遍く照らす、 | ナノ

遍く照らす、 / 禍群の唄
01



 明日も、と告げた通り、ウツシはそれから毎晩アマネの許へと訪れた。表向きは未だ面会禁止のため、ゼンチの夜間巡視の間隙を縫いながらではあったが。
 これまでのような屋根越しに存在を感じるだけのものとは違う、互いの温もりを分け合う時間。それが月が僅かに傾くだけの刻であっても、ウツシには十分であった。
 確かに生きていることを、手を伸ばせば届く距離にいることを感じられたから。
 けれど、昼は訓練指導に闘技場の受付、夜は境界周辺の哨戒、体を休めるのはアマネの傍にいる時だけの日々は、確実にウツシから体力を奪っていた。
 いつもの顔ぶれ以外誰もいない集会所で、突然ふらりとよろめいたのだ。慌てたオテマエに呼び出されたゼンチは疲労とだけ告げ早々に帰ったのだが、
「明後日の朝まで家から出るな。布団から起き上がることもならん。寝ろ」
「……承知」
 ウツシは不承不承の態で、そしていつもと比べて覇気のない声で返事を返すと、これまたいつもと比べて緩慢な動作で足を返し祓え櫻の暖簾を潜った。迷うことなく進む背に、再びフゲンの低い、大太鼓のように響く声がかかる。
「どこへ行く、ウツシ。お前の家は反対だろう」




 打ち水で七宝や青海波が歪に描かれたような地面を足早に進む。
 空は目に鮮やかな青から、悪夢のような茜色へと染まっていく。地上でも、人も獣人もフクズクさえも、みな揺れる尾のように影を伸ばし、実像すらあやふやな黒い影法師となっていた。
 世界が鮮やかに染まる日没前。眩しい夕陽に目を細めながら、ウツシは黒い影達の間を縫うように歩いていた。きっと、ウツシ自身も他人からは黒い人影のように見えているのだろう。人もそうでない者も全てが同じに見える時間帯。湿度を含んだ生暖かい風がウツシの頬を撫でた。
 札を靡かせた傘鳥の唐傘とすれ違い、からからと回る水車の影を踏み越えると、自宅の前にはいつもアマネに付き従っていたアイルーとガルグがいた。彼らは今後の管理をイオリへと返され、居住も彼が管理している広場に移すよう命じられているはずだ。
 影の中にいる二匹を見ていると、アマネの目と同じ毛色をしたガルグがウツシに気づき、羽根箒のような尾を一振りする。それに軽く手を上げると、戸を閉めたアイルーがくるりと振り返った。
「こんばんはですニャ、ウツシ教官。ご主人の忘れ物ですかニャ?」
「どういうことかな」
 閉めた錠に再び鍵を差し込んだアイルーに首を傾げた。開かれた戸の奥は全ての遮光が取り払われ、窓から薄く差し込んだ夕焼けで橙色に染め上がっている。間仕切りとして使っていた簾も外され、長く敷きっぱなしにしていた布団も洗いに出されているのだろう、跡形もなく消えていた。
 診療所に空きが出たという話はウツシはまだ聞いていない。どこへ行ったのかとウツシが二匹に問いかけると、丸い目を瞬かせたアイルーがウツシと同じように首を傾げた。
「里の中では人間が多くてよくならないからと、今朝方に里長とゼンチ先生達が違う場所へ連れて行きましたニャ」
 よほど疲れていたのだろう、フゲンからの命通り丸一日寝過ごしたウツシの知らない情報であった。「あっ」と小さく声を上げたアイルーが慌てたように口を押さえた。どことなくアマネに似た仕草に、ウツシの頬が緩む。
「ご存知でないようですニャー? もしかしたら、ウツシ教官にも内緒だったかもですニャー。あーゼンチ先生に怒られてしまいますニャー」
「俺が黙っていればわからないから、大丈夫だよ」
 きっと休みが終われば伝えられたことだろうとウツシは考えた。
「それで、キミ達はどうしてここに?」
 ウツシの問いかけに、アイルーとガルグはしょんぼりと耳を垂らした。
 アマネの治療に際し、ギルドからの提供であるルームサービスは一時的に暇を出している。だから、アマネが戻ってくるまではオトモである自分達が自宅を整えておこうと、雇用されていたオトモ達で交代で自宅の掃除に来ているのだという。
 アマネが、いつ戻ってきても良いようにと。
 実質解雇されたも同然ではあったが、オトモ達はよくアマネに懐いていた。次の雇用先を探さず、アマネの復帰を待つことを皆は選んだのだ。
「そうか……ありがとう」
 ウツシは二匹の前でしゃがみ込むと自身のオトモにするように頭を撫でた。気持ち良さげに目を細めたガルグに対し、アイルーはうにゃうにゃと口を動かしている。その愛らしい仕草に、つい目尻が下がる。
「ボク達はイオリ君のところへ戻りますニャ。ウツシ教官はどうしますニャ?」
 そう言いながら、アイルーは手にした鍵をウツシへと掲げた。それを受け取ろうとして、暫し逡巡する。その間にも残光の鮮やかな朱い黄金は拡散し、迫る宵闇に飲まれていく。
 人のいない、薄青い影に満ちる屋内を見る。ウツシはゆるりと首を振ると、すっかり淡墨を混ぜたように暗く染まった空へと軽やかに跳び上がった。
 遥か下から、ガルグの遠吠えが空へと木霊していく。
「アマネと戻るから、それまで頼んだよ」
 場所の見当は、すでについていた。



20211216

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