遍く照らす、 | ナノ

遍く照らす、 / 禍群の唄
01



 里で一番高い煙突の上から鉄蟲糸の反動を使い、更に高く跳ぶ。ぐんと勢い付いた体は高度を上げ、砲弾のような軌跡で長い川幅を飛び越えていく。途中、大岩が削れたような中洲に足を着いて、その度にさらに踏み込み空を翔けた。
 夜の色に染まりつつある薄紫に燃える空が、ウツシの視界いっぱいに広がっていた。
 広場から向かう修練場の先に、今は使われなくなって久しい庵がある。そこは里の一番外れにあり、かつて流行病に罹った里民を一時的に隔離するために作られた、簡易的な診療所も兼ねた小屋だった。しかし川を渡らなければいけない便の悪さ、そして里に隔離措置となるまでの病に罹る者が少なかったこともあり、二十年ほど前から人の手が入らないままとなっている。
 ウツシが見当をつけたアマネの居場所こそ、その庵だった。
 灯りひとつない、塗りつぶされたような暗い藍色の世界にウツシが降り立つ。ごうごうと鳴る、声も物音も掻き消されるほどの川の音が里よりも近く聞こえた。
 ウツシの目の前には囲うように伸びる黒い木々と、その中に隠された小さな庵がある。アマネの自宅よりも一回り小さく、かつて薬草や野菜を育てていたのであろう、草が伸び放題になった菜園の跡地がこじんまりと存在していた。その草木の根元では、小さな光虫が星のように瞬いている。
 小さな入江から庵の入り口までの間、小道の周りに敷かれた黒い玉砂利が底なし沼のように黒々と浮かび上がっている。その黒い川の中、飛び石のように道を示す苔の生えた石畳を慎重に進む。
 水に囲まれた場所ゆえか、ぬるい夜気が肌に纏わりつくようだった。玉砂利の外側に生えた、夜露に濡れた草木が月明かりに反射し、道先を照らすように清かにきらめいている。
 庵の入り口に着いたウツシが戸に手をかけた。古びた引き戸は石畳と同じように隅に苔が生え、冷たく湿っている。どこか腐っているのだろう、土に還るモノの匂いが鼻を突いた。
 壊さぬよう、小さく力を込めて戸を開くと、屋内は外よりもなお暗い世界が広がっていた。やはり、自宅同様に天窓と雨戸を閉め切っている。窓という窓に遮光の布が巻かれ、きっと昼間でも夜のように暗いのだろう。ごうごうと鳴る川の音がいっそう響き、絶えず耳の奥で聞こえてくるようだった。
 冷たい湿気で寒気すら感じる室内だが、つい先ほどまで誰かが、おそらくゼンチがいたのであろう。戸の手前にある囲炉裏は火が落とされ、夜闇に潜む迅竜の赤い眼光のように、仄赤く光る埋み火が残されていた。ここは水が近いから、汗が滲むような日でもひどく涼しいのだ。
 ウツシは足を踏み入れると、僅かに暖かい空気の残る居間から、さらに奥まったところにある寝室の方を覗いた。
「アマネ」
 潜めた声で呼ぶ。川の音が遠く聞こえるほど、暗がりに神経を尖らせる。
 もう一度声をかけると、今度は間仕切りとして下まで降ろしきった簾の奥で、もぞりと気配が蠢いた。
「そこに、いるんだね」
 迷うことなく敷居を飛び越えたウツシに、静止を求める掠れた声がかけられる。だがそれよりも早く、ウツシの手は古びた簾に触れていた。
「ぁ、だめ……」
「大丈夫、俺だよ。ウツシだ」
「来ない、で」
 長く使われていなかった庵ではあるが、畳からは仄かに酢の匂いが香っている。その上を編まれた竹が撫でるように擦り、ざりざりと音を立てる。
「キミに会いに来たんだ。アマネ、」
「いや、いや……! 見ないで……来ないでっ……!」
 涙が混じる声に、ウツシは簾を開ける前に手を止め、宥めるようにアマネへと声をかけた。
「愛弟子、また目隠しでもなんでもする。昨日の薬だって持ってきた。俺なら大丈夫だから、」
「ちがっ……私、からだが……ゴコクさまも、里長も、みんな目を逸らして……っ」
 女の啜り泣く声が哀れみを誘う。きっと大粒の涙をこぼしているのだろう。乾いてよく張った布に水滴が落ちる音がウツシの耳には届いていた。
「アマネ……」
「帰って……お願いだから、綺麗な私だけを覚えていて……」
 どう言えば良いのか、必死で考える。アマネの不安を打ち消すための言葉を探す。
 下手な慰めは逆効果だということだけは分かっている。ウツシは考えて考えて、雪鬼獣のような姿や、怨虎竜のような炎を纏う姿を浮かべた。想像したくもないが、仕事上よく見る一部が腐乱した死体のような様相も想像した。けれど、そのどれもが恐ろしいとは、思えなかった。
 それがアマネだと思えば、アマネであれば、どんな姿になっていたとしても、それそのものへの恐怖はない。ウツシの恐怖はもっと別のカタチをしている。
「俺は……どんなキミでも気にならないよ。角が生えていたって、牙があったって、鱗に覆われていたって、キミは俺のアマネだ」
 掴んだ簾が乾いた軽い音を立てて折れた。夜目の利くウツシの目に、丸く膨らんだ布団が映る。
「約束する。キミがどうなっても、俺はずっとキミといるよ」
「きょう、かん……でも、私、」
「だから、どうかキミも、俺のそばにずっといて」
 ウツシが簾をくぐる。息を飲む音と、ふわりと香る女の甘い匂い。それに混ざる僅かな血臭と腐臭に眉を顰め、丸くこんもりとした布団の枕元へと腰を落とした。
 布団を掴む白い指先は血の気を失い青白く、鳥竜種に似た細かな鱗が皺のように重なり合い、小枝のようだった。その先に生える爪は桜貝の色をしたままではあるが、獣の如く硬く鋭利に伸びている。ウツシは伺うようにそっと触れると、指の一本一本を布団から外し、自身の手に包んでいく。
「俺の愛弟子、俺のアマネ。夜が明けて日が沈んだら、しばらく外の仕事に行かないといけないんだ。少し長くなりそうだから、せめて、その前にキミに触れさせてくれないかな」
 握る指先は力無くウツシの手に収まっている。その爪先は、少しでも動けば瞬く間に皮膚を切り裂いてしまいそうなほどに鋭い。手から伝わる震えに、ウツシは安心させるように指先を絡めるようにして強く握り直した。
「本当に、ひどい姿なんです。……身体だって、きっと教官が思ってるよりもずっと」
 乾いた声に濡れたものを感じ「アマネ」と囁き言葉を遮る。
「キミを愛してる俺を、どうか信じて」
 親指の腹で指の背を撫でさすりながら、布団の端に反対の手をかけ脅かさないよう静かに捲り上げた。
 黒髪が糸簾のように垂れるその奥、濡れた銀灰色がちらちらと覗く。星屑の中に墨を垂らしたような目。人とも異なる縦に避けた瞳孔がウツシを映すと、暗闇でもわかるほどにきゅうと細まった。怯えの滲んだ仕草は人と言うより野生の動物のようだ。
 ウツシは絡めた手はそのままにして、幾分肉が落ちて骨ばった肩を抱き寄せた。


20211216

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