遍く照らす、 | ナノ

遍く照らす、 / 火群の瞬き




次にアマネが目を開けた時、そこは冷たい地獄の最下層のような場所ではなく、濡れた薄闇を琅色の光が柔らかく照らし上げる神秘的な洞窟だった。
赤や黄色の鉱石が光を反射し、キラキラと輝いている。
仰臥している身を捩ると、とぷりと小さな水音が立ち、跳ねた飛沫が顔にかかった。
どうやらどこかの地底湖に連れて来られたらしい。
首を岩の淵にかけ、そこから下の身体は温い羊水に浸かるように水中に揺蕩っている。水に浸かっているからか、不思議と全身を這うような痛みは和らぎ、血の匂いも薄まっているような気がした。

「ここは……」

喉が焼けて嗄れたような声ではなく、いつもの自身の声が出たことに驚く。水圧による圧迫感はあれど、息を深く吸い込んでも肺を刺すような痛みは一向に走らない。水面から上げた腕はやはり重たいままだが、そこに走る裂傷や熱傷は洗い流され、赤い線を残して塞がりつつある。地の底に蹲っていた時とは雲泥の差だった。
次にアマネは指先を動かし、手を開いたり閉じたりを繰り返す。動かす指の本数、角度を変えて念入りに確かめる。脳が命じた通り、思い描いた通り、寸分たがわぬ動きを返すことに安堵した。
……これなら、戦えそうね。
アマネの銀灰の眼に闘志の火が灯る。
一時は削がれた戦意だったが、共に果てる覚悟は疾うにできていた。次こそは必ず首を取る。生存競争とは無縁の龍は、戦い方を知らない。神と崇める事を止めた人間の、排斥すべきモノとして見做した時の非道さも汚さも知らない。
しかし問題は、今度はおそらくアマネ一人では斃しきれないかもしれないことだ。各個撃破となればきっと、今度こそアマネは神の如き権能にも抗い、災禍を呼ぶ風も雷も打ち払い首級を上げるだろう。
しかし古龍を、それも二体が巡り会う前に自力で居場所を捜索できるほどの能力も設備もアマネは持っていない。ウツシのように目も勘も良ければ、或いはヒノエ達のように共鳴する力を持っていれば可能だったかもしれないが。
古龍予報や観測を生業としている者がいることは知識としてあるが、二体が邂逅する方がおそらく早いだろう。だからきっと、次にアマネが相対する時は風神龍と雷神龍の同時討伐となるであろうことは予測がつく。
惜しくも逃した龍の背を思い浮かべ、そして一年中桜が咲き誇る故郷を想い、アマネは目を伏せた。
里へ帰り、ギルドからの沙汰を待つしかないのか。しかし、里の命運をかけた戦いの討伐失敗という結果が、里を取り巻く状況が、アマネに戻ることへの選択を躊躇させた。
失敗を理由に、万が一にも里へ迷惑をかけることがあってはならない。
基本的にギルドを通した依頼で発生した損害は受注したハンターには無関係の話ではあるが。その規則があったとしても、アマネは自身が身を置く組織に対して、微かな猜疑心と不信感を抱いていた。
たとえ雷神龍の討伐に成功していたとしても、今度は英雄信仰に傾倒する者への餌にされるだけであることがわかりきっていた。誰かから言われた、まるで英雄のようだという言葉が今になって過ぎる。
そして、カムラの製鉄技術、武具の生産技術は大陸中の知るところでもある。
恩を売ってその技術を取り込もうと、時には奪おうとする大陸中の目がカムラには向けられている。交易商を名乗るロンディーネも、結局本人が本来持つ清廉潔白な気質も合間って逆に里に馴染んでしまっているが、元々は大陸からカムラの技術を狙い訪れた者の一人だ。
そのカムラの里出身で専属のハンターが雷神龍を仕留め損ないあまつさえ逃したとなれば、管轄以外のギルドからも何と言いがかりをつけられるか分からなかった。
生態の一切が不明の古龍の番。数多のモンスターを狂乱させ、凶暴化させ、群を作らせるほどの能力を持った種の、繁殖期。最早、事はカムラだけの問題ではない。少ない人間種同士ではあるが、ハンターズギルドが一枚岩ではないことくらいアマネも知っている。ギルドマネージャーであるゴコクを通さず、わざわざアマネただ一人を指名して討伐を依頼したことが何よりの証左だ。
……進むも地獄、戻るも地獄ね。
言葉は音にならず、ため息と共に吐き出された。

これからどうするかアマネが思考の海に沈んでいると、地面を伝い響くような足音が聞こえた。
意識を現実に戻し、思考を止める。身を起こすと、僅かに濁った薄茶の水が波を打つ。身を沈めていたそこは思っていたよりも浅く、アマネの腰上までの水位だった。
頭を置いていた窪みのすぐ上に、大小様々な果実と木の実が積まれているのが目に入る。そしてその傍に、無造作に置かれた装備していた武器。愛用していた怨虎竜の片手剣。手に取ると、乾いた血がこびり付き柄の濃紫を黒く染めていた。
その間にもモンスターの足音のような振動は少しずつ近づいてくる。
改めて周囲を見渡すと、そこはアマネが身を沈めていた地底湖を中心とした半円状の空間だった。出入り口は正面にある、成人男性二人分の高さほどある段差の上に空いた穴が一つだけ。
不意に、足音が止まる。

「……、」

半歩足を下げ、どの方向にでも回避ができるよう腰を低くする。音の主が止まったのはアマネからは死角になっている穴の奥で、姿は見えない。
暗い洞窟の奥、影が揺らめいた。気を張り詰めたアマネの目が鋭さを増し、纏う空気が冷える。
空気が揺れ、再び足音が響く。すると、暗がりの奥から薄ぼんやりと紫色に光る、蛍火のような火の粉が現れた。それは足音と共に集い、次第に大きな鬼火へと姿を変えていく。

「マガイ、マガド……? やはり、でも、どうして……」

鬼火と水光に照らされて現れたのは、アマネの決死の特攻を邪魔立てした怨虎竜だった。
しかしまだ若い個体のようで、アマネが打ち倒した個体と比べると、纏う鬼火の量も身体に刻まれた傷も少ない。
十字の尾をゆったりと揺らしながら怨虎竜は足を進める。岩の縁に辿り着くと、身を乗り出し、水に浸かるアマネを見下ろした。薄闇に、鮮やかな浅葱の眼光が淡く浮かび上がる。

「お前、私を助けたの?」

問いかけると、怨虎竜はまるで人語を解しているかのようにグルル、と喉を鳴らす。そして、口に加えたものをアマネへ向かって放った。弧を描いて手のひらに収まったそれは、拳大ほどの大きさの果実だった。熟れているのか甘い芳香が漂う。匂いにつられ、腹が小さく鳴った。思えば、雷神龍との戦いの直前に補給した携帯食料が最後の食事だった。
食べても良いものなのだろうか。アマネが怨虎竜を見上げると、地に伏して前脚に顔を乗せ、瞳を閉じていた。怨虎竜はそれきりピクリとも動かない。警戒はそのままに、アマネは岩の縁に腰掛け置かれた果実を手に取った。



アマネが遠慮なくその果実を食べ、解けた防具も装備し直した頃。
怨虎竜はようやく起き上がり、尾の十文字に鬼火を灯し暗い洞窟へ踵を返した。その後を追い外に出ようとアマネが泉から上がろうとすると、途端、怨虎竜は唯一の出入り口を塞ぐように、鬼火を放つ。
つきりと痛んだ足に顔を歪めたアマネを、怨虎竜の浅葱の目がじっと見つめた。鮮やかな青と薄い銀灰の視線が絡み合い、暫し互いに睨み合う。
結局、先に折れたのはアマネだった。
目を逸らし、再び泉へと身を沈めた。それを見届けた怨虎竜は低い唸り声を残し、足音を響かせながら去っていく。
後に残された紫色の鬼火が琅色の光と混じり、青白く洞窟の壁を照らし上げた。
ふと、里近辺の地理を思い出す。地底湖、温水、薬湯と来れば、里と文化を同じくするユクモ村の、体力を回復させ病気治癒に効く温泉が真っ先に浮かぶ。大陸中から観光客やハンター、果ては貴人までもが湯治に訪れるという、怪我や病気すら癒す秘湯の噂はカムラにも届いていた。

「……まさか、治るまで出さないつもりかしら」

その予感は、程なくして的中することとなった。
泉に仰臥し回復に努めるアマネの元に、おそらく一日三回、怨虎竜は果実や木の実を運んだ。傷が完全に癒えるまで続いたその給餌行為に、アマネは次第に警戒を解き、怨虎竜と共に狩りをするまでに仲を深めた。
そこで、食性が肉食であるにも拘わらず、食用可能な植物を多く知っていることの理由を知った。アマネを助けた怨虎竜は壊滅的と言っていい程に狩りができなかった。自らに武器となる爪があることすら気付いていなかった有様だ。
親の個体はどうしたのか、そう問いを口に出そうとしたアマネの脳裏に自分が斃した怨虎竜の姿が脳裏に過ぎる。時折アマネを見上げる色のない浅葱の目を思い出した。
おそらく自分の分の食事をアマネに分け与えていたのであろう。日に日に痩せていく、平均から考えると小さな体躯に、せめてものお礼にと鈍った身体を元に戻すくらいのつもりで狩りの基本を教えた。
やはり怨虎竜の子は怨虎竜と言うべきか。イズチの群れすら狩れなかったその個体はアマネの立ち回りを真似するうちに、下位相当の大型モンスターまでなら辛うじて一人でも狩れるまでに狩猟の腕が上がっていた。

今日も単身飛竜に挑む怨虎竜を大きな岩の上から眺める。鬼火の扱いはまだ拙いが、アマネの知る怨虎竜の動きに日々近づいている。空を駆けた紫の炎に、別れの時が近づいていることを感じた。
……そろそろ引き際ね。
足を引き摺る飛竜を見て、アマネは静かに翔蟲で空を翔んだ。尾の十文字を叩きつけ、瀕死となった飛竜の柔らかい部位を生きたままに貪り始めた怨虎竜の側へ、音もなく下り立つ。
いつもは食事が終わるまで見守っているアマネが現れたことに、怨虎竜は何事かと咀嚼していた腑から口を離した。
煙るような濃密な血の匂いにも眉一つ動かさず、アマネは口を開いた。

「お前は大丈夫そうだから、私はもう行きます。……もし、私と姿が似ている人を見ても近づいてはダメよ」

血で濡れた頭をそっと撫でる。伏せられた浅葱の双眸から目を逸らした。
そうして踵を返し森へと翔けると――追って来る足音に、アマネは再び着地して振り向いた。
アマネの後を追い地を駆けた怨虎竜がグル、と喉を鳴らす。まるで連れて行けとでも言うかのように、浅葱の双眸がアマネを見つめる。
……親と思われているのか、それとも……。
アマネの武器は、アマネが倒した怨虎竜から剥ぎ取った素材で誂えられている。
偶然にも龍宮砦跡の地下にいた怨虎竜。繁殖期のおそらく未成熟の無精卵を抱えているであろう、瀕死の雷神龍。かつてゴコクから聞いた古龍の躯には膨大な力が残されるという話。態々助けた、雷神龍を斃しかけた死に損ないのハンター。
それらが混じり、アマネの中で一つに繋がった。

「お前、もしかしてあの古龍を食べるつもり? あの程度の狩りの腕では逆に喰われるわよ」

肯定も否定もなく、アマネを見る浅葱の目は変わらず温度の無い眼差しで、かつて怨虎竜を打ち取ったハンターを見つめた。
視界の端で鮮やかな紫の鬼火が舞う。
きっと。あの明るく朗らかで、少し血の気が多い里の人間達であれば。生きていて良かったと、また倒しに行けば良いと励まし迎えてくれるだろう。その様子が手に取るようにわかる程、アマネは多くの時間を過ごし共に心身を火群に染めている。
だからこそ、もう戻れないことに気が付いた。

「そう……なら、ついて来なさい。二体の古龍を斃すまで、私とお前は――」

葉擦れの音に消えるほど密やかに囁く。
怨虎竜の纏う鬼火に紛れて、その吐息に薄紫の靄が混ざった。



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