遍く照らす、 | ナノ

遍く照らす、 / 禍群の唄
02



 一面の灰色の闇の中、落ちる灰に逆らうように人影が浮かんでいた。薄ぼんやりと光る雷狼竜の面が、縄張りを監視し睥睨しているようだった。
「思ったより見つかるのが早かったな」
 降り止まぬ灰に閉ざされた森の中にある、一際高い枯れ木の上からウツシは山麓を見渡しそう呟いた。
 少し前から感じていた、森を囲む数多の気配は着実に近づいている。虫達のさざめきは冷たい風に運ばれてウツシの耳にも届いていた。
 元々予想していたことではある。これほどの異変であれば、淵源の時のように必ずギルドは原因を断つべく動くことは分かりきっていた。
 本来は動かないアマネを抱えて世界中を移動する予定ではあったが、天候と環境の異変から洞窟内での籠城に変更していた。下手に移動して先回りされるより、迎え撃つ方がウツシのーーカムラの里の得手であったからだ。
 ごうごうと耳を叩く風の奥で弦を擦るような低い音が微かに聞こえると、どん、と地響きに枯れた木々が倒れる音が静謐を裂いた。
 討伐隊が来ると予測した方角に仕掛けて回っていた起爆装置の一つが作動したのだ。「ついに始まっちゃったなぁ」少しの罪悪感が混ざる暗澹たる気持ちが口からこぼれる。それに、自嘲するようにウツシは緩く頭を振った。
 風に乗って聞こえる音が一層大きくなる。「ああ、そうだね、愛弟子。俺が始めたことだった」
 アマネを殺さずに逃げ続けることを選んだのはウツシ自身だ。この世全てを巻き込んでも、当の本人から殺してくれと懇願されても、我を貫くことを選んだのだ。
「たとえ世界中が敵になったとしても、俺だけは味方でいると決めていた。淵源を断てと指名されたその時から」
 呼吸をするように仄かに発光する繭を、真珠を砕いたような鱗に覆われた彼女を、爪痕の古傷が残る愛弟子を思い出す。
 視界を悪くする灰が濃くなる。それでもウツシの目には、倒すべき人間達がよく視えていた。
「俺はカムラのウツシだけど、アマネの教官(こいびと)だからーー」
 絶対に殺させない。
 灰色の闇の中へ、黒い襟巻きをたなびかせた人影が碧い軌跡を残しかき消えた。
 次の瞬間、音も立てずに舞い降りたウツシが周囲にクナイを投げた。
「うわぁーー!」
 遠くで爆発音が轟く。その音に気を取られた隙に、
 一人目ーー剛速で投げたクナイが骨を砕き喉を貫通した。
 二人目ーー宙に身を躍らせたウツシの剣に撫でられ落ちた。
 瞬時に戦闘体勢に入るハンター達の視線を惑わすようにウツシは灰色の景色に溶け込むと、投擲されたナイフを弾きながら鋭く大木の幹を蹴り上げる。
 三人、四人、五人目ーー灰吹雪の中巡らせていた鉄蟲糸で腹から上下に分たれた。一時的な霧払いのために投げられた爆弾が破裂する直前のことだった。
 轟音が耳を叩く。ウツシが衝撃に備えると、爆風が灰を吹き飛ばし、ウツシと討伐隊の姿を露わにする。
「見つけたぞ!!」
 六人目ーー鉄蟲糸を足場に飛び上がったウツシの剣に真っ二つにされ落ちた。
 七人目ーー六人目の影に潜んでいた男だった。
 ウツシは上空に放っていた翔蟲の糸を引き、勢いを増しながら飛びかかり正面から打ち合う。獲物を弾かれた男へ畳み掛けるように身を捩り跳び上がるウツシに、フードを目深く被った男がにやりと笑った。
「武器が無かろうとオレは強いぞ……!」
 脂で切れ味の落ちた短刀を投擲するが、鼠色に汚れたギルドナイトの外套が背後に広がる灰の闇に溶け込み目標が定まらない。
 返す刃とばかりに投擲された短剣を下方へと弾く。そこへウツシを狙った銃弾が当たり刃が砕ける。遠方から狙ういくつかの視線へと意識を滑らせ「っ、多いな」帷子の下で思わずそうこぼした。
 ギルドナイトは対モンスターを想定した組織ではなく、主な任務は対ハンターとされ、対人戦の手練ばかりが集められている。ウツシも諜報として対人戦の技能は仕込まれているが、一対多数という状況はあまりにも不利であった。
 当初ウツシの動きに翻弄されていた彼らは、早くも環境に適応しウツシの速さにも慣れ始めている。リーダーと思わしき煤色の外套の男を筆頭に、まだ半分も残っている。近接戦に参加している者以外にも控えている隊員もいるはずだ。
 どうしても、多数の手数を受け止め防ぐための手が足りなかった。
 毒を警戒したウツシは回避に徹したが、それでも剣が掠めた箇所が少しずつ増えていた。
 傷口から染み出す血は紫に変色し泡立っている。やはり仕込まれていたかと、ウツシは奥歯に隠した解毒剤を一つ噛み砕く。慣れた苦味を飲み下すと、瞬く間に感覚に鋭さが戻る。
 迫り来る空気を裂く音を頼りに複数の銃弾から身を躱す。その上から雨のように火矢が降り注ぐのが見えた。
 驚愕に男を思わず凝視すると、男は目を爛々と光らせウツシに叫んだ。
「この命失うとも、お前達は必ず討つぞ!」
 地面が揺れた直後、どん、と背中に衝撃と熱が走った。「がっ、く……!」足を止めた隙に二撃、三撃と刃が突き立てられる。
 誰かが地中に息を潜めていたのだろう。命を失う寸前の息遣いすら聞こえる。
「今だーーぁ、っ」
 数人分の拘束に、ウツシは男が口を開くより早く肘の仕込みを作動させた。飛び出した刀が男の腹を突き、刃に塗られた酸が内臓を焼き爛らせる。絶叫した男の拘束が僅かに緩んだ。その隙に脚部に仕込んでいた翔蟲で翔び上がる。
「死ね!」「っ!」
 外套の下に隠していたらしい腕の小弩からワイヤーを射出した男がウツシを追い宙へと跳び上がり、首へと剣が振り抜かれる。剣先が掠めた面が欠け落ちるのと同時に、鎖帷子を貫いた短剣を引き抜き付着した血ごと男へと払った。咄嗟に血に触れることを避けた男に、ウツシは距離を取りながら二つ目の解毒剤を噛み砕く。
 火矢が灰に覆われた木に刺さり、埋み火のような灯りがそこかしこで灯り始める。温められた灰はやがて奥の木に触れて森全体が熱されるだろう。
 灰色の地面は夥しい量の血で赤黒く染まり、足が沈むほどぬかるんでいた。


20230506

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