紅葉の娘 | ナノ
いろは鬼 / 前日譚
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火を吐き駆け回る魔獣の幼体と人の子を見たリリアは、三年前の式典を思い出していた。
学園長であるクロウリーの手により一切の記録は残っていないが、マレウスが入学した年も実は同じようにハプニングがあった。同じようにと言うには、些か血なまぐさいものではあったが。





種族的にもあまり外には出ない茨の谷の時期王の入学式典。それも、魔法力は指折りなのに情緒がイマイチ育まれていない妖精と来れば、かつてないほどに警備や諸々に金も時間もかけた式典であった。二年前に行われた夕焼けの草原の訳あり第二王子以来の念の入れようだったと学園長は語っている。
その学園史に残るレベルの式典で、最後の一人が中々出てこないと閉じられた棺に学園長が近づいた瞬間、棺の蓋が爆発するように飛び炎が噴き上がった。炎感センサーが起動するより早く学園長が魔防壁を展開するも、隙間から溢れる炎により鏡の間に熱風が広がり、瞬く間に周囲を紅蓮の炎で包み込んだ。消火魔法が間に合わない速度の延焼と熱風が襲う。鼻の効く一部の者は僅かな血臭に青ざめていたが、転移魔法に紛れ込んだ敵襲を疑った学園長や教師陣、そして一部の上級生が先んじて防壁を展開した学園長に続くように防御魔法を展開させる。式典の警備に茨の谷の元軍属として一枚噛んでいたリリアはまさかの事態に一瞬呆けた顔を見せたが、染み付いた流れるような動作でマレウスを背にして魔法を紡いだ。
しかし、リリアの結界が展開するよりも早くマレウスは飛び出していた。

「待てマレウス!!」
「ドラコニア君!?」

――同胞だ。
マレウスがうわ言のように呟いたその言葉はリリアの耳にまで届いていた。
驚いたリリアと学園長が同時に叫ぶが、マレウスは迫る炎を魔力の放出により生じた雷で相殺し、迷うことなく真っ直ぐ炎の中へ飛び込んだ。その黄緑の瞳は同胞の血が流れたことによる怒りからか、常よりも瞳孔が裂け炯炯と輝いている。鼻が曲がりそうな火薬と死の匂いに気を取られていたリリアは感じられなかったが、僅かに香る鉄の匂いを、次期妖精王たるマレウスの優れた五感と直感が同胞のものだと断じた。

「ええい、仕方がないのう!」

基本気まぐれが多い妖精族の中でもドラゴンという種は思慮深く理性的な者が多い。執心深いとも言えるが。特にマレウスはそのドラゴンの中でも群を抜く思慮深さを備えているが、いかんせんまだまだ若いゆえに、すぐ激情のまま動き出す。リリアはその若さを好ましいと思っているが、しかし、これでは何のための護衛兼お目付役か。次代の護衛二人がまだいない分サボる暇がないリリアは、水魔法で薄い膜を生成しながらやや遅れてマレウスに続いた。

「ヴァンルージュ君まで!?」

飛び込んだリリアの背後で、学園長の叫び声は水蒸気と炎によりかき消された。


 ◆


膨大な魔力で雨雲を作り出したのか、リリアがマレウスの元にたどり着いた頃には火元の近くは既に鎮火していたが、燻る熱で石畳が赤く色づいている。

「マレウス!!」

式典服を焦したマレウスの腕には、血がこびりつき煤けていても分かるほどに美しい、どこぞの姫と見紛う射干玉のような黒髪の少年がいた。うっすらと開かれた瞳は赤く、苦しさからか、はくはくと口を動かしている。服も焦げ付き破れてはいるが、見るものが見れば一目で上等なものとわかる生地と装飾だった。

「リリア、傷を塞いだのに血が止まらない」
「っ…弱った子供にこの熱は酷じゃ。マレウスは疾く転移魔法で…いや、なんじゃこの炎?」

よく探ってみれば、魔法を跳ね返すような性質がある。古い呪詛の気配に、自然とリリアの顔に暑さとは違う汗が滲む。

「リリア、この炎はなんだ?魔力の壁で邪魔をされてしまう」
「…ワシが水魔法で道を示す。マレウスは早く外へ出てその子供を医者へ渡すんじゃ。良いな?」
「わかった」

言いつけを守らなかったことを思い出してか小さく頷いたマレウスにリリアは安心させるように微笑み、冷たい水の魔力を練り上げた。

「説教は後じゃ。くふふ、そぉれ、遊んでやろう!」

人魚のような水の眷属や水を生み出すようなユニーク魔法でない限り、水魔法は基本的に既にある水や大気中の水分を集約させる魔法である。そのため、炎上し乾いた空気という場は闇の眷属にとって非常に不利な条件だが、リリアはそれを感じさせないほどの高濃度の水魔法を放った。

「行けマレウス!アクアウェーブ!!」

大蛇を模した強大な波が炎を飲み込み、道を開けていく。少年を抱えたマレウスが続くように駆けた。





薬品の匂いが染み付いた白い壁紙に覆われた部屋、その奥にカーテンを引いたスペースで、リリアはマレウスを下からじっと睨めつけた。
全治数時間の軽い火傷。古い呪いの滲む炎だったからこそ、高い魔力抵抗力と古き水の素養を持つマレウスはそれだけの軽傷で済んだとも言える。

「よいかマレウス。もし次似たようなことが起きても、お主自ら出てはならぬ。…その理由は分かるな?」
「…分かっている。だが、あの時は僕にしか分からなかったのだから、僕が行った方が早かった」

ふい、と顔を背けた時期王にリリアは諦めたように息を吐いた。確かに、クロウリーですら手を焼いた炎であるならばあの場ではマレウスが飛び込むのが正解だった。ただし、マレウスが茨の谷の時期王でさえなければとつくが。

「リリア、あの子はどうなった」
「どうにも酷い裂傷と火傷だったようでな。急ぎ医者を呼び、トレインの伝手で輝石の国の病院に転送させたと聞いておる。もうしばらくは入院だろうて。…しかし、マレウスがすぐに塞いだおかげで治りは随分早くなるじゃろ」

肌の色がわからないほど血濡れの体を思い出したのか、マレウスの顔に悲哀が浮かんだ。目を覚ますかどうかは子供の体力次第ではあろうが、それでもすぐに止血をしたのは正しい判断だったとリリアは思う。あれ以上の出血はそれだけで命を奪いかねない。

「棺から現れたということは、あの子も入学するのだろう?寮に部屋を用意しておこう。僕が助けたのだから、僕が世話を見る」
「マレウス、もし妖精だったとすればおそらくディアソムニアであろうが、違うこともあるのを忘れるでないぞ」

む、と押し黙ったマレウスの腕を取り、包帯を外していく。赤く熱を持っていたことで念のためと手当をされたものの、白い包帯の下はきっともう滑らかな肌があるだけだろうことは予想できていた。

「…リリア。僕が棺から抱き上げた時は角も生えていたし、瞳は黄金だった」
「えっ、何じゃと?」

包帯を外していたリリアが弾かれたように顔を上げた。

「僕やお祖母様のものとは違ったが、稲妻のような線が走る美しい双角だった」

マレウスの網膜に焼き付いて消えない、子供の恐らくは真の姿。
額から生える双角は雄々しくも優美な曲線を描いていた。竜の角や地上に住まうどの種族とも異なる、黒曜のような生え際から紅玉のように透き通るその切っ先までの濃淡の変化の中、雷のような線が走る様はまるで至宝のようだった。黄金の瞳は満月のような静謐な輝きを湛え、蜜のように潤んだその奥には炎が揺らめいている。
あの輝きを、熱を、腕の中に収めてずっと眺めていたいと思うほどには、マレウスにとって好ましく映っていた。

捻れた世界とは言え、さすがは夢の国の男であるとつい褒めそやしたくなるほどの熱量だ。
歌うように紡がれたその詳細に、王家と同じ双角の多分竜種というだけでも衝撃だが、それよりもとリリアは思案した。子供が少ない妖精族の中で、特に珍しい竜の因子を持つマレウスは大切に育てられ随分と素直な性質に育ったが、それでも王族として軽々しく口にするべきでない賛辞や謝辞は心得ている。自然に近い豊富な魔力はそのつもりがなくとも簡単に呪いとなり、時として不幸な結末を生むと知っているからだ。
だからこそ、そのマレウスがここまで称賛し好意を口にすることは生まれて初めてではなかろうか。心なしか黄緑の眼は潤み、頬は淡く色づいている気がする。
これはもしや、もしかすると、もしかするのではないか。古来より妖精は好意に関しては敏感である。だってその先には愉しいことが詰まっているからだ。淡い春の兆しを感じ、リリアはつい、緩む頬に力を入れた。




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