遍く照らす、 | ナノ

遍く照らす、 / 
毒を抱える

しばらく避けていたプケプケのクエストを受注した。
依頼人は同年代の里娘で、ウツシと共通の話題が欲しいのだと言う。普段はクエストの選り好みはしないアマネだが、なんとなく、このクエストだけは緊急性が低いからと自らに言い訳をして後回しにしてしまっていた。そうしている内にすっかり忘れてしまっていたが、今日届いた急ぎのクエストを全て終わらせ時間が空いたアマネはふと、その忘れ去っていたクエストを思い出したのだった。多分、珍しく集会所にウツシがいなかったことも原因だろう。
火竜用に毒対策がされた装備はプケプケにもちょうど良い。それに、新しく雇ったオトモの装備も作りたかった。別に、このクエストを受けたくないという訳ではないのだが、どうしても言い訳じみたことばかりが浮かんでは消える。アマネはモヤモヤとした違和感を抱えたままミノトに依頼書を渡せば、それに気づいたミノトも首を傾げながら受け取った。

「ミノト、このクエストでお願いします」
「承りました。…アマネさん、実は今回のクエストは依頼主の方も同行することになっています。お呼びしますので、いつものようにうさ団子を食べながら少し待ってもらえますか?」
「はい。今日はもうこれだけなので、大丈夫ですよ」

申し訳なさそうに告げたミノトに軽く首を振り、オテマエにいつものセットを注文する。その脇を足首に手紙を巻きつけたフクズクが音もなく滑空し、川床からふわりと飛び立った。いつもなら聞こえる声が聞こえないことに僅かな寂しさを感じ、いつもなら気にならない、どんどんと鳴る太鼓の音がやけに肺に響く。

暫くして食事をいくつか頼み、いつもよりゆっくりとうさ団子を食べて待っていると、背後からあの…と、か細い声がかけられた。うさ団子を飲み込んだアマネが振り向くと同年代の見知った里の娘が不安そうな顔で立っている。アマネと同じ年頃で、一緒に遊ぶことはそれほど多くはなかったが、ハンター見習いとなったアマネにコミツ達と一緒に食事を持ってきてくれたりと時々話したことがある。

「どうしましたか?」

何か問題でも起きたのだろうかとアマネは努めて優しく声をかけた。大抵の問題は集会所を取り仕切るゴコクか里の受付嬢であるヒノエとミノトを通しクエスト登録という形で依頼になるが、個人的な依頼であれば直接本人と交渉したり、先にお願いしてからギルドに通す者も多い。
しかし今回は急ぎの問題や納品というわけではなかったようで、聞くとどうやら彼女がプケプケの依頼を持って来た本人だと受付のミノトから声がかかった。

「貴女だったんですね。すみません、受注が遅れてしまい」
「ううん、気にしないで!アマネさん、いつも里のために走り回ってて大変そうだったし、私のは別に仲間が襲われてとか、研究のためとか急ぎの依頼じゃないもの」

クエスト受注の処理が終わったらしく、ギルド内に鐘が鳴る。オテマエが食べ終わったうさ団子を片付けるが、その合図を知らない里娘は何か言いたげな様子でアマネと湯呑みの間で視線を彷徨わせた。

「それで、どうかしましたか?」
「…依頼書にも書いたけど…私ね、ウツシ教官との共通の話題が欲しいの。狩猟は私にはできないし、だったらモンスターのモノマネしかないでしょう?」
「?そう、なのでしょうか…?」
「だって里の外の話題とか、うさ団子の話だったら他の女の子達と一緒になっちゃうもの!だからもうモンスターのことしかないでしょう?それに、ウツシ教官と言えばモノマネだもの」

同意しかねるといった様子のアマネに、里娘が興奮気味に語り出す。だったらプケプケよりも可愛らしいアイルーやケルビ、もしくはあざとくメラルーの方が良いのでは、と改めてアマネは思ったが、暫し逡巡して心に留めた。ゴコクの画で見たプケプケは長い舌を伸ばしているが丸い目が確かに可愛らしく思うし、何よりも本人がプケプケを指名しているのだからそれでいいのだろう。

「でも、依頼を受けてくれたのがお弟子さんで良かった!知らない人だったらどうしようかと思ってたの。今日はよろしくね」

里娘は無邪気にアマネの手を握り、嬉しそうに笑った。同性のアマネから見ても可愛らしい仕草と笑顔に思わず笑みがこぼれる。他力本願はウツシが嫌うところでもあるから、自ら狩猟に着いて行き、現地で自分の目で見て観察をしたいという意気込みも好感が持てた。まだ、本当にプケプケでいいのか?アオアシラでもいいのではないか?と微かに疑問は残るが。

「そうだ、狩る前に少し観察する時間をもらってもいいかしら?」

期待に瞳を輝かせた里娘のその要望に、アマネが答えるよりも早くミノトが動いた。

「…すみません、ギルドの受付として依頼者側からのそういった要望は受け付けられません。ハンターを危険に晒す可能性もあります」
「あっ、ミノトさんそうですよね…ごめんなさい、どうか今のは忘れて…」
「…大丈夫。いいですよ」

しゅん、と萎んだ表情が一瞬で明るく輝いた。反対にミノトの表情は硬く、アマネの返答に一瞬瞠目した後心配そうに見上げている。
時間をかければかけるほど、ハンターが抱えるリスクや危険性は上がる。そも人の生活圏から外れ、大型のモンスターが闊歩する場で行動するのだから、それは里にほど近い大社跡でも変わらない。だから狩猟時間は決められているし、モンスターの位置把握や支給品など後方支援が手厚い。
それらを分かった上で、アマネはいつもの声色で了承した。

「モノマネをする上で生態観察はとても大事ですから。どうぞお任せ下さいな」

ゆるく口角を上げ、いつものように美しく微笑んだアマネに里娘は嬉しそうに顔を綻ばせた。

「行ってきます、ミノト」
「…あなた様に、炎の加護がありますように」

納得はいかないがギルドマネージャーのゴコクが何も言わない以上、受付嬢でしかないミノトにはこれ以上の口出しはできない。いつも以上に固い顔で頭を下げたミノトにアマネは苦笑気味に手を振り、里娘と共に砂原へと移動した。


 ◇


砂原に到着したアマネは里娘を伴い、観察がしたいと言う彼女のためにとにかくできるだけ時間をかけて狩猟した。本来は褒められる行為ではないが、攻撃されればアマネは武器を構えたまま里娘に動きが良く見えるようにひたすら回避に徹した。居合わせたモンスターと縄張り争いが始まればその流れ弾が当たらないように盾で庇い安全な場所まで里娘を誘導し、昼寝を始めれば写真を撮って渡す。生態についてや、剥ぎ取れる素材からどういったものが作れるかまでも簡単に解説しながら、気付かれないように二人でプケプケの後を追う。画と実物の差に少々引きつった顔をしていたものの、アマネの話に喜んで耳を傾けて時には広がる大自然に目を輝かせる里娘に、少し前までは心にしこりのようなものを感じていたアマネも次第に気分が良くなっていく。以前、まだ弟子として修行をしていた頃にアマネの知らないことについて語るのを楽しんでいたウツシの気持ちがわかったような気がした。

そうしているうちに残り時間も迫り、里娘を安全域まで退避させ、いよいよアマネはプケプケの前に立ちふさがった。砂原の乾いた空気にジンオウガの素材で誂えた片手剣が静電気を帯び、パチパチと音を鳴らす。
音もなく抜いた刃を握りしめ、好物のキノコに意識が向いている隙に脇をすり抜け横から頭を強く殴りつけた。驚き威嚇をするプケプケの咆哮が空気を震わせ、防具から身体に振動が伝わる。見知った里娘の手前、顔を隠すのもどうかと思い久しぶりに面を外していたアマネの瞳が、ようやく始まった狩猟の興奮で色濃くなり、刃物のように鈍く光った。

「ギャアアアアーー!!!」
「っ、あはっ…いきます、ね!!」

地を強く蹴り、プケプケの懐へ飛び込む。切りつけた勢いで軽やかに飛び上がり、落下する勢いのまま盾を振り下ろし剣を振るう。獲物の隙を伺う瞳はその高揚感に熱を孕んでいるが、どこまでも冷酷な狩人の眼差しだった。体で覚えた飛竜の攻撃特性と動作に合わせて身を翻し、双剣の動きを思わせるような連撃と迸る稲妻に、わずかに竜体が怯む。
夜に溶ける、燻した鉄のような髪が鮮やかに舞う。いつの間にか、里娘の目はプケプケよりもアマネへと釘付けになっていた。


至近距離からアマネを貫いた、怒り狂ったモンスターの咆哮に思わず耳を塞いだ隙を突かれ、勢いよく飛んできた太い舌がアマネの胴を強かに打ち吹き飛ばした。翔蟲で回避したアマネを見るプケプケの視線がす、と外れる。次いで尾が膨らみ、それがずるりと先端まで迫り上がる。視線の先には、いつの間にか前に出てきてしまっていた無防備な里娘。毒の滲み出る尾を振りながらプケプケが反転した。
まずい、と思ったアマネはとっさに早駆けの勢いそのままに里娘を突き飛ばした。その直後、アマネの視界が黒く濁る。

「い゛っ!!っ…!!!」

アマネは頭から毒液を浴びていた。盾で防ぐこともできず、ピリピリとした痺れが肌を駆ける。毒無効のため肉体的なダメージはないが僅かに目に入ったのか視界が滲む。鋭い痛みが思考を奪い、噎せるような饐えた匂いが頭を揺さぶる。しかし、それ以上に獲物を追い詰めている狩りの高揚感と興奮でアマネの顔には笑みさえ浮かんでいた。
毒を浴びたアマネに好機と捉えたのか、尾を回転させて再びアマネを吹き飛ばそうとプケプケが地を踏みしめる。その動作を確認したアマネは咄嗟に回避の要領で接近し、頭部へ盾を叩き込みそのまま足元へ滑り込んで足を狙って切り上げた。痺れから思うように動かず、ふらつく足にプケプケも焦りを見せ始める。

「ゲホっ…さすがに、ちょっときついな…」

不快感に喉元まで迫り上がるものを無理やり飲み下す。いつもなら弱った隙にこのまま疾翔けでこびり付くものを吹き飛ばすところだが、今はまだ背後に里娘がいる上、クエスト失敗までの時間がない。さらに悪いことに毒と腐臭につられて小型の肉食性モンスターも集まってきていた。遠くから別の大型の咆哮も聞こえる。ぐい、と乱暴に顔の毒を拭ったアマネは迷うことなくよろけたプケプケへ的確に追撃を重ねた。

弱った巨体を引きずりながら、プケプケが巣へ逃げようと翼を広げ地を蹴る。同時にアマネも翔蟲で跳躍し、腐臭を嗅ぎつけて飛んで来たガブラスに向かって身を翻し鋭く足を振り下ろした。ごぎゅ、とアマネの足下から骨と肉が潰れるような鈍い音が鳴る。
視線はプケプケに定めたままガブラスの頚椎を踏み抜き、その勢いでさらに高く跳んで

「逃さない」

薄灰の瞳に炎が灯る。
一瞬にして距離を詰めたアマネがプケプケを見下ろした。叩きつけるように盾を頭蓋へ振り下ろし、翔蟲が戻る反動で下からも顎を殴り上げた。

!!!!」

脳震盪を起こし目を回したプケプケが地面へと落ちていく。翔蟲から手を離し、重力に従い落ちるアマネは左手の片手剣を垂直に握り、落ちる勢いのままプケプケにその刃を深く差し込んだ。びくん、と大きな竜体が揺れゆっくりと崩れ落ちる。僅かに時間を残してクエスト完了の合図が鳴ると共に、じりじりと近づく小型モンスターに慌てたように現れたネコタクが里娘をひっ掴み安全域へと退避した。

「ふぅ…大事に使いますね」

ネコタクを見送ったアマネは膝をつき、目を伏せ手を合わせてから素材を剥ぎ取る。辺りに散らばる落し物も丁寧に拾ったアマネは、ふと自分の手を見た。プケプケの血がこびりついた手は生臭く、血で滑り洗うのにも一苦労だろう。肉を穿った感触、硬い武器の感触、そして移動で手を握って走った際に感じた随分と柔くて小さい手のひらを思い出す。武器を持たない手だから当然ではあるが、消えたはずのしこりが再び浮き上がってくる。もしや羨ましいのだろうかと考えて、アマネは僅かに首を傾いだ。武器を握る自らの手に不満はない。あるとすれば教官であるウツシと比べると一回り小さいせいで修行時代は少し苦労をしたことだろうか。
ぼんやりと考えているうちにアマネの迎えも到着し、ネコタクの硬い板に寝そべりゆっくりと流れる砂原の星空を眺めた。


 ◇


帰ってきたアマネを迎えたのはプケプケのモノマネを披露する里娘と、いつの間にか任務から帰還していたのかやけに笑顔でアドバイスを送るウツシだった。
妙に可愛らしいが、それでもきちんと特徴を押さえたプケプケ(物真似)を横目にアマネはミノトへと声をかけた。労わるような小さな笑みに、アマネの肩からようやく力が抜けてどっと疲労が押し寄せる。帰還時に見かねたアイルーが軽く清めてくれたが、毒無効とは言えやはり頭から浴びると精神的にも影響は出る。

「お疲れ様です、アマネさん」
「はい。…ミノト、今日は勝手な事をしてすみませんでした」
「いえ。受注したハンターが納得していれば止める理由はありませんので」

見上げるミノトのじっとりとした目に、ああやはり怒っているなとアマネは思った。後ろでゴコクが笑っている気配もする。ツンと逸らされたミノトの顔に、あとでお詫びに何を持って来ようかと思案しながらもう一度謝った。

「本当にごめんね、ミノト」
「…はい。心配はしましたが、あなた様の腕は信じていますので。ええ、ええ。どうぞ私のことはお気になさらず。…ウツシ教官にも、私の方から経緯を説明しておきましたので」

背後から聞こえる楽しげで賑やかな声に、ちら、とアマネが振り返ると、音がしそうな勢いでウツシと目が合った。気のせいかと錯覚しそうなほどの一瞬、いつもより少しだけ鋭い視線がアマネに刺さる。しかしウツシの表情には変化はなく、その視線も瞬く間にいつもの人好きのする柔らかいものに変わり、里娘へと戻っている。
狩猟後の心地よい高揚感と熱が、水を被ったように冷えていく。今更ながら、アマネは容易に要望を受け入れたことを反省していた。いくらネコタクが控えていたとは言え、本来ならアマネ達が守るべき里娘を危険に晒したことは咎められて当然だ。

「ウツシ教官から必ず待っているようにと言付かっていますが、どうされますか?」

少し離れた位置からハナモリもジェスチャーで待っていろと伝えてくるが、大切な人であり尊敬している師からの命ならば断ることはしないし、それが自らが招きかけた不始末についてならば当然従う。しかし慣れた下位のクエストとは言え一日中狩猟をした後の一仕事にアマネの身体は既に悲鳴をあげている。それはミノトもわかっているようで、準備エリアでも湯浴みができる奥の部屋の木札をそっと差し出してきた。

「やはり…彼女を危険に晒したことのお説教でしょうか」

目に見えて落ち込むアマネに、ミノトは真っ先にアマネの心配をしたウツシの姿を思い出す。
アマネはハンターである自分が里娘を守らなければいけなかったと思っているが、そもそもギルドの規定では依頼人からの依頼書に記載のない要望に関わる責任の所在は、全て依頼人自身が負うことと決められている。とは言え、頼まれたら断れないのがハンターでもある。
だから、ウツシが怒っているのはアマネにではない。教官としては、むしろよく戦ったと褒めるだろう。数を熟せば、狩猟捕獲採取以外にも護衛のクエストが来るかもしれない、そんな働きだった。だから一足先に帰還した里娘にもやんわりとした注意だけに留めている。そもそも、自分への恋心が原因なのだから今回ウツシは強く言いにくいのだろう。
それに、とミノトは思い、アマネを見上げた。伏せられた長い睫毛が、白い頬に影を落としている。

「ウツシ教官の考えはわかりかねますが、とにかく待っているようにと。…ただ、あまり落ち込む必要はないと思います」


 ◇


暖簾をくぐり、月明かりに照らされた回廊を突き進む。いつも利用している加工屋に近い部屋のちょうど反対側、川床の桜が見える部屋。慣れた手つきで空室の木札を裏返し、人がいることを示したアマネはするりと滑り込むように部屋に入った。解ける紐を引っ張りながらふらふらと欄干へ近づき、崩れるようにずるりとその場に蹲る。
気が抜けたというのもあるが、思った以上に疲労が蓄積されていたらしく、アマネは防具を脱ぐのもそこそこに横になったまま動けずにいた。ぐったりと弛緩した身体は力を入れると鈍い刺激が肌を走る。毒とはまた違う症状に、あのプケプケは直前にマヒダケを食していたからだろうとアマネは当たりをつけていた。今日の装備は毒無効だけで麻痺耐性は付いていない。

居れば外に助けを呼んでくれるであろうオトモ達は、疲労の色が見えていたためプケプケのクエスト受注前に広場へと戻してしまっていた。ルームサービスも今日に限って自宅に置いてきたままで、きっと寝ているだろうに今更呼ぶのも忍びない。
川のせせらぎに混じる賑やかな喧騒に、ゆっくりとアマネの瞼が閉じていく。
ひんやりとした畳は心地よく、火照る体を冷やしてくれたが同時に胸の奥からじわりと暗く冷たいものが滲む気がした。
帰還したアマネに気づく前の、少し嬉しそうな、溌剌としたウツシの笑顔が頭に浮かんで離れない。
ウツシが笑顔でいることはアマネの望みでもあるし、それを見られるのなら何でも。そう、それこそ古龍だって討伐する自信がアマネにはあった。
でも

でも、なんだろう。
いくら考えても出てこないその先に、今まで見てきたウツシのことばかりが浮かんでは消えていった。


 ◇


柔らかく暖かいものに包まれている感覚がしてアマネは目を開いた。
肩までかけられた濃色の衾と明るく輝く満月。そして黒い人影。寝起きでぼんやりとした目をそっと凝らせば、欄干に背を預け片膝を立てて座るウツシが、眠るアマネに配慮してか燭蝋を灯さず月明かりだけで書物を読んでいた。

「起きたみたいだね、愛弟子」

労わるような優しい静かな声。昼に見せるものとは違う、かすかな甘さを含んで細められた瞳にアマネの鼓動が早まった。そこでようやく、自分が部屋に入るなり眠ってしまった事を思い出す。脱ぎかけたままだった防具は外され、備え付けの鎧櫃と飾り台に置かれている。起き上がろうとするアマネを手で制したウツシが、アマネの枕元まで来て座り直した。

「すみません、寝てしまって…」
「構わないよ。こうしていると、修行をしていた頃を思い出すね」
「目は、疲れませでしたか…?」
「ああ、任務のおかげか夜目がきいてね。これくらい明るければ問題ないよ」

ウツシの熱い手が傷跡を隠すように目にかかる前髪を払い、横髪を梳いて耳に触れる。そのまま蚯蚓腫れのように残る跡をなぞり、頬を撫でた。つつ、と首筋にまで降りてきた指に思わず首を竦めたアマネを、満月を写したような双眸がじっと見下ろしている。全ての音が遠ざかるような張り詰めた空気に、アマネの喉が小さく上下した。
形を確かめるように鎖骨をなぞり、むき出しの肩に触れる。眠る前に残っていた痺れはなく、肌を滑るウツシの熱い指先にアマネは身を震わせた。アマネの殺し損ねた息がこぼれる。はく、と小さく漏らした音に気がついたウツシが、何事もなかったかのように手を離す。

「ゼンチ先生から薬をもらったから、その…インナーまで脱がしてはいないけど、濡らしたタオルで拭かせてもらったよ。本当は風呂に入ってからの方がいいんだけど、少し痺れが残っているようだったからね、先に塗ったんだけど…」

ふ、とそれまでの緊張が霧散する。気まずげに視線をそらせたウツシが少しだけ早口でアマネに告げた。
肌を走る痺れがないのは、ウツシが手当てをしてくれたから。そのことが嬉しくて、でも喜ぶにも脳裏を過ぎる鋭い視線がアマネの邪魔をする。

「ありがとうございます、教官…あの。今日のこと、すみません。きっと怒ってますよね」
「…いや、別に怒っては…ううん、怒って…る、のかな…?」

煮え切らない答えに、アマネは不安そうにウツシを見上げる。ウツシ自身も困惑したように口を動かした。

「ああ、いや。愛弟子、怒ってるとかではないんだ。そこは本当に…」

そこでまた口ごもり、ウツシは結局、上手く言葉に表せないと苦く笑った。

アマネの度胸と追い詰められた際の猛火の如き猛攻はウツシの好むところでもある。血を浴び浮かべた凄艶な笑みに、顔に熱が集まりぞくりと背筋を震わせたのは一度や二度ではない。命のやり取りをしているアマネも、里の皆と仲良く話をして普通の娘のように過ごすアマネもウツシは好ましく思っている。

だが、ミノトからアマネが里娘を連れてクエストに行ったと聞いた時、ウツシが感じたのは胸の奥に泥が流れ込んだような感覚だった。怒りや不安に似たそれは帰還の知らせを受けても、実際にアマネを見ても消えることなく、向けた先すらわからない行き場のない感情は冷えて固まった溶岩のように残り、結局触れたアマネの熱でほろほろと崩れた。ウツシ自ら引き出すアマネの人間らしい表情を、仕草を見るたびにその重い塊は少しづつ崩れていく。
しかし、その核は今も残ったままで、他にも崩れきれなかった塊が心の底に積み重なっている。
これがアマネの狩猟について行った里娘への嫉妬か、それともいつかアマネが手の届かないところへと行ってしまうことへの、そしてそれを見送ることしかできなくなることへの不安かウツシは判断がつかなかった。

「頼むから、無茶だけはしないでくれ。キミが毒無効の装備で行ったのは知っててもね、さすがに頭から毒を被ったって聞いたら俺も肝が冷える。しかもミノトさんに言われた部屋に行けば倒れてるし、それを見た俺がどれほど恐ろしい思いをしたか…ねぇ愛弟子、笑ってるけどちゃんと聞いてる?」

真っ直ぐに向けられる感情のくすぐったさにアマネが小さく笑みを浮かべた。それにつられてウツシも破顔する。
血を浴びても、疲労が滲んでいてもなお美しいと思う自分にウツシはそっとため息をこぼした。



20210502
支部掲載

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