遍く照らす、 | ナノ

遍く照らす、 / 火群の瞬き




アマネが乗った船は、日の出と共に砦跡へと上陸した。
龍宮砦跡は、カムラの里から川を下り、大海へ出たところに存在している。
そこは雷神龍の活動に合わせて海底から隆起しているようで、周囲一帯はギルドにより長く封鎖されてきた。いわゆる禁足地に近い狩場だ。雷神龍が現れたことによりその周辺に生息していたモンスター達は、古龍が持つ神の如き権能に怯え狂瀾を引き起こしていたが、既に先に出立しているフゲンらによって討伐され、アマネが近海へ到着する頃には周囲の環境は安定していた。

「健闘を祈ります。どうかお気をつけて」
「はい。職員さんも……ここまで、ありがとうございました」

龍宮砦まで運んでくれた職員が一礼する。足下に向かって投げつけた緑の玉が発煙し、瞬く間に職員はかき消えた。
ギルドの職員用に支給される特殊な戻り玉は、職員を砦から離れた安全地帯にまで退避するものだ。
人の消えた入江には、カムラの紋である祓え桜が染められた帆が揺れる、乳白色の朝霧に揺蕩う小さな帆船が一隻、ぽつんと残されている。討伐が無事に済めばこれで沖へと出てギルドと合流する手筈となっていた。
くぅん、と切なそうに一鳴きしたガルグが、アマネの手のひらに濡れた鼻先を押し付けた。その頭を宥めるように撫でる。同じく心配そうに見上げたアイルーの、防具を被った小さな頭にも手を置いた。

「大丈夫よ。頑張ろうね」

潮風が体に吹き付け、臓腑を震わせるほどの潮騒が耳を打つ。アマネにはそれが波の音なのか、緊張と興奮に高鳴っている胸の鼓動なのか判断ができなかった。
設営された臨時キャンプで、いざという時の戻り玉と、応急薬に携帯食料を受け取る。予め用意されていたそれはいつもの依頼で受ける時と変わりはない。
……大丈夫。そう、何度も口の中で呟く。
風神龍の時とは異なる、オトモを連れていたとしてもたった一人での孤独な戦いだ。
アマネは、正式なハンターとなる前からの付き合いになるオトモ達を連れ、決戦の舞台となる地へと翔んだ。


蟲から降りた先、悠然と空を舞う雷神龍を見据える。
地面からオトモ達が出てきたのを確認し、腰に佩いた未だ血肉を求める禍々しい剣を引き抜いた。疾翔で一気に距離を詰めると、雷電の迸る黄玉の双眸が、まるで羽虫でも見るかのような眼差しでアマネの存在を捕捉する。アマネは内に潜めた鬼を呼び覚ますかのように気炎を吐いて声上げた。

立ち上る稲妻が空を裂く。
今ここに、戦いの火蓋は切って落とされた。


×××


天から落ちる稲妻と地から迸る雷電。地形を変えるほどの高電流で圧倒的優位を保っていた雷神龍は、翔蟲を駆使する人間の小さいが故のその素早い動きに次第に押され始めた。そしてアマネのハンターとしての冷徹な眼差しが、雷神龍の攻撃、予備動作、習性を的確に読み取っていく。
動きの先が読めるようになれば、後はもうアマネの独壇場だった。

「……あはっ」

面の奥で思わず声がもれ、口角が歪に釣り上がる。出立前に感じていたものは不安などではなく、格上である強大な力を持つ古龍へ、今度こそ己一人の力で再び挑めることへの興奮だったと、アマネは今になって気付いた。肌を焦がす雷撃の痛みも、首筋を這うような死の気配も、全て高まる狩猟本能に塗り潰されていく。
黄玉の如き眼を怒りで光らせた雷神龍が、アマネを忌々しいモノを見るかのように睨め付けた。
神と名付けられただけあり、古龍は今まで斃してきたどの竜よりも強かった。しかし、その圧倒的な威光から生物として他種族との闘争とは無縁だったのだろう。より自然に近い現象としての力は確かに恐ろしい。人間だけでなく、全ての生物にとって脅威となる。しかし常に生死を決める賽の目を力づくで勝ち取ってきた禍群の里で育ち、数多の死線を潜り抜け、遂には風神龍まで退けたアマネには、その威光も威武も意味を持たなかった。

雷鳴が轟き、奔る雷霆を振りかざした刃で切り裂く。アマネを焼き殺さんと落ちる閃光を躱し、空をうねる龍体を目指し、何度も宙を翔けた。
一撃一撃を確実に。しかし慌てず、機を逃さず。
時には退き待つ事だって狩りの基本だと、ウツシの言葉が耳奥で蘇る。
大きな予備動作に、瞬時に次の攻撃を数通り予測して疾翔で射程内から抜け出る。地へと貫かれる光の柱を避けながら宙を浮く巨体へ向かって、一気に距離を詰めた。

「どこを見ているの? そんな巨体で、お腹も膨れて動き難いんじゃないかしら」

言葉は解らなくても嘲られたことは理解できるのか、雷神龍は怒りの咆哮を上げた。
その怒りに呼応するように龍の口から白い光線が放たれる。怒りに任せたそれは、今までのと比べると威力も早さも違うが、その分消耗しやすく隙が生まれやすかった。その隙こそ、アマネが狙っていたものだ。片手剣から繰り出される反撃の鉄蟲糸技は、受け止めた攻撃の威力が高ければ高いほど反撃時の攻撃威力を増す。
至近距離から放たれた高威力の白い雷撃線を盾で受け止める。雷撃を弾く甲高い音が耳をつんざく。防いだまま翔蟲で頭上高くに翔び、その下顎を盾で強かに打ち上げた。
空気が電気を帯び弾け、アマネのむき出しの腕に赤い筋が走った。
咆哮に呼応するように周囲に稲妻が迸る。
薄曇りの瞳が稲光に照らされ底光りする。遠い果ての宙に瞬く無数の炎にも似た輝きだった。
アイルーが浮かび上がった古代の砲台を使い、遠距離から雷神龍へと大砲を放つ。
長い龍体を捩り、暴れる雷神龍の体さえ足場にして、アマネは天高く翔ぶ。空を翔けるのは自分であると誇示するように、高く、遠く。
アマネの攻撃を警戒した黄玉の眼がそれを追いかけ――

「今よ!!!」

鋭く吼えた主人に合わせ、ガルグがすかさず破龍砲の作動桿を動かした。
御伽噺に聞く竜宮城にも似た城砦。その下を支える岩盤に備えられた大きな砲身から、龍を斃すための滅龍の爆薬が込められた砲弾が、弧を描いて飛んだ。
雷神龍が空を泳ぐよりも早く、その砲弾は龍の身へと落ち、周囲に爆風と衝撃が広がる。
翔蟲で退避しきれなかったアマネは盾で衝撃波から身を守りながら吹き飛ばされたが、地面に衝突する寸前で空を翔けその勢いを殺した。
体力を消耗した主人を守るように、オトモ達が薬と巻物で回復を計る。不敵に笑んだアマネは再び空を翔け、オトモ達も続くように地を駆けた。

雷神龍の討伐は、万事上手く事が進んでいた。否、進みすぎていた。
突如、万雷を纏う龍体が海の底まで震わせるほどの咆哮を上げ、昊を仰いだ。

――あな口惜しや。
――かかる目見んと思はざりける。

水晶の如き手は砕け、雲間を裂く尖角は折れ、背に生えた麗しく蠢くものも、焼け爛れ削ぎ落とされてしまった。
雷神龍が招び起こした曇天に一滴、染みたような黒点が瞬く。地に落ちる前に燃え尽きる流星のような、古き龍にとっては取るに足らない、ほんのひと時で燃え朽ちる砂粒だ。
それが、どうして。
楽土へ至る筈の地へ無遠慮に踏み入られた怒り。
塵芥の如き生き物が、天を舞う自身を引き摺り落とさんとしていることへの怒り。
一向に来ない対への怒り。
身を焼くような怒りで、雷神龍の周囲には稲光が奔った。
痛みと苦しみと焦りは憎悪となり、霹靂く神威にも怯むことなく高く翔び、尊き神体を不遜にも見下ろすその矮小な生き物へと向けられる。
苦痛に悶え地へと落ちつつある体は、楽の音にも似た叫びを上げ、それでも天を目指し美しく光る尾を振った。その、刹那。
――天と地が反転した。

「っ……!」

翔蟲で翔んだ時とは明らかに異なる感覚に、アマネは一瞬判断が遅れた。
重たく空を覆う雲に吸い込まれるように、ふわりと体が浮き上がる。
鉄を多く含んだ岩場で、非常に強力な電流を流し続けたことによる瞬間的な磁気浮上が生じていた。全てのものが重力へ反発するように宙に浮く。攣ったように動かない身体にアマネの顔が緊張で強張るが、制御できない自身の力の奔流に当惑しているのは雷神龍も同じだった。
その間にも放たれ続ける鮮烈な稲妻が、雷神龍とアマネの足元を覆っていた岩場を砕き大穴を開けた。
暗く虚ろな闇がアマネの眼下に広がる。
深淵を覗き込むような恐怖が体を走った。瞬時に穴の枠外へと退避を試み、逆しまな状態で岩場から岩場へと跳躍する。が、アマネの目は正確に、回避を組み合わせた疾翔の最大跳躍距離と、着地可能な足場までの距離を測っていて、そして――。
……あ、間に合わないな。
タン、と軽やかな音を立て、最後の岩場で膝を突いた。
轟々と音が這いずる。
空は遥か足の下にある。
見上げる先は、稲妻迸る古き神と、口を開けた底根の国。
千引きの岩はここに崩された。
龍の上げる雷鳴のような悲鳴に混じり、穴の果てから響く、無数の人の呻き声にも似たおぞましさすら感じる音が全身を打つ。
……ここから落ちれば、助かるまい。
アマネは鋭く目を細め、不安定な体を翔蟲で岩場に固定させ、真上の龍体を仰いだ。その瞬間。
ふ、とアマネの感覚に体の重さが戻ってくる。時が止まったような瞬きの間、その機を逃さずアマネは高く地の底へ向けて跳躍した。同じく雷神龍も天を目指し空を駆け登る。
喰い殺さんと大きく開かれた口の迫る牙へ肉薄し、その勢いのままに淡く発光する部分へと深く剣を刺し込み、抜けないよう残る最後の蟲を使って自身と龍体をきつく結びつけた。
柔らかいものを貫く感触が手に伝わり、耳を裂くような悲鳴がアマネの体を貫いた。雷撃に当たったかのように全身が痺れ、柄を握る手が震えた。耳の奥で何かが割れるような音が響く。それでも押し込む力は緩めず、負けじと吼える。

「対には合わせない……! お前はここで、私と死ぬのよ!!」

その叫びと共に、力を失った龍体が穴へと落ちていく。引き抜けそうになる剣を押さえ、肌が裂けるほどに鉄蟲糸を締め付けた。

「……ぁ、」

地上が横切る瞬間、アマネの目に必死に駆け寄ろうとするオトモ達の姿と、その遥か後方に居ない筈のウツシが、悲愴な顔で空を翔ける姿が映る。
それは瞬く間に冷たい岩に遮られ、アマネは鳴き声を上げる龍ごと穴底へと落ちていった。



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