紅葉の娘 | ナノ
いろは鬼 / 
食事会



 灯りを落とした屋内はやや薄暗く、水を通した光が頭上から降り注ぎベールのように揺れている。整然と並べられた曇りのないシルバーに、机を覆う純白のクロスは何処ぞの高級ホテルのようだ。空間をクラゲのように揺蕩うのは、魔法がかけられたガラスの蝋燭。それに照らされた食器がきらきらと輝き、夢のような空間を演出していた。コンセプト通り、まさに海底の宮殿のようだ。
 瞳を輝かせ熱を帯びたため息を吐く監督生に、クロウリーは仮面の下で薄く笑みを浮かべた。二つの黒真珠がきらきらと星を散らす様を目を細めて眺める。隣に座る麗人はプリズムをクロスに映しながら、ルージュのような赤い液体の入ったグラスを揺らしている。
 二人とも喜んでいるようで良かった。以前、クロウリーが愛用しているブランドの婦人服を送ったところ、監督生が値札を見てしまい金額に仰天し卒倒したと、麗人が寮長の杖を抜いて学園長室まで伝えに来たのだ。
 かつて高貴な人間に仕えていた経験があるクロウリーは、人間種の貴族的な習慣が一通り身についている。故にノブレス・オブリージュとばかりに、現状無一文の二人オンボロと名付けられた旧き寮の生徒達へ、足長おじさんよろしく様々な援助をしていた。それは食事やティータイムの誘いに始まり、自分の買い物ついでという体での日用品の買い出しと多岐に渡る。普段のこれ見よがしな言い方が鳴りを潜めたそつのない誘い方は、慎ましやかで遠慮がちな監督生(寮長イロハのパトロンの顔色)を思ってのことだ。
 今回はクロウリーが少し奮発して、モストロ・ラウンジのコース料理に舌鼓を打っていた。
 いつもならグリムもいるが、今日はハーツラビュルでパジャマパーティーをするらしく欠席となっている。経費にと渡しているカードの履歴にツナ缶と宅配ピザが紛れ込んでいたので、クロウリーはこっそりとトッピングを追加してやった。夜更かししてジャンクフードを食べるような悪い子にはつい、甘くなってしまう。
 義務感から始めたことだったが、うら若い少女と見目麗しい佳人と会話をし食事を共にすることは仕事でやさぐれた独り身には存外楽しくもあり、今や癒しのひと時でもあった。何せ彼女達、手を焼くような悪い子ばかりの中で驚くほど良い子なもので。捻てなくて素直と言うだけでも、ここナイトレイヴンカレッジでは教師からの好感度が上がる。
「そういえば、あなた方の所では成人は何歳からなんですか?」
 クロウリーがふと、疑問を口にする。
 楽しい食事会ではあるが、今日に限ってスタッフの配膳ミスにより、麗人は教職員用の度数高めのカクテルを飲んでしまった。それも、酒豪クルーウェル御用達の結構なものを。
 麗人の学友でもある茨の谷の妖精達のように、生きた年数が人と異なることを知っているため身体への影響はあまり心配してはいなかったが、しかしその本人があまりにも素面な様子で。しかもいつ頼んだのか新たに葡萄酒なんて揺らしている。二十歳を迎えた第二王子ですら飲酒は控えていると言うのに、随分と堂々たる犯行である。漂う芳醇な香りに釣られ、クロウリーもつい先ほど一つ頼んでしまった。間違えてグリーンティーが運ばれたクロウリーは甘い渋みと茶葉の香りを堪能しつつ、首を傾げた。異世界の成人は幾つなのだろう?
 麗人の視線が隣へ向けられる。美しい紅玉の瞳とかち合った監督生は、仄かに頬を染めた後クロウリーを見た。
「私のところは二十歳からですね。もう少し早めようという動きもありましたし、国によっても変わります」
「今のこちらとあまり変わりませんねぇ」
「はい。法律とか、たまにこっちはヘンテコなものもありますけど、基本的なところはそう変わらないみたいです」
 だから魔法具以外の不便はないと微笑む監督生。それは良かったと返す傍で、クロウリーは校内の魔力で作動するポイントをもう一度洗い出した。伝統ある古い校舎のため、時折残っているのだ。魔力を通さないと動かないドアが。麗人の入学の際、間違いがあってはならないと今まで放置していた空き教室から準備室、果てはロッカーまで、残っていた古い魔法施錠術式を最新のマスターキー対応のものへと一新させているが、いかんせん古い城である。麗人が鍵を物理的に破壊できることもあり、その全てに手が回っている訳ではなかった。
 小さな常識の差異や不便はいずれ不満へと変わり、積もり積もるとろくなことにはならない。だからこうして、食事時のおしゃべりとしてクロウリーは監督生の世界の情報を聞き出している。
「あの、先輩の話も聞いてみたいです」
 赤いルージュを引いたような唇が薄く開く。「私の?」首を傾げた麗人がグラスを揺らすと、監督生は伏せ目がちに頷いた。
「私も少し気になりますね」
 クロウリーは麗人の過去の殆どを知らない。水鏡で盗み見て以降、教師陣の中では決して触れてはならないことのリストに加えられている。麗人も積極的に語ることはなく、ぽつりぽつりと懐かしむように語られるひとひらの栄華の記憶が、こうした食事時に溢れる程度だ。
「そもそも成人という概念が薄かった気がするな。貴族では十代で出仕……ええと、宮仕えをする者が多かったので。私も、裳着も元服も早くに済ませているし」
「モギ? ゲンプク?」
 一応は同郷と判明している監督生へ、クロウリーは流れるように目を向けた。現代に生きる監督生と違い、明確に異なる時代から来たと自覚している麗人は現代で聞かない言葉があれば丁寧に説明をしてくれるが、時折さらっと知らぬ単語を流してくる。
「ええと……裳着は女子、元服は男子の儀礼のことで、洋風に言えばデビュタントでしょうか? 先輩の時代から推測するとおそらくどちらも十から十五歳程度かと」
「うーんそれは子供ですねぇ」
 少女の年に嫁いだ隣国の姫君や、少年王の話を思い出す。どちらもクロウリーがまだ主人を戴いていた頃のことだ。つまりかなり昔。どう聞いても未成年であった。
「その頃はまだ都にいらっしゃったんですか?」
「ああ。元服は都落ちしてからだけど、裳着はもっと前だったから京の屋敷で行ったよ。と、言っても母は正室ではなかったからね、数人の使用人がいるくらいで、父も来なかった。あ、でも異母弟はいたかな?」
「異母弟?」
「源満仲。ユウが教科書に載ってたと言っていた、頼光殿の父上だよ。父の経基とは折り合いが悪くてね、よく別邸(うち)に家出していたんだ」
 当時を思い出しているのだろう、目を細めた麗人が薄く笑みを浮かべる。
 皇族の出であり後に源氏に生まれる頼光のような武士ではなかった経基は、兵を率いる割に本人は非常に臆病な質であった。それが武官としての才があった満仲には不満だったのだろう。裳着を終えて直ぐに起きた呪詛騒ぎにより、麗人は異母弟の元服を見ることもなく都から追い出され、母鬼に手を引かれながら山村へと逃げ隠れた。鬼として斬られた実弟の亡骸を、置いてけぼりにして。そうして続く討伐隊の結成と粛清で母鬼も失った。麗人が次に異母弟と会ったのは、彼の娘を引き受けた時。
 青紅葉が美しかった別邸の記憶を残す者など、もうどこにもいなかった。
「結局、一緒にいたのは一年(ひととせ)ほどかな。都と言っても別邸は山に近かったし、貴族の子女らしい華やかな暮らしではなかったよ。知っての通り、源氏は武士の家になるからね。一緒に武術を習ったり、蹴鞠をしてみたり。特に面白みはないだろう?」
「そんなことはないです。あなたが生きていた時代の話を聞けることは、私にはとても得難いことなんです」
 監督生はそう言うと、そっと目を伏せて微笑んだ。誰にも言わず秘めていたが、監督生は知っていた。鬼女彩葉の御伽噺を、その伝説の一端を。人を愛した、優しい鬼女のことを。
「私、イロハ先輩の大ファンですから」
「なんだい、それ」声を上げて笑う麗人は、楚々とした姫でも、冷然とした武人でも、厳格な長の顔でもなかった。



20211225

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