紅葉の娘 | ナノ
いろは鬼 / 前日譚
01




入学式に現れた怪我を負ったその少年は、周囲より3ヶ月遅れてたった一人の入学式を行なった。見届けるのは七人の寮長と各担当教員。少年の後ろでステッキを携えたクロウリーが鏡の前を示し、その背を押した。

「では、鏡の前に」

式典服のフードを目深に被った子供が前へと足を進める。裾から伸びる華奢な手足にフードの隙間から垂れる黒髪は一見すると少女のようだ。しかし美しく伸びた背筋と一切の隙を感じさせない動作に、欠伸を浮かべていたサバナクローの寮長、夕焼けの草原の第二王子の耳がピクリと動いた。閉じていた瞳が開き、遠慮のない探るような視線を飛ばす。
その少年が鏡の奥から緑の炎が揺らめき、ぼんやりと白い面の貌が浮かび上がると、闇へ誘うような重く深い声が鏡の間に響いた。

――汝の名を告げよ。

「――イロハ」

初めて聞いた少年の声は、山奥のせせらぎにも似た清涼さを感じた。高くもなく低くもない、中性的な少年の声で短く告げられた名は聞き馴染みのない音だった。
呼ばれたわけでもないが、リリアを通じて常に少年の動向を探っていたために珍しく式典に参加していたマレウスが、口の中でその音を転がす。珍しい響きはいつか歴史書で読んだ東の大陸の方の音にも似ている気がした。

――イロハ…。汝の魂のカタチは…。

鏡が一瞬、言葉を止めた。炎を揺らめかせ、探るように面の黒い窪みが形を変える。

――…カタチは無い。否、魂が…魔力の波長はあるが、カタチが見えない…この世界の生物ではない。よって、どの寮にもふさわしくない。

集められた七人の寮長達に動揺が広がった。どの寮にも相応しくないと告げられた生徒は見たことがない。動じる様子のない教員達にどういうことだと訝しむ彼らを置いて、少年がクロウリーへ振り向いた。フードの下から覗く白く透き通った口元が小さく開かれる。

「では学園長、この身は規定通り廃止となった寮に」
「ええ、そうなります。準備をしなければなりませんね」

集った寮長達へ丁寧に礼をした少年がクロウリーに連れられて鏡の間を出て行く。クロウリーの代わりに代理で一番年長の教員が少年の説明のためこのまま会議室に集まるよう告げる中、声を上げようとしたマレウスを引き止めたのは、影に隠れていたリリアだった。

斯くして炎の中から現れた少年は、八つ目の寮、かつて廃止された――通称オンボロ寮の、たった一人の寮生にして寮長の座を与えられた。





火を吹く魔獣に、懐かしい過去を思い出したリリアが隣に佇む長身痩躯の麗人を見上げた。くふくふと笑う小さな妖精に、麗人――イロハが瞬きを返す。

「おぬし達の式典を思い出すのう」

下からだと良く見える東洋的な美貌は、かつてマレウスが見た双角は影も形もなく陶磁のような滑らかな肌があるばかりで、黒髪の隙間から覗く黄金と言われた瞳も今は紅玉のような色彩を放っていた。
たった一人のオンボロ寮の寮長となったイロハを見た瞬間、リリアは瞬時に同族だと判断していた。角も隠し瞳の魔力も消し、上手く人として振舞っているが、そこから滲む気配は紛れもなく人ならざるもの。リリアより色濃い、ともすればマレウスよりも濃い、濃密な闇の魔力。

「リリア。あの子供、私と同じように引っ張られたんじゃないのか?」

鏡の前でかつてのイロハと似た問答をする子供に、その本人であるイロハがこっそりと囁いた。前例が既にあるのだから、リリアもその考えには同意した。
イロハと似た系統の東洋的な涼しげな顔立ちに、似たような黒髪のぼんやりとした子供。クロウリーは多分気がついていないだろう。あれにとって人の顔の違いなんぞ、心に決めた尊い主人を除いて、なべて同じ虫を見せられているようにしか見えていないのだから。リリアはまた愉快な事になるとニンマリと小さな口を歪めた。要請とは、古来より面白いことが好きなのである。

「もしかして、私の後輩になるのだろうか」

仄かに頬を染めたイロハに、リリアは笑みを深めた。
そうなったらきっと、次期妖精王が悋気の嵐を呼ぶだろう。





少し肌寒い入学式から時が過ぎ、冬を越え、春も終わり新緑が眩しい季節となった。

少年――イロハがオンボロ寮に配属されて以来、マレウスは足繁くその廃墟のような小さな洋館へと訪れていた。
ゴーストが住み着くその洋館は、見た目に反して案外中は綺麗に整えられている。マレウスが個人の財産を使い寄付したのもあるが、怪我人を住まわせるのだから当然のことだと教職員全員で考えて内装を手配した結果、魔力で上下する階段に全部屋対応温度自動調節機能付きの暖炉とほぼ完全バリアフリーの超快適空間へと生まれ変わった。外観がそのままなのは周囲の環境に合わせてのことだが、教員全員で厳重に重ねがけした防犯魔法により、吹けば飛びそうな見た目に反しておそらく学長室よりも堅牢な護りとなっている。
そこに住むこととなったイロハの方も、身を呈して炎の中から救い出し止血をしてくれた恩人としてマレウスのことを好意的に見ているようで、突然深夜に散歩と称したマレウスが訪れても嫌な顔一つせずに受け入れている。次期妖精王へ向ける敬意と恩人への好意、そして学友としての気安さを上手くまとめ、適度な距離感で人との接し方初心者のマレウスを上手くリードしてくれているイロハは、リリアにとっても好ましい友人であった。

長く垂れていた黒髪を後頭部の高い位置で結い上げた、まさしく麗人のような少年の姿をした友人をじっとリリアは観察する。伏せられた紅玉の如き赫灼の瞳はテーブルに並べられた茶菓子を熱心に見つめている。陶磁のように滑らかに磨かれた肌は、傾国の姫君もかくやという美しさだ。
どうやら、自身の戴く王は、オンボロ寮のこの麗人へ一目惚れをしてしまったらしかった。直接言葉にできてはいないようだが、心の機微に聡いイロハはきっと気がついているのだろう。
自覚して以来、マレウスはほぼ毎日のように逢瀬を重ねようと訪れている。入学当初から足繁く通ってはいたが、ここのところは毎晩だ。それでも律儀に就寝前には戻ってくるので、在学中の過ちは無さそうだとリリアは密かに胸を撫で下ろしていた。
在学中に異世界から来た運命の番なんて後の世で美談にはなるが、生きているうちはいささか外聞が悪い。
そして王の臣下としては下手に突いてまだ情操教育が不完全なマレウスを暴走させないのは有り難かったが、この麗人の友人としては、その真意が些か気になるところではあった。しかも、先日はついに角を見せてもらえたとまで言っていたのだから、尚更だった。

「イロハ、おぬしマレウスに見せたらしいの」
「…ああ、うん。見せたよ」

何を、という顔で茶菓子からリリアへと視線を滑らせたイロハが、気まずそうに笑った。

「私、妖精種とも少し違うと思うんだけど…こっちではこういうの珍しいのかい?すごい触るし、私のに彼、角擦り付けてきたんだが…」
「ブッフォァ!!」
「リリア!?」

角を擦り合わせたと聞き、リリアは思わず紅茶を詰まらせた。鼻に沁みて涙を浮かべながら、ぎょっとした顔でイロハを見る。美しい白皙の美貌に焦りを浮かべ、リリアに品の良い白いハンカチを差し出した。

どう聞いても完全に求愛行動だった。ドラゴンにとって角とは強さの象徴だが、種族にもよるが大体は神経が通っており非常に大切な部位に当たる。それを擦り合わせるのだから意味は推して知るべしというものだ。不幸中の幸いというか、種族の違いゆえか全く伝わっていない様子にリリアは心底胸を撫で下ろした。

マレウスの場合、恋人にするということは、つまり嫁に迎えるということでもある。古来よりドラゴンは愛情深く、同時に執心深い。
それに当たり、まずマレウスは重鎮達による反対の心配している様子だが、正直リリアはあまり心配していなかった。この世界における基準で言えば間違いなくマレウスが上位ではある。しかし、リリアはその豊富な知識と世界を旅した経験から、彼女の血筋を東方に伝わる神に連なるものと見当をつけていた。角の形状は茨の谷では馴染みのない額から生える形態ではあるが、中々生まれない有角種の中で、マレウス同様の更に珍しい双角の血。人との混血とは言え、古来より神は人に子を産ませることが多くある。オンボロ寮の麗人がいた世界も同じだとすれば、片親のどちらかが祝福を受け、彼女もそれを継いでいると推察できる。

もし、その通りであるとすれば。
リリアよりも年を重ねた毒のような老獪な妖精達とて嫁に貰ってやる、などの言い草はできないだろう。何せ、その身に宿す神秘が違う。地上に神が居た頃の、現代より遥かに魔力濃度が高い時代だ。権能の如き力で言えば間違いなくこちら側が「降嫁していただく」と呼ぶべき存在である。
だからむしろ恋愛初心者かつ心の機微に疎い、そも情緒が発達していないマレウスの方こそ、何かの拍子に機嫌を損ね捨てられてしまうのではと、それがリリアは非常に心配であった。

「イロハよ、どうかこの先もマレウスを頼む」
「…? ああ、任された」

きょとんと紅玉の瞳を丸くしたイロハに、リリアはいつものニンマリとした笑みを浮かべる。夢の国ではあるが、ここは捻れたヴィランの学園。当然リリアもマレウスも属性は悪であり、加えて闇の眷属でもある。
今、リリアは古い妖精として言質を取った。本人が気がついていないのであれば、そのまま捕まえてしまえばいい。




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