遍く照らす、 | ナノ

遍く照らす、 / 禍群の唄
02



 墨を混ぜた藍色の空に、一滴の胡粉を落としたような白い月が空高くに滲んでいる。遠く瞬く星々の中にあっても一際輝く真円は、水気による七色の輪で飾られていた。
 ゴコク達は、集会所からの帰路についていた。提灯の灯りが揺れるその後ろでは、細く伸びた影が夜に揺れている。
 そこに、里内の見回りのためと一足先に席を立っていたフゲンの姿はない。夜毎ウツシがアマネの自宅へと通っていることは、ゼンチを通して三人共が知っていた。張り詰め続けた精神は知らず身を蝕む。だからアマネが倒れて以降、眠ることを忘れたように働くウツシに休みを取らせたのだ。ウツシの回復力であれば一日、早ければ半日で十分であるところを二日も。ーー最後になるであろう、逢瀬のために。
 休みが明けたら、ウツシは遥か遠方へと任に着くことが決められていた。本来ならアマネが行く筈だった依頼だ。
「あの子が不憫でならんゲコ」
 ーー里へと戻ったら、今度こそ、その先は全て貰い受けます。
 そうウツシから告げられ、承諾していたゴコクの落胆は大きい。想い合っている二人が結ばれ、いずれ次代へと繋がれていく時を誰よりも心待ちにしていたのだ。きっと二人の子であれば、優れたツワモノに育つであろう。里を支えるにこれ以上はないほどの逸材として。
 けれど、アマネが人の枠から外れようとしている以上、里の未来を担う若者であるウツシの傍にはもう置いてはおけなかった。まずは、里の外れへ。そうしてしばらくした後、誰も知らない、ウツシですら見つけることのできない場所へと移すことになる。
 里の衆はアマネであることを理解しても、里外の人間達も同じとは限らない。不理解に晒され不必要に傷つくことは何としても避けたかった。人の名残がある今ですら人の目を怯えるのだ。あまりに過ぎた恐怖心は心を病ませる。今は平気でも、いずれ人に害を為すだろう。きっとそれはアマネも望まない筈。異形(モンスター)として処理することになる前に、アマネを人里から遠ざける必要があった。
 幸い、里近くには朽ちた社跡が多く点在している。贄を閉鎖環境で育てる目的で作られたであろう遺跡も多く残っており、場所には事欠かない。
「これから、どうなってしまうのか……」
「少なくとも、人とは全く異なるモノに作り変わっていくことは確かでゲコ」
 伝承通りであれば、アマネは次第に竜へとその身を変えるだろう。それが既存の生命体、生態系の枠組みの中で作り変わるのか、それとも全く違う新たなモノへと変容するのか。そして人間としての心を持ちながらなのか、肉体に合わせたものへと変わるのか。依然として竜に成る≠ニいうこと以外の一切は不明のままである。
「恨み言の一つでも、言ってくれたらよかったんだがなぁ」
 諦観の滲む白い貌を思い浮かべ、ハモンは重い息を吐いた。カムラの民はみな家族。手塩にかけて育てた弟子でも血の繋がった孫でもないが、ハモンが手ずから作り上げた武具を身にまとい、狩場を駆ける少女のことをハモンはよく知っている。負けず嫌いな少女が存外、自分に関わることへの諦めが早いことも。我慢ばかりが上手で、他人へ我儘を言うことが不得意なことも。
「あれはウツシが大人気もなく甘えてたから言えてたようなものだからね」
 孫のように可愛がっていたゴコクもまた覚えがあり、深く頷いた。女児らしいものは何も好まない、無欲といえば聞こえはいいが、要は自己がなかったのだ。師である男に似たのか、生来の気質か、はたまた人格形成期に過ごした環境のせいか。ウツシと同じ、頼らずとも大抵のことは何とかなってしまうことも一因だろう。
「……しかしまぁ、師弟揃って無償の愛を求められたのが互いだけとは、難儀なものゲコ」
 幼少期をただ大人のお人形として己を殺し生きてきた子供が自分で選んだ道がウツシの隣であり、望むことを諦めた男がただ一つ望んだことが娘の人生であった。それを奪うことになってしまうことだけが、ただただ辛く悲しかった。
 それきり口を閉ざした二人は四辻に差し掛かると、無言のうちにそれぞれの家がある方へと足を向けた。濃い藍色の中、家々に吊るされた提灯の灯りが浮かんでいる。一つ目の提灯を過ぎた頃、ゴコクの背に思い出したように声がかけられた。
「ゴコク殿」
 振り返ると、ハモンの色の薄い目が暗闇の中で光っていた。この歳を重ねても変わらない猛禽のような眼差しを、かつてのゴコクは好んでいた。
「故郷からの文には、なんと?」
 ゴコクの柔和な表情に影が差す。言うか言わまいか迷うように口を動かしたのち、葉擦れに消えるほどの声量で呟いた。
「せめて、人であるうちに、と」
 人との狭間で苦しみ壊れていくくらいであれば、人のまま死なせてやるのが幸せだと。短命種である人間の未熟な精神には耐えられないと、竜人族は判断した。
「そんな……」
 口下手であることを自他共に認めるハモンは咄嗟にかける言葉が出てこなかった。
 暗い道の先でゴコクは、声も上げずに泣いていた。隠す、生かすと決めた口で、いずれは殺さなければならないこともまた決めていたからだ。ウツシにさせるにはあまりにも非道な判断だ。であれば、全ての始末は、娘を送り出した自分で負わねばならない。ーーたとえ、方々から恨まれようとも。
「このことは、」
「ワシとオマエだけゲコ。……あの子が、憐れでならん」
 立ち尽くすハモンを尻目にゴコクは再び踵を返し、夜の闇へと歩き始めた。
 その時、アマネへの憐憫に目を潤ませるゴコクの脳裏に、ふと、ある不安が過ぎった。
 いったい、体が溶けていく恐怖と苦痛はどれほどのものであろうか。永い時を生きる竜人族であるゴコクですら、その苦しみは想像がつかない。生きながら身体を作り変えられていく絶望なぞ、人の子が耐えられるわけないだろう。
 で、あれば。周囲の影に怯えながらも気丈に精神を保ち続けている、その中身は。まだ人間(アマネ)のままだと、この先も同じであると、本当に言えるのだろうかとーー

 あまりにも暗い空に、ゴコクは空を仰いだ。
 墨を流したような夜空に、丸い真珠が浮かんでいる。晴れた空であるのに霞みがかった空には、星が全く見えなかった。



20211216

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