遍く照らす、 | ナノ

遍く照らす、 / 
ハンターノート:格の差



 淵源の雷神を打ち倒して早三月。百竜夜行も収束しつつあり、今は時折、各地に残る風神龍の息吹の残滓による、小規模な夜行が度々起きる程度である。
 その頃になると、途絶えていた他国との交易も再開し、観光客や流れのハンターの足も徐々に戻りつつあった。
 交通の便が元に戻ったことで、旅に出ていたモンジュとヒバサも数日前に里帰りを果たした。それに伴いモンジュ達と年が近く、幼少期は共に訓練をし、二人が旅に出る前まではよく三人で連れ立っていたウツシは、せっかくだからと里長フゲンの命で当分の間休暇を与えられている。
 ウツシからは二人でどこかにと誘われはしたが、アマネは数年ぶりとなる幼馴染の再開に水を差さないよう、ウツシの抜けた穴を埋めるために斥候の任に務めていた。


 ウツシとモンジュがモンスターの物真似合戦を始める声が、集会所の外まで響いている。楽しげで賑やかな声だ。ウツシの声はよく通るため、一際大きく聞こえる。喜色一杯の笑顔が浮かぶような声に、アマネの口元が柔らかく弧を描く。分かりやすくはしゃいでいると思った。いっそ、浮かれていると言っても良いほどに。
 幼い頃は兄妹のように育てられたからだろうか、二人とも性格や波長がよく似ていた。部屋で遊ぶことを好むアマネに対し、外で駆け回る方を好む二人だ。きっと馬が合うのだろう。
 アマネは暖簾へ伸ばした腕を止める。集会所では今し方雷狼竜の縄張り争いが始まったばかりだった。白い手が藍染めの暖簾の前をさまようと、そのままゆっくりと手を下ろした。あてもなく歩いていたら来てしまっただけで、特段集会所に用があるわけではなかった。そのまま踵を返し、ヨモギの茶屋へと顔を向けると、
「すげェ声量だな彼奴ら。今の威嚇か?」
 大きな影に、肩が跳ねた。
 いつの間にか真横に佇んでいた男の、その近さに後ずさる。男は驚いたアマネを見下ろすと、悪戯が成功した子供のように口の片端を釣り上げた。
「よォ、アマネ。しけたツラしてどうした」
「ヒバサさんでしたか。中にいらしたんじゃなかったんですか?」
「まァな。ハモン師匠ンとこに行ってたんだ」
 モンジュと共に旅に出ていたヒバサは時折、ハモンへ宛てて文を出していた。地域によって異なる狩猟方や武器について見聞きしたことを、里から離れることが難しい師へと伝えるために。
「あぁ……南の孤島から戻られたのですよね」
「そうそう。こっちには無いボウガンがあってな。その話を詳しく聞かせろって今の今まで捕まってたんだ」
 へぇ、と相槌を打つと、さりげなく腰を支えられ暖簾の前から足が離れた。そのまま言葉を続けるヒバサに、いいのかと目線で問う。中に用があったのではないのだろうか。
 訝しむアマネに、ヒバサは決まりが悪そうに頬を掻いた。いつも自信に満ちた不敵な目は中空を見つめ、さまようように揺れている。なおもアマネが下からじぃっと見上げていると、
「今入ったら巻き込まれっからなァ」
 そう、ヒバサは観念したように苦く笑った。直後に合いの手のような低い咆哮が空気を揺らす。それを冷静に、今のはウミウシボウズだなとヒバサが呟いた。
 ウツシと並び面倒見が良く、さっぱりとした気質で賑やかな場がよく似合うヒバサではあるが、本人は職人らしい至って静かな性質だった。どちらかというと、モンスターの真似をしてはしゃぎ回るモンジュやウツシを嗜めていた方である。それでも最後は、一緒になって怒られていたが。
「で、お前さんは? サマーソルトで乱入か?」
「やりませんよ」
 アマネの食い気味の返事に、男の洒落た髪油で整えた髪が跳ねるように揺れた。ほろ苦い柑橘と微かな蝋の匂いがふわりと広がる。どこか居心地の悪さを感じる、ウツシとは違う男の匂いだ。アマネは反射的に身を捩ると半歩距離を取った。その影を追うようにして男の身体がずいと近く。
「仲間外れにされたからって拗ねるなよ」
「拗ねてませんし違います」
「じゃァ、本当にどうしたよ」
 アマネの身体を上から下まで眺め、僅かに首を傾げたヒバサに、今度はアマネが困り顔を浮かべる。用はあるような、ないような。そんな煮え切らない返事を返した里一番のハンターに、ヒバサは何かを考えるように腕を組んだ。そうしてふむとひとつ頷くと、自然に腰を折り、役者じみた仕草でアマネの眼前に手を差し出した。
「なら丁度いい。暇人同士、茶屋(デート)とでもいこうや」




 違和感を抱いたのは、依頼通りモンスターを狩猟し終えた時のことだった。

 脚を引きずり、モンスターだけが通り抜けられる洞穴へと姿を消したターゲットを見送る。狩場は馴染み深い大社跡だ。穴の先がどこに続いているかは目を瞑っていてもわかる。アマネは地を蹴り軽やかに空へと跳び上がると、糸を手繰りながら木々の上を翔けていく。崖を走り、岩を蹴り、そうしてひらりと背に垂らした四枚の長い後ろ襟をはためかせると、竜のように舞い降りた。
 その視線の先には、どこまでも続く暗い洞穴。ずり、ずり……と重たいものを引きずるような音が生ぬるい風に乗り森へと吸い込まれていく。葉擦れの音の中に混じるそれを聞き取ったアマネは、再び地を蹴り高く跳び上がる。
 直後、その暗がりから大きな竜体が現れた。
 アマネがすらりと腰の劍を引き抜く。水を跳ねる魚のようにくるりと身を翻すと、白い手から仄碧く光る蟲を手負いの竜へと向けて素早く放った。伸縮性のある糸に引っ張られ、弾丸よりも速く真下の竜へと落ちる。木々の間からこぼれた陽光できらめいた白刃が一線を描く。
 たん、と軽い音と共にアマネの足が地面に着くと、遅れて竜体から血が噴き出した。地響きを立てながら崩折れるようにして倒れるまでを見届ける。倒れた衝撃で肺に残っていた空気が押し出され、呻くような音が肌を伝い身体中に響いている。
 残響が風に乗って消える頃。咆哮轟き、地響きに揺れていた大社跡は、今はもうすっかり元のしんとした静謐に包まれていた。死角となる草陰からひょっこりと顔を出している小さなイズチは、この春に生まれたばかりの個体だろう。まだ狩りをするには早いが、それでも他の生き物への興味はあるようで、アマネの狩猟を縄張りの中からじっと眺めていた。
 ……いただきます。
 出てくる様子にないことを確認し、やや置いてから、両手を合わせ剥ぎ取りをする。手早く必要な分だけいただき、あとは自然へと返すのだ。
 上位個体とは言え、相手は立ち回りにはもう慣れたアオアシラだった。冬眠できずに未だ森を彷徨う個体は、いずれ人里へと降りて人を襲い始める。そうなる前の撃退と討伐。それが今回アマネへと届けられた依頼である。
 ほうと一息つく。空を翔け回ったことで息は多少あららいでいるが、それでもまだ余裕があった。いつもなら、否、前までであれば。狩猟の緊張と高揚感に包まれていたが、最近はどうも様子が違う。
 狩れども狩れども、胸の奥がずっと、冷えたままなのだ。

「それで、相談しようと集会所に?」
「ええ、はい……」
 里の大通りにあるヨモギの茶屋で、ヒバサと二人並んで座る。珍しくタイシもシイカも不在で、賑やかな餅つきの音頭とヨモギの茶を淹れる音だけが聞こえる。いつもは気がつかないが、一年中空を覆う祓え桜の花吹雪が湯飲みに落ちる様は大変風流で、ユクモへの行き帰りに立ち寄る人が出るのもわかるほどだ。
「なるほどなァ」
 そう呟きながらヒバサは湯呑みを呷る。大きな湯呑みをすっぽりと収める手はハンターらしい荒々しさがあるが、伸びた背筋は美しく啜る音を立てない姿は品があった。
「教官からの助言が欲しかったんです。でも……」
 言葉を区切り、アマネはその先を言い淀んだ。隣のヒバサは短い相槌を打ち、湯呑みに口を付けたままじっとアマネの言葉の先を待っている。
「……命のやり取りに、慣れてしまったのでしょうか」
 狩場へ出ることへの緊張感の欠如。英雄だなんだんと持ち上げられたからきっと慢心しているのだ。アマネは自分の状態をそう判断している。
 けれどそれは、ウツシが最も厭うことの一つでもあった。命を奪い奪われることへの緊張感と敬意。それを欠いてはいけないと修行時代からよく言い聞かされてきた。それに油断や慢心は足を掬われる。些細なことがきっかけで忽ち敗者となる世界であることは、アマネも嫌というほど理解している。
「そういうわけじゃないと思うがなァ。実際、お前さんは強いハンターだ。でなけりゃとっくに死んでるし、どんな手使っても俺らを戻してるだろうよ」
「でも、狩場に出ても心臓が鳴らないんです。神経が研ぎ澄まされるあの感覚がなくなって、今は問題なく狩猟ができていても、いつか狩られる側になるんじゃないかって」
 ウツシに相談したい。けれど、もしも軽薄されてしまったらと思うと、足が竦んで動けなかった。そうしているうちにヒバサとモンジュが戻ってきて、言い出す時機を逃し続けてきた。
「そりゃあ、お前さん、あれだ」
 つつ、と人差し指が首筋をなぞり上げる。こそばゆさと急所に触れられていることへの居心地の悪さに首を竦めると、指先は顎の下に添えられた。
「ヒバサ、さん?」
 強くはない、けれど逆らえない強引さで顔が仰かされる。ひらりひらりと頭上で桜が舞った。その手前で炭色をしたものが視界を覆い隠す。
 苦味のある柑橘の香りがして、ようやくそれがヒバサの顔だと理解した。
 焦点が合わないほど近づけられた顔の中心、カムラに多い茶金とは違う淡い胡桃染に見下ろされている。向けられたことのない甘さのある視線はじりじりと身体を焦がす熱のようで、緊張からか、知らず乾いた喉が鳴った。
 親指の腹が唇を撫で、頬へと滑ると太くがさがさとした指が舐めるように顎を掬う。軽い力で頬を押され、固く閉じていた唇は簡単に薄く開いてしまう。
 赤い長椅子に突いた手は上から握り込まれて動けない。否、アマネが動けないほどの力は入っていない。それは分かっているのに、見下ろす瞳から出る圧力のようなものが、アマネを縫い付けて放さなかった。
 その感覚に、ぞくりと背筋が粟立つ。
「ぁ
 吐息が触れるほどの距離は体温が肌で感じられるまでに迫っている。ヨモギがあっと声を上げるのも、どこか遠くでぼんやりと聞いていた。
 ……唇、が。
 その近さに教え込まれた身体は反射的に瞼を震わせる。それを制するようにヒバサが低く囁いた。
「目ェ、閉じるな」
「ぁ、だめ……」
 一度も聞いたことがない、頭蓋を揺らす甘い声。ウツシより低く掠れたそれと鼻腔に広がる柑橘の苦さに、くらりと目眩がする。大太鼓の音と、警鐘のような遠吠えが頭の中で木霊していた。
「いいから、そのまま動くなよ。お前のそれは単に格(ランク)が違うってやつだ」
 囁かれる言葉が耳をすり抜けていく。肌に触れる吐息が熱い。それとは違う、また熱く乾燥したものが、唇に触れて、
「待っ、んっ!」
 不意に、砕けそうになるくらいに強い力で肩を引かれ、アマネは後ろへ倒れこんだ。
 けれど硬い地面に落ちる衝撃はない。むしろ思っていたものより柔らかく、暖かなものに包まれている。考えずともよく知った体温に、どっと心臓が全身に血液を送り始めた。肺が空気を求め自然と息は早まり、驚くほど心臓が速まる。次いで、ほんのり香るうさ団子の甘い匂いと、汗と土の匂い。それから少し傷のついた雷狼竜の籠手が視界に入り、アマネは確信した。
「何をしていた、ヒバサ」
 冷え切った刃物のような声が後ろから降り注ぐ。見上げると、濃い満月を宿した目が剣呑な光を湛えて睨め付けている。視線の先の男は、その視線の鋭さにも拘わらず涼しげな顔で両手を上にあげていた。
「悩める小娘のお悩み相談」
 前を見据えていた目がすっと下へと降り、アマネへと向けられた。その目を見て、全身から血の気が引いていく。ああ怒らせてしまったと、漠然と思った。無茶をして怪我を負った時も、燻る熱で荒れた時も、戻らなかった時も、ここまで怒りを露わにされたことはなかった。けれど今は目の奥にじりじりと燃える火が見えるようだ。その明確な怒りを嗅ぎ取ったハンターの身体に、細かな電撃を浴びたようなしびれが走る。ヒバサに迫られた時とは比べようもないほど鼓動は速まっていた。
 まるで初めて雷狼竜や怨虎竜に対峙した時のように。
「アマネ、キミは……」
「お前の姫さんがドキドキしたいって言うからドキドキさせたんだよ。いつ双剣(それ)抜かれるかこっちがドキドキしたわ。なァ? アマネ」
 横からヒバサが口を挟んだことで、ふと我に返る。
「えっ? あ、まぁ……はい。間違ってはいません」
「つまりだな
 どういうことだと眉を寄せたウツシへ、アマネ本人ですら上手く言えなかったことを、ヒバサは理由をかいつまんでさらりと説明していく。その説明を聞くうちに険しかったウツシの顔は次第に和らぎ、とは言えヒバサへ向ける視線に険はあるが、眼差しだけで射殺しそうな圧は消えていた。
というワケだ。マ、説明は現職の教官(センセイ)にしてもらうのが一番だろ。俺はまたハモン師匠に捕まる前にモンジュのとこへ戻、」
 ウツシの肩を叩いたヒバサはひらりと片手を振り素早く逃走の姿勢を取ったが、それより先にウツシの手が胸の前で揺れる赤い組紐を掴んでいた。
「なるほど。理由はわかったけど、ヒバサは後で話があるから」
「いや口は付けてねェよ!?」
「付けてたらこれで済んでないからね? そもそも近過ぎなんだ馬鹿」
「わァーったよ。でもまァ、ドキドキはしたろ?」
 そう言いアマネへと片目を瞑ると、ヒバサはするりとウツシの腕から抜け出し、まるで煙のように姿を消した。
「……そういう意味じゃ、ないんだけどな」
 短く息を吐いたウツシがヒバサがいた席に腰を下ろす。朗らかな笑顔を浮かべたヨモギが何事もなかったようにヒバサの飲みかけを回収し、新しい湯呑みをウツシに差し出した。冷えた手を温めようと両手で湯呑みを握るアマネの横で、茶を啜る音が小さく立つ。
「ん、そうだね。キミのそれはハンターランクに関わってくることだから……でもまずは、キミの悩みに気づけなくてごめんね。教官としても、恋人としてもあいつより先に気づかなければいけなかった」
「い、いえ……私も、すぐに相談しなかったから」
「うん、なら次からは不安なことがあればすぐに言うこと。俺ももっとキミを見るからでも、それとこれとは話が違うからね?」
 ふに、と乾いた指が唇を押した。感触を楽しむように指を使うウツシの目が弧を描く。
「キミにはまだ教えてなかったことが残っていたみたいだ。幸い俺の休みもまだ二日は残ってる。これからみっちり、教えてあげるから……ね、俺の愛弟子」
 優しい声に釣られて顔を向けた直後、アマネの指先は再び凍えて始めた。弧を描いてはいるが、ウツシの目は笑っていない。
 お手柔らかにと言う口の端が引きつる。これは、しばらく休むことを誰かに告げなければ。そう思うアマネの視界の端、ウツシの後ろでヨモギがいい笑顔で親指を立てた。
「じゃ、俺の家に行こうか」



20211121

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