遍く照らす、 | ナノ

遍く照らす、 / 禍群の唄
01



 遠くの山々が赤く色付いてもなお、火群の里では満開の祓え櫻が花開いていた。燃え盛る焔が散らす火花のように、花弁が風で舞い上がる。不夜のたたら場から漏れ出る灯りが照らし上げる幻想的な風景がその小屋からはよく見えた。燃えるように染まる櫻は、確かに火が群れるようである。
 一時帰還したウツシは、フゲンへの報告より先にアマネの許へ訪れていた。借りた翼竜に乗って来たため、予定より早く着いたのだ。今はまだフゲンも里の巡回をしている頃である。
 音を立てないように簾を上げる。虫の声も蛙の声も聞こえない、水のせせらぎだけの静かな世界だ。降り注ぐ柔らかな月光に、まとわりつくような暗闇が霧散していく。そこに露わになった姿に、ウツシは小さく息を飲んだ。そんな、と声が漏れる。
 見下ろすウツシの視線の先、穏やかな寝息を立てる口は大小の鱗が折り重なり、歪な形にゆがんでいた。口枷や口面を嵌めたような様相はまさに竜そのものと言える。布団の上に沈む腕も、以前より鱗が広がっていた。おそらく身体全体も同じであろう。
「アマネーー」
 ウツシは枕元に腰を落とすと、まだ白い皮膚の残る頬に触れた。
 会いたかったと、音にならない声で呟く。たとえ人でなくなったとしても、ウツシは構わなかった。変わらず生きていたことへの安堵から息がこぼれる。
 触れる体温に気がついたのか、長い睫毛が震える。ゆっくりと開かれた目がウツシの姿を認めると、驚いたように瞠った。それに「ごめん、起こしたね」と低く言うと、ウツシは頬を撫でる手で目蓋を覆い隠した。
 アマネは緩やかに頭を振る。口がいいえ、と動き、掠れた吐息が漏れる。次いで「呼ばれた、気がして」と苦しげに喘ぐように囁いた。そのままアマネは身動ぐが、それを止めるようにウツシの手が布団の上に置かれる。
「俺も報告がまだだから、そのまま寝ていて。それにゼンチ先生からも聞いたよ、寝ていれば多少は良いんだろう?」
 起き上がろうとするアマネを布団に押し戻す、よく日に焼けた手に触れる。暖かな感触さえ、硬い鱗に覆われた手では分からない。それにもう、アマネには握れるほどの力すらなかった。深く眠り、生命維持にだけ体力を使うことで症状の進行を遅らせているのだ。薬まで使ったそれは、次第に眠りから覚めなくなることを承知した上でのこと。涙して謝り続ける祖父代わりの姿は、アマネにとってはまだ昨日のことだ。
「どうしてでしょう。あなたの声は、よく聞こえるの」
 日々竜へと転じるアマネはもう、人の言葉を聞き取れなくなっていた。その耳がウツシの声を拾っている。ふいごのような音しか生まなくなっている喉からも、久方ぶりに人の言葉が、嗄れた声が出ている。
 そもそも、本来であればアマネの次の目覚めは季節を過ぎた頃になる筈だった。
 だが、起きてしまった。ーー引き戻すような声に、呼ばれた気がしたから。




 黒い烏が舞い降りた。水面に浮かぶ無数の花びらをくちばしでついばみ、遊ぶように流れる花筏を散らしていく。
 一年中桜の咲く里は、慣れていないものの季節を狂わせる。遠い上流から流れ着いた紅葉が花筏の中に混じるのを眺め、ゴコクはひとつ息をついた。それを鬼蛙の幼体が心配そうに見上げる。上に乗る親代わりの竜人は、最近憂い顔ばかりを見せていた。
 ゴコクは内密に、アマネの皮膚から採取した外殻の組織片を研究所へと送っていた。知古である同族の研究者は主に古龍の生態系について研究している学者で、かつては伝承にも詳しかったのだ。故郷からの文の相手もその学者である。
 せめて人であるうちにと、見知らぬ娘とゴコクを案ずる忠告じみた内容に、アマネの隔離を決めたのは一つ前の季節のことだった。
 ウツシも、休暇が明けてからはアマネの抜けた穴を埋めるため、ギルドの要請で長期の偵察と狩猟の依頼に送っている。アマネの代わりであればと喜んで引き受け里を出たのを、ゴコクも見送っていた。
 その男がいないうちに、ゼンチの指示でアマネの食事を少しずつ減らし、睡眠薬を混ぜ込んだ。睡眠時間は少しずつ長くなり、今や一日の大半を眠りの中で過ごしている。眠っている間であれば、症状の進行が緩やかになることにゼンチが気がついたからだ。眠りが深いほど進行はより緩やかになった。その眠りを妨げることのないよう、ゴコクは周囲のモンスターを、甲虫すら一匹残らず一掃している。
 時折報告で戻るウツシも、その不規則さから周囲の異変にはまだ気づいた様子はなかった。
 その学者から、再度文が届いた。まだ人への影響はないとしながらも、組織片の一部に長時間触れたモンスターの成分が変化していたと言う。アマネから検出されたものと、同じものに遺伝情報が書き変わっていたのだ。人から龍へと転じさせた秘薬は、アマネに他者への侵食の力を与えているようだと。そしてーー対の古龍を打ち倒し姿を消した英雄の怪談や噂話がギルド内で広まっているとも。
「フゲンにも、言わねばならんゲコねぇ」
 素っ気なくよれた楮(こうぞ)紙に走り書きのような筆跡で書かれた文字をなぞる。ゴコクが未だ決めきれていないことを見越しての文であった。
「あの、ゴコク様?」
「うむ」
 妹巫女が変わらぬ表情で僅かに首を傾げる。ゴコクは少し悩んだ末に「少し出てくる」と告げると、定位置の幼体の上から飛び降りて下駄を鳴らしながら藍染の暖簾を揺らした。




 ゴコクがフゲンと話を終えた頃。まだ文が届いたその日のうちに、ギルドからの使者は里へと訪れた。きっちりと身につけられた防具は、ギルド専属のハンターであることを示している。異国で軍人としての経験もあるらしく丁寧な印象を与えた使者は「まことに残念な話ではありますが」と前置きをして、アマネが侵されている症状の研究治療目的での協力要請について話し始めた。
 どこで話が漏れたのかと眉を顰めたゴコクに、使者は「……ハンター様が帰られた時、ギルドの者が個人的な用件で伺っていたのです」と苦笑まじりに言った。砦跡から里までの行き来は通常の狩場よりも時間がかかる。討伐後、いち早く開通した海路で里に訪れたハンターや観光客もある程度いた。その中に、ハンターが里へ帰還し倒れるまでの一部始終を見ていた者がいたのだろう。
「ギルド内部でも独自に調査を進めたところ、似た症状を及ぼすモンスターも数種発見しております」
 対の古龍による呪いであるとまことしやかに囁かれているが、ギルド内部では、主に何らかの未知の状態異常への感染。そして生物に何らかの影響を及ぼす症状の特徴を上げ、一部地域で発見された狂竜症及び狂竜病原微生物(ウイルス)の変異種と見ているという。
「……そこまで知りながら、今まで個人指名での依頼要請を支部は送っていたのか?」
「一部の者のみでしたので。しかし、調査の結果緊急案件に値するものと判断し、本部からも原因究明のため皆様へ協力の要請が下りました」
「治せる見込みはあるのか?」
「ーー幸いにして、狂竜化現象については原因とされる古龍の討伐が成功したことで、研究が進んでおります。ハンター様には至急、病原微生物(ウイルス)が不活性化した状態で本部へお越しいただきまして、」
「待て」淀みなく告げる使者の言葉を止めたのはフゲンであった。
「我が里のハンターはとてもじゃないが、現在動ける状態ではない」
「存じております」使者はフゲンの言葉に間髪入れずに続けた。「ですのでーー」色のない、黒曜石に似た目がゴコクとフゲンを見据える。
「病原微生物(ウイルス)が不活性化した状態(・・・・・・・・)でと、申し上げたのです」
「なーー!」
 怒りに震えるフゲンの隣で、嗚呼と、ゴコクは嘆くような声を出した。
 飛竜避けの煙幕を上空で焚いている里では、時折天敵がいないことから川を渡った環境生物や小型の草食獣が現れる。ケルビや野生のアイルー、ブンブジナ等だ。それらは餌を求めてだったり迷い込んだりと様々だが、いつの頃からかその獣達の中で、隔離している小屋の周囲で見かける個体のうち異常な特徴を見るようになっていた。
 ある日はウロコモリトカゲの背に、アマネを覆うものと同じ鱗が張り付いていた。それは蜥蜴が集めたものというより、背から直接生えているようにも見えた。
 それからも、ある日はケルビの角に。またある日はブンブジナの蹄に。全て、アマネを覆う鱗と同じ輝きで歪に変異していた。
 脳裏を過ぎる悪い予感に、ゴコクは小屋周囲のモンスターを一匹残らず狩り取ったのだ。アマネを眠らせているのは進行を遅らせることも目的ではあるが、いっそこのまま眠るように死なせてやりたいという願いもあった。
「ハンター様から採取した細胞は研究室にいた他のモンスターへと影響を及ぼしました。同研究室に預けられていた小型モンスターの幼体は、ギルドに記録のないモンスターの鱗に覆われ、衰弱死しています。……これはその後発覚したことですが、幼体から切除した患部の生体組織は、その種族のものではなくなっていたのです」
 使者は懐から書簡を取り出すと、フゲンへと手渡した。
「遺伝情報を変化させる、非常に危険な作用です。故に我々ギルドは、カムラの里専属ハンター・アマネ様をヒト科種族……人類ではないと判断いたしました。余談ですが、当該モンスターに直接的な接触はなく、また細胞組織が死滅すれば感染能力を失うことは判明しております」
 丁寧な言い回しにフゲンは唇を噛む。長く重い息を吐くと「殺せ、ということか」と吐き捨てた。
「ハンター様の功績、名声を考えると、全て内密に処理することが望ましいと存じます」
 使者は浅く首を引くと「方法については問いません。どうか一刻も早いご決断を我々は望んでおります」と低く告げた。



20220808

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