遍く照らす、 | ナノ

遍く照らす、 / 禍群の唄
02



 場所は変わって、祓え櫻の紋が掲げられたカムラの里の集会所。素朴だが東と北に伸びた渡殿が立派な造りをしているその屋敷は、狩場へ出たハンターからの救援要請や一般人からの依頼を昼夜問わず受け付けており、吊るされた提灯の火はたたら場同様に落ちることがない。
 その集会所の中でも特に奥まったところにある川に面した対屋で、里長フゲンを中心としてハモンとゴコクは深刻な表情を浮かべていた。
「ギルドの中に敵が混ざっていたというのか」
「ギルドの者かどうかも怪しいゲコ。あの日の担当者は結局送り届けたまま戻って来ず、波に飲まれて死んだととっくに処理されてるゲコ」
 フゲンがギルドの者の里への出入りが増えたことで内密にコガラシ達諜報担当へと指示を出した傍で、ゴコクはアマネのポーチに残っていた支給品の一つに、見覚えのない液体が付着している瓶が混ざっていることに気が付いた。
 案内役の職員から開発中の試薬として渡されたと言うその薬は、見る者が本能的な恐怖を抱く、毒々しいほどに赫い薬液だった。濃さは違えど同じ血が流れているゴコクは、そのあまりの悍ましさに吐き気を催し、言葉にできない嫌悪感に杖を軋ませた。
 自然への知覚機能と寿命は比例するものだが、どうして人間種はあれを見ても正気でいられるのか。あまつさえ飲もうなどと思えるのか。人と共に過ごすようになって随分と経つが、今もゴコクは理解できない。
「では、アマネに薬を渡した者が本当の案内役だったかもわからんということか……」
「してやられたでゲコ」
 ゴコクが低く呟いた。普段の好々爺然とした様子は消え、瞳は煮えたぎるように昏く憎悪の炎が揺れている。その様子に、フゲンが重い息を吐く。
「狂信者か……こんな時に」
 長命種ゆえの膨大な経験値と高い知能を持ち、自然との一体化を重んじる竜人族。鋭敏な知覚機能を持ち、モンスターでありながら人語を操り人間種に寄り添う獣人族。
 彼らとは異なり、人間種は自然の感覚に鈍感で、短命種であるがゆえにその精神性は未成熟のまま生を終わらせる。だからであろう、彼らの多くはその不安定な心の支えとして信仰を掲げた。
 災いがあれば神を作り人格を与え、権能を振りかざす神(モンスター)へと祈りを捧げる。脆弱な我らをお守りください、恵みをお与えください、と。
 それがいつしか、モンスターを倒す強い力を持った人間にまで、その信仰は向いていった。
 それが英雄信仰。ハンターの組合であるハンターズギルドには、その成立からして英雄信仰が強く根付いている。優秀なハンターは多くのモンスターと対峙してきた経験と実力を買われ、ギルドや国の要職に置かれることも少なくない。そして、ハンターの中でも特別強く、比類なき存在は敬意をもってモンスターハンター≠ニ呼ばれ敬われる。それこそ、救世主のように。
 いつまでもいつまでも、荒ぶる神々から我らをお救いください、と。
 そうして、人であるままに、人間は同じ英雄(にんげん)を神格化したのだ。人知を超えた力を持つものは、たとえ人の似姿をしていても人ではない。モンスター蔓延るこの大地では、英雄とは人の心の安寧と平穏のための生贄に他ならなかった。
 だから、ようやく里に灯った美しい焔を、そんなものへ押し上げてしまったとして、ゴコクもフゲンも、里の年寄達は皆悔やんでも悔やみきれなかった。特にゴコクは、長く気心知れた者達といたせいで人の世の理を忘れていたと嘆いた。育てた分だけ強くなる娘に喜んで、まだ年若い人の子を、人の枠から押し出そうとしていたのだ。
「犯人探しは難しそうだな。それより先にアマネの身が保たんだろう。それで、ゴコク殿。何か手がかりは見つかっただろうか」
「うむ……」
 日に日に弱る猛き炎の身を案じ、戻らなくなって久しい故郷へと文を送り、過去の伝手で学術院から資料を取り寄せ文献を漁ったのはゴコクだ。忘れ去っていた遠い記憶の果て。竜人族の年寄衆が語り継いでいたような昔話の欠片を、見えない糸を手繰るようにかき集めた。大海に落とした砂粒を探すような気の遠くなる作業。それでも血眼になってその痕跡を探したのは、負傷が原因の感染症による発熱とされていたものが、それとは全く異なるものだと早い段階で気づいたからだ。
「見つかりはしたゲコ。だが、どれも使えないものだったでゲコ」
 すぐに返ってきた故郷からの返事を思い出したゴコクは、疲れたように目を閉じた。けれどそこに浮かぶのは休むための暗い世界ではなく、今も目に焼きついて離れない、実の孫のように慈しんできた少女の変わり果てた姿だ。
 アマネが血を流し倒れた後。治療に当たったゼンチが見たものは、肌から突き出るように生える鱗と骨だった。見たことがない症状に、処置後、誰も近寄らぬよう感染症を理由にアマネの家を封鎖したゼンチはすぐ様フゲンへと報告をした。
 呼び出されたゴコクはその異様な光景に、竜人族の長老達しか知りえない、古代人が滅びた理由の一つを思い出した。竜に戻るため、機兵の素材を効率よく得るため、数多の思惑の中で古代人が作り上げた罪の証。人を人でないモノへと変じさせてしまう劇薬だ。たとえそれを識っていなくとも、身に流れる血がざわめいた。
 古代遺物の一つ「浄血髄液」。
 古代文明と共に滅びたとされている、古龍の血を用い調合された秘薬の一種。今やゴコクの故郷のように竜人族の隠れ里で口伝継承され続けるか、禁書指定の文献にその名称が残るだけのもの。実際、今も古龍から剥ぎ取れる素材の一部と思われている。
 そんなものを現代人がどうやって再現したのかは分からない。調合方法は遺っておらず、ただその名前だけが禁忌として口伝されている。
 人を竜へと転じる効果があるという、にわかには信じがたい効能のために。
「……あやつの様子は?」
 今朝アマネを隔離小屋へと連れ出したハモンへと、フゲンが尋ねた。
「今は人の声が離れたことで多少落ち着いているが、なんらかの精神異常か知覚異常を引き起こしているようだ。かわいそうに……生き物全ての影に怯え、一番小さなゼンチですら対面すると震えてしまっている。治療のためと、ゼンチであることは分かっているようだがな」
 どろどろと皮膚が溶けていく光景を思い出し、重い沈黙が落ちる。それはまるで、繭がないままに体を作り変えようとする蟲のようだった。溶けて乾いて、また溶けて。歪な変容を重ねながら、少しずつ竜の外郭が形成されていく。
「しかしフゲン、このまま療養中とするには限度があるぞ」
 ハモンの言う通り、アマネを隔離してから既に日数が経っている。ギルドもアマネの不在を不審に思い始めていた。モンスターの脅威に曝されている国はカムラの里だけではない。此度の狩猟で対の古龍を討伐してみせたアマネの能力を買い、ギルドからは指名で遠方への長期滞在依頼の話も出ている。淵源討伐後、書面上は無傷で帰還したことになっているアマネの所在を訪ねる書簡が届き始めていた。
 けれど当然、今のアマネは外へは出せない。ギルドに知られたら最後、異形と化した娘として研究対象にされるか、危険因子として討伐されかねなかった。
「アマネには酷な話だが……」
 ……このまま隠し通すことが難しいのなら、いっそ。
 狩猟を成功させた後、小さな怪我が原因で不運にも亡くなるハンターは数多い。それこそ、狩場で亡くなる数と大差ないほどに。
「死んだことにして匿う、か。ようやく災禍の終わりが見えたと思えば……!」
 天寿を迎えるまで、人の喧騒から離れた静かな暮らしを。人間種であるフゲンとハモンはともかくとして、竜人族のゴコクはアマネの玄孫の代まで、それよりもっと先も見届けることができる。もしも難しくなることがあったとしても、カムラにはヒノエにミノト、カゲロウとまだ若い長命種が揃っている。
 フゲンは歯噛みし、強く机を叩いた。里の災禍を払った英雄の幕引きとしては、あまりにも呆気なく、不本意なものである。


20211216

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