遍く照らす、 | ナノ

遍く照らす、 / 火群の瞬き




雷神龍へと挑む、決戦当日。空は雲が重なり覆い隠し、日の出前であることを除いても、蟲の灯りが無ければ足が竦むほどに暗い。
遠い海に降り立った雷神の影響がここまで及んでいるのかと、これから決戦の地へ赴く#は緊張した面持ちで桟橋を進んだ。砦跡まで向かう船が波で大きく揺れる。その軋むような音に紛れ、待ってと、人の声が聞こえた気がした。梯子を登りながら振り向くと、遠くから碧い光が近付いてくる。
暗闇に、雷狼の面がぼんやりと浮かぶ。
完全に足を止めたアマネをギルドの職員が怪訝そうに見下ろした。ギルドの紋章を掲げたその船へ乗り込もうとしていた彼女を呼び止めたのは、里周辺の哨戒に当たっている筈のウツシだった。
近付いてくる見知った気配に、アマネの頭上で先に乗船していたオトモのアイルーとガルグが顔を出す。彼女はそれに中へ戻るよう指示を出すと、梯子から飛び降り、桟橋へと足を戻した。
振り向いたアマネの顔は、狩猟用の狐面に覆われていて表情は見えない。

「教官、どうして……」
「愛弟子の見送りにも行かないのかって、蹴り飛ばされちゃってね」

いつもクエストに出発する時の朗らかなものとは異なる、硬い印象を与える、静かな声だとアマネは思った。
少しだけ変わってもらったんだ、と薄く微笑を浮かべながら、ウツシは懐から組紐を取り出し差し出した。薄鼠色の組紐と、紐に通された、夜明け前の薄暗い中でも淡く光る小さな碧玉が揺れる。手のひらに落とされたそれは緩やかな明滅を繰り返し、アマネの顔を仄かに照らした。

「これ、は……?」
「護石、みたいなものかな。凄いスキルはつけられなかったけど、君の助けになるようにと作ったんだ」

ウツシはいつか来る日のために、前から少しずつ準備をしていた。共に行けないならと、フゲンが里の衆を集めたその日の夜に最後の仕上げをしたそれは、仄碧く光る雷狼竜の碧玉を加工して作った、この世でただ一つのアマネを想って息を込めた護りの石だ。
ウツシは手のひらからそれを取り、見慣れた狐面の飾り玉と挿げ替え、しっかりと結び直した。白と藍の狐面の耳横で、菊結びの飾りと共に下げられた碧い玉が篝火を反射する。

「ありがとうございます、教官」

……会えて、良かった。
小さく俯いたアマネの動きに合わせて、垂らした飾り紐が揺れる。思わず口に出たような、風にかき消えそうなほど小さな声はしっかりとウツシの耳に届いていた。
離れかけたウツシの指が戻り、面の縁をなぞり耳朶に触れた。見つめ合う二人に、ギルドの職員がそっと目を逸らす。少しだけ面をずらし、露わになった唇をかさついた指で撫でた。
触れた唇が躊躇うように僅かに開き、ややあって小さく震える。その音にならない声を、唇の動きで読み取ったウツシは苦しげに眉根を寄せ、堪らず面を奪うように外し、アマネの頭を抱き寄せた。
旋毛に鼻先を寄せ、川の湿った空気と共に甘い匂いを吸い込む。フゲンやヒノエ、ミノトらが周囲の環境を安定させるために同行していたとしても、雷神龍と相見え戦うのはアマネ一人だけだ。雷神龍を斃し得るのはカムラの里ではアマネだけだと、そうギルドが判断した。
本当ならウツシも赴きたかったが、万が一飛び去った風神竜が戻り百竜夜行が起きた場合に備えてフゲンかウツシ、どちらか片方は残らねばならなかった。そしてアマネの身と、共鳴しているミノトに何かあった時を考えると、同行するのはやはりウツシよりフゲンの方が適任だった。有事の際は、ウツシが里を率いて代わりを務めることになっているからだ。
全て、ウツシも納得していることである。それでも、アマネの生存を最優先で確保するのならば自分が行きたかったと、男の胸に一抹の悔しさが残る。

「愛弟子、俺のアマネ。……必ず、無事に帰っておいで」
「はい……教官も、どうかご武運を」
「っ、ああ! キミも、きみも……!」

言葉に詰まる。ウツシは腕の中にすっぽりと収まってしまう体を、隙間がないくらいにきつく抱きしめた。
風神龍の時は、ウツシもすぐに駆けつけられる前線にいた。これほどまでに見送る事が辛いと思ったのは、砦と大社跡で分断させた、怨虎竜の討伐以来だった。
ギルド職員の視線を感じたウツシは、抱きしめた女の身体をゆっくりと離した。不安を一切感じさせない、満天の星が輝くような燃え盛る瞳に、目を潤ませた情けない顔をした男が映る。それはすぐさま藍色の狐面によって隠され、男も一度込み上げるものを押し殺すように目を閉じた。次にその目が開いた時にはもう、柔らかな海松色の髪の奥には平時の冴えた月にも似た光が戻っていた。
互いに腕に手を触れたまま、アマネが一歩身を引く。

「――必ず、帰っておいでね。教官との約束だよ」

互いの腕に触れる手は名残惜しげに最後まで肌を滑り、指先を一度絡めてから静かに離れた。その直後、薄鼠色の紐が宙を踊り、碧い線が音を立てて空を裂く。

……どうか猛き炎に、火群の加護がありますように。

ウツシはただただ祈るような気持ちでその細い背を見送った。
翔蟲で宙を舞い、船の甲板へと翔び移る姿を目で追う。鎖が擦れるような、錨を巻き上げる音がした後、船は静かに川面を滑る。
ウツシは船が遠く霞み完全に見えなくなっても、交代を知らせる里守が現れるまで船着場から離れる事なく、祈るように水平線を見つめていた。



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