遍く照らす、 | ナノ

遍く照らす、 / 禍群の唄
淵源

 ◇

 波間を泳ぐように進む。空は威風吹き荒び、海は天地が狂うほどに荒れている。けれど、不思議と小舟の周囲は波が打ち消し合っていた。まるで、アマネを沖へと導くように。
 その淵源渦巻く砦跡までの道すがら、ふいに、案内役のギルド職員が揺れる小舟の動きに合わせて振り向いた。
「ハンター様、こちらを」
 昨晩の夕餉を思い出すような気安さで渡されたのは、赤黒く濁った液体で満たされた小瓶だった。
 既存の鬼人薬とも違うそれに首を傾げる。蓋をしていても微かに香る、濃厚な蜂蜜の匂いが鼻をついた。オトモのガルグはしきりに鼻を鳴らし、瓶に鼻先を近づけようとしている。
 アマネは胡乱な目つきを隠さず、布で顔を隠した職員を見遣った。狩猟で使用する薬品は無臭が原則である。ハンターにもわかる程臭いがする物は当然モンスターにも知覚されるからだ。
 狩場で採集したばかりならともかく、一度人の手に渡ったものに関してはモンスターは特に敏感に察知する。それは逃げ場のない闘技場や、決戦となる狩場でも変わらない。
「お返しします」
 瓶の中でとろみのある液体が跳ねた。その手を、長過ぎて余っている袖が静止する。布越しでも感じる、顔の見えない職員が笑う気配に産毛が逆立った。
「差し上げます。そちらは最近ギルドが開発した、改良型鬼人硬化薬にございます。筋力増強の効果を高めたところ、使用時間が従来より伸び、通常の液剤とも重複可能になりました。属性やられの解消にも効能がございます。……これより先は対の古龍が待ち受けております。きっと、あなたの助けになりましょうぞ」
 小舟が吸い込まれるように、ぽっかりと穴の空いた海蝕洞へと吸い込まれていく。岩壁の間をすり抜けるように進むと、やがて天井が崩落し、天窓のように空いた入り江で小舟が止まる。岩にぶつかった衝撃で大きく揺れた舟から職員が飛び降りると、ギルドが設営した簡易野営地(メインキャンプ)を指し示した。
 風に煽られた長い袖が揺れる。
「……どうも」
 返しても受け取りそうにない様子に、アマネは諦めたようにアイテムポーチの奥底へと小瓶を入れた。
 けれど、飲むことはない。これに頼る前に、必ず倒しきる。
 アマネが小舟から降りるのを見届けると、職員は専用の戻り玉を足元に叩きつけた。白緑色の煙が小さく舞い上がる。風に煽られた面布が捲れ、その奥の口元が見えかけて、
では、ご武運を」
 煙にかき消えるようにして姿を消した職員の声は、やけに反響して聞こえた。


 ◇

 板を打ち付けただけの簡易な船着場から、予め持ち込んでいた大翔蟲で上空に舞い上がる。流れ込む潮風の影響か、腐敗臭の混じった腥い磯の臭いが鼻を突いた。風を切るようにして降り立つ。滑る足場に気を付けながら足を進めると、水の跳ねる音が小さく立った。風はあるが、付近の海域と異なり、嵐の中心、目である砦跡の中央はアマネが思っていたよりも静かだ。
 岩場に隠れてアマネが広場を伺うと、やはり雷神龍は見えなかった。野営地からでも目視で確認できた通り、風神龍だけがそこにいる。一度壊れた筈の岩場も、どういう仕組みなのか修復されていた。雷神龍の特性である磁場操作の影響だろうか。龍宮砦跡付近の岩礁は鉄分を含むため、雷神龍にとっては有利な地形であると、アマネはゴコクから聞いている。
 青白く発光し明滅を繰り返す風神龍の姿が、岩場の潮だまりに浮かび上がる。肌を包む濃い腐臭と潮の匂いに、錆びた鉄が混じった。
 濡れた水音が岩壁の間を跳ねるように木霊する。さらりとした海水の雫ではなく、とろみのある粘着質な音。
 アマネはそこで、足下に広がるぬかるんだ水が、風神龍から流れ出た体液であることに気が付いた。
 発光器官から漏れ出た体液が混じっているのか、よく見ると足を動かすたびに仄かな光が広がり溶けるように消えていく。
 空気が動く気配に前を向くと、風神龍の黄色の目とかち合った。砦跡を覆うほどに流れ出たそれらは、索敵用の感覚器官としての機能もあったようだ。嵐に覆われた砦跡全体はすでに巣と化していたらしい。先遣隊を出したギルドからの報告にはなかった情報に歯噛みする。
 隙を見せないように腰を低く落とし、腰に佩いた片手剣を抜く。すると、黄玉から目を離せずにいるその身体を、押し出すように風が吹いた。
 薄曇りの目が渦巻く風を映す。火竜が薙ぎ払うように火焔を吐き出す直前に感じる、肌がひりつく感覚に似た悪寒が全身を走った。風神龍の口内で空気が圧縮され、集束している。アマネは回避と思う前に脊髄反射で空を翔けた。それと同時に暴風のような咆哮が轟き

 その下から黄昏に似た光が溢れるのを見て、アマネは力任せに身を捩り、より高く跳び上がった。
 直後、真下の岩場が音を立てて崩落する。風の流れを強制的に変えられたことで風神龍は体勢を崩し、仰くようにして大きな龍体を反転させた。低い地鳴りが空気を震わせ、静電気を伴いながら肌の上を伝い走る。
 アマネはくるくると身を翻し切り立った岩壁に足裏を乗せると、鉄蟲糸で岩と身体を固定した。
 地を割るような音を響かせながら、稲光が薄暗い砦跡を瞬きの間照らし上げる。
 仰ぎ見る先は、新たに淵源と名付けられた雷神龍。
 一度は人の手で天から墜とされたその龍体が、稲妻をはたたかせながら、冥府の如き虚ろの穴より再び地上へと現れた。その膨らんだ腹部の蓄電器官の中に、丸く発光する玉を八つ拵えて。対を求め、百竜夜行を引き起こしながら邂逅したのは産卵するためだったのだろう。
 楽の音にも似た咆哮に身体の芯が震える。
 肌の内側を細かな針で突かれているような感覚にアマネの体中から汗が吹き出た。ハンターの強靭な肉体は、飛雷竜や奇怪竜の電撃を浴びても活動できるよう訓練を重ねて作られる。それは年齢性別問わず、アマネも同じだ。その身体が、咆哮一つで動きを封じられている。
 焦りを見せるアマネになどひと目もくれず、泳ぐように天を昇った雷神龍は眼下の風神龍を見下ろすと、やにわに顎を大きく開いた。
 稲妻が弾ける中、地面近くを浮遊していた風神龍の龍体がふわりと浮き上がる。ぼたりと落ちた血の塊は穴の底へと吸い込まれ、消える直前で泡玉のように宙に浮き上がった。
 静電気のように稲妻が弾け、岩に埋もれた古代の大型弩砲(バリスタ)が表出する。身体を突きまわす針のような静電気と、押し潰されそうな威圧を跳ね除けたアマネは岩場を蹴り、大型弩砲(バリスタ)へと乗り込んだ。装填(リロード)の合間にその照準を雷神龍へと合わせる。
 ひび割れた遠身の硝子が、大きく開かれた顎に吸い込まれていく風神龍を映した。途端、風神龍の長い竜体がのたうつ。くねり暴れるその身から貝殻を砕くような甲高い音が聞こえ、次いで、風神龍の悲鳴じみた咆哮が響く。
 雷神龍の閉じた顎の隙間から溢れた血が、唾液と混ざり糸を引きながら地に落ちた。
 光が脈打ち雷神龍の体内を蠕動する。外殻と骨を砕く音に混じる、肉を引き裂く咀嚼音。その生々しい音が水気を含んだ空気に反響し耳にこびりつく。
 妖しくゆらめく黄玉がアマネのいる浮島へと向けられる。直後、装填(リロード)が終わり轟音と共に弾が放たれた。振動に振れる照準を力づくで合わせる。弾は雷神龍の外殻に当たり血しぶきを上げながら砕け落ちた。鉄の焼ける匂いが立ち込め、咆哮が轟き砲台から薄灰色の煙が上がる。
 空を裂く幾多の光線が砦跡を奔り、磁場の変化で浮上した岩が次々と破壊されていく。落雷のような音を響かせ、表出した大型弩砲(バリスタ)が崩れ落ち再び地中へと埋まる。
 落下したアマネは翔蟲を使い降り注ぐ岩を避けながら雷神龍へと接近した。
 白く煙り遮られた視界の中、空を泳ぐ雷神龍の大きな龍体が朧に光を発するのを頼りに盾を振るい剣を振りかざした。碧い軌跡に続くように赤い飛沫と稲光が走る。
 閃光のような光に加え、薄蒼い光を纏った雷神龍は血を流してもアマネに見向きもせず、嵐の中へ入ろうと、何かを探すように砦跡内部をぐるぐると旋回する。渦の中から雷神龍は新たな威風を巻き起こし、風神龍が作り上げた嵐の壁に穴を開けようとしていた。
「まさか、捕食したことで力を得たの……?」
 それは明らかに、風神龍だけに見られた能力だった。
 風神龍は雷神龍が産卵するまでの間、雷神龍が巣の外に出ないよう自らを餌として与えていた。交尾後に雌が雄を捕食することはそう珍しくないが、その能力までも取り込むとなれば話は変わる。
 岩壁に退避したアマネは地上を見下ろす。喰われ、地に横たわる風神龍の目は空を舞う雷神龍へと注がれている。弱々しい風が雷神龍の行く手を遮るように渦を巻き、雷神龍から放たれる突風と相殺されている。
 風が強まる。
 まるで雷神龍をこの場に押し留めるかのように暴風の壁は厚くなり、僅かに差していた渦巻く天蓋からの陽光は完全に閉ざされた。

 それから、どれくらい刀を振るっていたのだろうか。
 疵をつけるたび、鱗を剥がすたび、嵐は少しづつ激しくなっていた。黒い空は厚みを増し、砦を囲うように、外界を侵食するように、砦跡から広がっていく。もはや一刻の猶予もないことは肌で感じていた。
 雷神龍を砦跡に留めようとする風神龍の力は次第に弱くなっている。以前は稼働した撃龍槍や破龍砲は上部に残された城郭ごと崩落し、使用することができなくなっていた。手持ちの回復薬も硬化薬も全て使い切っている。一度退避しようにも、何度目かの雷神龍の大技に巻き込まれ野営地は既に破壊されていた。
 通常の依頼ならまだしも、どれだけアマネが傷を与えてもこの雷神龍はアマネには見向きもせず、一心不乱に外へと出ようとしている。
 これほどまでに追い詰められた狩猟は初めてだった。たった一人で挑む、里の存亡も関わってくる淵源の討伐。押し潰されそうな重圧の中、アマネの落ちた視線は、自然と腰に下げた袋へと向いていた。
 材料が分からないものは絶対に口にするなという、修行中に何度も聞かされてきた言葉が過ぎる。素材は分からない。蜂蜜の甘ったるい匂いがすること以外、一切が不明の新薬。ギルドだから信頼できる、とは言い切れなかった。
「仕方ない、か」
 取り出した小瓶の中、とぷりと揺れる真っ赤な液体を見下ろす。
 噎せ返るほどの磯の匂いに混じる、錆びた鉄の匂いに吐き戻しそうになりながらアマネはその液体を一気に煽った。
 「っ、」
 異変はすぐに起きた。
 焼けるような熱さが喉を通り胃へと落ちていく。度数の高い酒精を樽いっぱい喉に流し込まれたような感覚だ。脳が灼けるような痛みが全身を貫き、明滅する世界が何度も回転する。その堪えられない目眩にアマネは膝を突いた。もはや立っているのか逆さになっているのかも分からない。雷神龍の磁場操作により宙に浮いているような気さえしてくる。
 口を衝いて出そうになる悪態を飲み込み、アマネはぐちゃぐちゃになった平衡感覚を捨て、自らの身体を鉄蟲糸で岩盤に固定した。
 心臓が強く脈打ち、鼓動が早まる。そして、次の瞬間、アマネの世界は変わった。
「これ、は」
 全ての動きが遅く見える。雷神龍の動きも、降り注ぐ雨粒も、空を走る稲妻の一本一本も。それだけでなく、薄暗い砦跡の地に光が差したように明るく見える。岩肌の凹凸すら数えられるほどの視力の向上も見られた。雷神龍が次にどう動くのか手に取るようにわかる。
「これなら、勝てる」
 鉄蟲糸で縛り上げていた身体を岩壁から解放する。ふわりと浮いた体は羽より軽く、思う以上の能力を発揮する。
 旋律(うた)のような咆哮と共に、雷神龍がアマネを見下ろした。雷が迸る黄玉の目が光を帯びる。その巨大な龍体に向かって、アマネは大きく跳躍した。生み出された磁場により舞い上がった岩を蹴り、間をすり抜け接近する。強すぎる磁場によって崩落する砦跡の岩場は砕かれ、アマネの頭上へと降り注いだ。大岩さえ一太刀で破壊し、真っ直ぐにその頸を目指して空を翔け抜ける。
 岩盤を滑るように翔ぶ。雷撃を盾で受け止めながら、鉄蟲糸を護謨糸のように千切れる寸前まで伸ばし、その勢いで体を空へと打ち飛ばした。
「外には出さない。お前の墓場は、ここだ!」
 光る玉が宿る腹袋を引き裂き、雷神龍の背骨を折り砕く。生臭い体液に塗れた身体の表面を刺すような痺れが走った。アマネは上手く動かない四肢を無理やり鉄蟲糸で支え動かしながら、歯を食いしばり再び空へと跳び上がる。天へ咆えた雷神龍の叫びに呼応して、数多の稲妻が砦跡へと刺さるように落ちる。
 その中心で、雷神龍は崩れるように地に伏した。アマネが破った雷袋からは僅かに光る体液が流れ続けている。岩場の上にある珊瑚のような木の下へと滑り込んだアマネが見下ろすと、外を見上げる黄玉の目は輝きを失い白く濁っていた。
 それを、岩に突き刺した片手剣を支えに呆然と見遣る。
 気がつけば、あれだけ吹き荒び荒れ狂っていた風は穏やかさを取り戻している。遠くから海を渡る鳥竜種の鳴き声も聞こえてくる。薄暗かった砦跡にも光が戻り、見上げると黒い天蓋が割れるように裂け、奥から醒めるような青が広がっていた。雲間から薄布のような光が差し込む。極光のように揺れる光は、砦跡を柔らかに照らし上げる。
 その穏やかな光景に、喉から震えた声がこぼれた。
「終わっ、た……?」
 がくんと視界がずれる。視界は灰色の岩場から、いつのまにか天を見上げていた。雲間から目が痛いほどの青空が覗いている。その中に珊瑚の朱が色を差す。
 久しく見ていなかったそれを最後に、ぶつんと紐を千切るように、アマネの視界は夜に包まれた。




20211211

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