染みだという院長の老医師曰く、炎上する城で起きた戦の負傷者に近い怪我だという。
もう随分と長く血の流れるような戦争がない捻れた世界ではあれど、それだけで長い年月を生き人生経験が豊かな彼らは、子供の境遇を薄っすらと想像することができた。

とはいえ、今年は茨の谷の次期王の入学年であり、さらに夕焼けの草原の訳あり第二王子は当分在学中だ。あの王子が後何年在籍するかも予想がつかない中、不安材料は極力無くさなければならない。たとえそれが無辜の子供であっても、疑いがあるならばそれを晴らさなければならないのが学園長である。
重い溜息を吐き出したクロウリーは、担当医である老医師に小瓶を渡した。
かつて軍の連絡などにも用いられた水鏡の一種であるそれは、調合した溶液を二つに分け刺激を与えることで呼応し、映像を映し出す薬品だ。今回はその応用で、片方を飲ませることで残った一方に摂取した人の記憶を夢という形で再生し、映し出す。かつて尋問などにもよく使われたものだが、水鏡と違い調合方法はすでに失われて久しい。今回はリリアの記憶とトレインが探し出した古文書による記述から調合方法を割り出し、クルーウェルがその叡智と技術で以って生成した。

「お願いします」

まだ黒歴史で済む生徒であれば嬉々として囃し立てるだろうが、恥も苦渋も辛酸も味わい尽くした学園長やリリア達にとって、過去を暴くということは時として殺すより残酷な仕打ちとなることを知っている。まして、今回は明らかに流血と惨劇、悲劇が予測できているのだから。戦争がなくなって久しいこの世界では、スラムですらそういった悲劇は物語の中だけの存在となっている。むしろこの世界、捻れているがゆえか、今も昔もそういった不幸は王侯貴族など上流階級にこそ多い。

クロウリーの脳裏に記憶の底に埋もれていた遠い夢のような日々が浮かんでは消えていく。それは凍てつく冬に見た、暖かな灯火のような幻想だった。どこまでも沈む思考を引き上げるように、隣にいたトレインがクロウリーの背をそっと叩いた。視線を上げると、魔法で水鏡の薬液が宙に広がっている。

「クロウリー、準備ができたようだ」
「…では、お願いします」

その言葉を合図に、医師が魔法を発動させた。水鏡が波打つように波紋が拡がり、次第に奥から浮かび上がるようにして美しい庭が映し出される。本人の視点なのか些か低いアングルからだが、その光景に思わず感嘆の声が漏れた。風に拐われた淡い桃色の花弁が蒼天によく映えている。建物は低いが、その分どこまでも広く続いていた。その全てに窓はなく、熱砂の国に似たスクロール式のカーテンがかけられている。
トレインの解説によると極東の国で見られる貴族建築の様式だとか。先ほどから下にチラチラ見える装飾の施された球は鞠というボールらしい。目ざとく見つけたサムから本物の金銀が使われた糸だろうという解説も挟まる。
この子供、やはり貴人だったな。
改めてそう確信を抱いた全員が安堵の息を吐く。次のバカンス先は極東にしてみようかしら。南国のような解放感や華やかさはないが、吐息が零れるような静謐さを湛えた美がささくれ立った心によい。浮ついた心でクロウリーは心のスケジュール帳にメモを取った。
もう、ここで終わりにしよう。クロウリーが口に出さずとも正面のリリアには伝わったのか、視線一つで頷いた。もしここにいるのがこの子供に妙な執心を見せる次期妖精王であれば、無言の圧で最後まで強制上映会となったことだっただろう。

「先生、ここまでで終えられますか?」
「はい。よろしいのですか?」

この先、これほどまでの怪我を負うに至った理由を知りたいとは思わない。ここまでの記録だけで十分尊い血筋の子という証明になるだろう。亡国の王子とでも言っておけば誤魔化せる範疇だ。最終的に元気になって、無事に卒業さえしてくれればそれこそ知らぬ存ぜぬで通せばよい話である。子供の身柄は次期妖精王が引き受けるつもりですでに動いているとクロウリーはリリアから聞いている。茨の谷を巻き込めた時点で、その後の監督責任はもはやクロウリーにはない。
後は野となれ山となれ。肩の荷が降りた、という解放感でクロウリーは病室に広がる困惑に気づかなかった。

「…どうした、院長」
「解呪の魔法が、弾かれた」

青褪めた顔の院長が、トレインと話している。
それはつまり、薬が切れるか本人の意識が戻るまで自動再生され続けるということだった。





水鏡が揺らぐ。夢を映すそれは、見ている者の感情が反映される。
慎ましくあれど、見るものが見れば分かる絢爛な装飾が施された屋敷。

――母と、邨瑚凶荳クさえいればそれでよかった。

涼やかな声が部屋に響き、鏡には長い黒髪を左右で不思議な形に結んだ少年が映った。屈託のない笑顔を浮かべたまだあどけない少年は、何事かを言い子供へと駆け寄ってくる。
美しい景色を背景に突然始まった語りは淡々としている。しかしその内容にクロウリーは瞬時にア、これ凄惨な悲劇だと確信した。なぜなら彼らはすでにどこかで血濡れた結末が訪れることを知っている。

少年は家族なのだろう、飛び飛びではあったが、どの場面でもその姿が確認できた。木刀を振り、ボールで遊び、時には本を読む。季節の変化が鮮やかな邸宅で、穏やかに過ごす日々が映し出される。
それをクロウリー達は、いつどこで悲劇に変わっても良いように身構えながら見守っていた。

そうしているうちに、不意に再び水鏡が波打った。記憶の混濁、本人の強い混乱があると見せまいとする本人の無意識下での魔力暴走により鏡は機能しなくなる。
さざなみが立つ水面が次第に落ち着きを取り戻すと、そこには美しい黒髪を垂らした女武者がいた。線がわかるほどのぴったりとした伸縮性の良さそうな衣服に装飾の施された前掛けを纏った紫の女武者は、身の丈ほどもありそうな長剣を腰に下げている。少年が所持していたものと同じ形状のそれは、やはり戦うための武器だと再確認できた。

――別れたあの日を今でも憶えております。
――その声…随分と変わったが、久しいな。息災であったか?丑よ。
――今は頼光と名乗っておりますれば、どうかそのようにお呼びください。

膜を通して聞こえる音はくぐもっていたが、その威厳のある、傅きそうになる声にリリアの肩が揺れた。

――今すぐ投降してください…邨瑚凶荳ク様。そうすれば、逃げた者まで追いはしません。貴女も、私が部下として召し上げたと報告します。
――其方がそのつもりでも、控えている者たちはそうではあるまい。私の首を撥ね、逃げた民草を八つ裂きにせんとばかりに目を光らせておる。
――ええ。せっかく貸与された兵ですが、その前に私が斬り伏せます。だってあなたもまた、我ら源氏に連なる者なのだから。
――いいえ、いいえ。源氏の子供は、邨瑚凶荳クはあの日に死にました。逡ー蠖「の鬯シの血を引く忌み子として!残された方こそが鬯シだったのに!

水鏡が水滴を跳ねさせるほどに波打った。もはや形を留めておけないほどに荒れ、維持する医師の額に脂汗が浮かぶ。

――だから、私はお前を殺す。愛しい我が弟子、ライコウの名を賜りし源氏の武神。
――我こそが鬯シ女紅葉が一子、民よりこの彩葉(さいよう)の地を預かり守る鬯シ神也!

空気を震わせる叫びに、呼応するように雷火が疾る。
波打ちぼやける水鏡でかろうじて視認できるのは、火に飲まれる森だけだった。それでもこの場にいる全員が、黒髪を靡かせた麗人が長剣を構える姿を幻視した。
対峙する女武者も、腰に佩いた剣に手をかけ、低く構える。

――荒ぶる激情に身を任せ、貴様らに悪鬯シとしてこの身を焼かれようとも。これより先は何人たりとも通しはせん!
――あなたの心は受け取りました。では…いざ、尋常に。

紫の女武者の瞳に殺気が閃く。揺れる水鏡からは鋭く高い剣戟が続けて鳴り、肉の断つ音と人間の男の悲鳴がそこかしこで響く。魔法の使われない、純粋な肉体勝負。さざめく鏡で見えないからこそ、武と武の競い合いのその激しさに、かつての大戦で見た戦火を思い出したリリアの顔がわずかに青ざめた。

いつまでそれが続いていたのか、水が吹き出る音を最後に、剣戟が止んだ。遠くに聞こえていた悲鳴も消え、燃える音が部屋を包む。

――ああ。やはり、むりですね。

落ち着いた少年の声が水鏡を打つ。それを最後に水鏡は力を失い、ただの水塊へと形を戻した。





人に見られずとも、始まった夢は再生を続ける。

「なぜ、なぜですか…どうして、伯母上」

涙に濡れた声で子供のようにどうしてと泣く娘に向かって、動かない体を叱咤し男装の麗人は小さく微笑んだ。

「…子を、殺めるなどできませんよ」

放たれた突きは正確に心臓を貫き、煤に汚れた着物に鮮やかに染みていく。
麗人の脳裏に、まだ自身の腰ほどしかなかった頃の女武者の姿が思い浮かぶ。師と呼ばれ、母のように慕われ、形だけでもと請われた濃密な数年間。

「一度でも子と思ったら、それはもう我が子なのです」

霞む目に光が映らなくても、麗人には確かに女武者の顔が視えていた。

「かわいい我が娘。母になれずとも、血は繋がらずとも。たとえ、どのような姿となっても…わたしはあなたを愛してますよ」

燃える山の煙が天に届いたのか、麗人の頬に雨粒が落ちる。これなら直に山火事も収まるだろうと安堵の息をこぼし、愛しい轟雷の腕の中、土地の守り神と讃えられていた異形の麗人は静かに瞳を閉ざした。




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