遍く照らす、 | ナノ

遍く照らす、 / 真珠の星




あの大雨の日から三年の月日が経った。あれ以来、百竜夜行は起きていない。
年によっては災禍が続くこともある中で、里はいつ終わるとも限らない束の間の平穏に包まれている。そして里長である男に引き取られたウツシは、その間にカムラに住まう民すべてに課せられた里守としての訓練を始めていた。

太陽が真上に届く少し前、ウツシは今日分の訓練を終え、他の仲間より一足先に里へと帰還した。
どこに寄ることもなく、たたら場の横を通り真っ直ぐに進みかつての自宅とは違う茅葺の家を目指す。途中、砂鉄と炭を運ぶ里守達と何人もすれ違う。カムラの里を象徴するたたら場は再度火が灯されて以降、絶えず里全体に飛竜避けの薬煙を吐き出すため、休む事なく操業を続けている。

「ウツシ、帰ったか」

和綴の書物と巻物を抱えたウツシが世話になっている里長フゲンの家へと戻ると、土間横から低い声がかけられた。

「フゲン様、ただいま戻りました」
「ああ、今日も頑張ったようだな。少し早いが昼餉にしよう」

囲炉裏にかけられた鍋をゆっくりと回したフゲンが、椀に中身をよそった。水気が多いわりにとろりとした薄茶の粥は、味噌と共に乾燥させた芋の粉を溶いたものだ。それがなみなみと注がれ、ウツシのお膳に置かれる。横にはぬか漬けと梅干しが添えられ、渡しには小ぶりの干魚が二枚乗っている。
食べ盛りであるウツシには些か物足りなくはあったが、里が再興し元の生活に戻ってからも、一度土が汚れた影響は未だ村を苛んでいた。
ウツシが座布団に腰を下ろすのを確認し、フゲンが両手を揃える。ウツシも同じように揃えると、二人分の「いただきます」が静かに囲炉裏の火に熔けた。
味の薄い、あまり美味しいとは言えない粥を無心で啜る。ウツシは腹が膨れれば不満はなかった。フゲンの腕の問題もあるが、未だ潤沢に食材を得られるとは言い難い中寄せ集めた食材で作られた飯は、お世辞にも美味しいとは言えない。それでも顔色一つ変えず粥を頬張るウツシに、フゲンは自身に言い聞かせるように口を開いた。

「後もう少し時が過ぎれば、土もかつてのように戻り、日々の糧にも困らなくなるだろう。そうしたらお前にも、もっと良い飯を食わせてやる」

そう言い、腰帯に通した短刀を抜いて、煙で燻していた肉を数切れ削ぎ、ウツシの椀に放る。ウツシがそれを粥と一緒に口に含むと、仄かに甘い煙の匂いと塩気、引き締まった肉の旨味が口いっぱいに広がった。選り好みができる環境ではないこともあり、ウツシは食への拘りも味の好みも一切無かったが、それでもフゲンの作る干し肉と燻製肉だけはよく好んで口にしていた。
無表情で粥を口に運んでいたウツシの顔が和らぐ。同年代の子供達と比べると表情の硬いウツシが唯一笑う瞬間の一つが、食事の時間だった。養い子であり、近いうちに内弟子となる少年が浮かべる年相応の顔に、フゲンもようやく少し温くなった粥を掻き込んだ。
米と芋、豆が溶けるほどによく煮込まれた粥を白湯で流し込んだフゲンが、ウツシを見やる。

「ところでウツシよ、学び舎はどうだった?」

カムラの里の子供はみな、男女問わず十を数えると里守としての教育が始まる。それからおよそ六年かけて育て上げ、防衛訓練を経て成人を迎える頃には一人前の里守として百竜夜行の防衛に従事するようになる。それは里守にならずとも行われ、ウツシも引き取られた翌年からその教育が始まり、毎日を同年代の子供達と共に学び舎で過ごしていた。

「生存訓練を全て修めたと判断され、数人の年上の見習いと共に砦の防衛訓練に入りました」
「そうか……お前の活躍はよく聞いている。頑張るのは良いが、無理だけはするなよ」
「はい、分かっています。大切なことは食事と睡眠、適度な休養ですよね」

視線を落としたウツシがわずかに頭を揺らした。ウツシは通常六年はかかる教育を、たったの二年で終えている。
かつてのフゲンやハモン同様に、飲み込みが早く、器用で要領の良い子供は稀に凄まじい速さで教育を終わらせる。だから決して、無理をしているわけではないとフゲンも分かっている。

かつて里を壊滅寸前にまで追い込んだ百竜夜行から三十余年。その爪痕は火を奪い、土を汚し、水を穢し、長く里を苦しめていた。
途絶えた炎を再び灯すまでに十年、誰も飢え死にさせないようにするまでに更に十年。
その頃戦った者の殆どは早くに亡くなり、人も物も、何もかもが足りていない。再起を誓い手を取り立ち上がったものの、数年は日々を生き残ることで精一杯の有様だった。
特に当時は里を蹂躙した百竜夜行の余波によりモンスターの活動も活発で、染み付いた血肉の匂いに誘われたモンスターが常に里の周囲を徘徊し、昼夜問わず厳戒体制を敷いていた。里を蹂躙された屈辱を忘れず防衛と復興に専念する大人達は、かつてのように残された子供達を集め、かつてより厳しく生存のための修行を課すようになった。強い子供に育てるために。二度と誰も失わないように。
そうして里は、獣達の狂騒がいつ始まっても戦えるようにと、戦力、備蓄はその予備も含めて整え続けた。学び舎で里守としての教育を施し、兵士として鍛え上げるのもその一つだ。

その教育内容は、六年かけて生き残る術を教えながら、その本質は戦えない者を振るい落とすための選抜でもあった。
極限状態でも生き残るため、体に染み付くまでのおよそ二年間は座学と体力作りの反復が続く。里周辺の地形、環境生物、採取場所、近隣の村までの最短経路、獣道に洞穴。周辺全ての地理情報と、注意するべきモンスターの生体を一通り叩き込まれる。それら基礎が終われば、次はより実践的なものへと段階が移った。
次の二年で土に隠れ、水に潜り、木の上で眠り、休むことなく夜通し走り続ける。四肢を欠損した状態からの撤退方法。昼間と夜間で一人逸れた時の方角の割り出し方。星の見えない夜の越え方。薬の調合と素材の代用品。とにかく生き残るための教育が施されていく。
そして、最後の二年でモンスター毎の弱点の部位、その肉質の違いを教わる。刃が通りやすい部位を知るために種別毎に解剖をし、足跡や痕跡から周囲にいるモンスターを割り出す方法も教え込まれた。その全てを頭に叩き込み、そうして最後に武器を使った訓練が始まる。
ここまで来てようやく、里守の見習い達は武器を握る事ができるのだ。

しかし早く訓練を終えたからといって、以降同じことをしないでも良いわけではない。試験に合格しても実戦で役に立たなければ意味がない。百竜夜行が起きる周期も、頻度もまだ判明しないままだ。だから早く終えた者ほど、同じ訓練を何度も繰り返す。体にその動きが染み付くまで。

「早く終えても、いずれ里守として立つまで教えを忘れぬよう、よく励むといい。時間はまだ沢山あるのだから」
「はい、里長」

瓶台にかけていた鉄瓶を取り、フゲンはウツシの湯飲みへ白湯を注いだ。
かつてのフゲン達ですら、全て収めるまでもう少しかかった。その記録をウツシは易々と超えている。それもある時から、まるで何かに追い立てられているかのように一心不乱に鍛錬に臨んでいた。
その事に、フゲンは僅かな不安を抱いた。
失った家族に代わり、我が子のように育てるつもりで引き取ったことに嘘はない。しかし里長としての立場と責務が、カムラの里を取り巻く環境が、養い子をただ慈しみ成長を見守ることを良しとしなかった。戦うことへの才能が一切なければきっと、潔く厳しい外界から遠ざけることができたであろう。しかしそれを選ぶには、ウツシは狩人としての才能に恵まれすぎた。
人の感情の機微に聡いこの子供もまた、周囲の期待を無意識に感じ取っていたのだろうとフゲンは思う。フゲンにとってのハモンがいないウツシは、来るべき時に備え、ただ一人淡々とその身を磨き上げている。何よりフゲンが里長として生き続ける限り、引き取ったこの子供を本人の意思に関わらず、誰よりも強く育て上げなければならない。
カムラの民が徹底した教育を受けるのは、当然日々の生活を、自分たちの生存圏を守るためでもある。しかしモンスターが食物連鎖の頂点に位置し人の住める環境が少ないこの星で、この地に根を下ろすと決めた以上、ただモンスターと命の奪い合いをして勝つための教育では、以前のように再び蹂躙された時再び立ち上がることは難しい。カムラの民にとって幼少から受ける教えは、里の存続、ひいては生存競争に勝つための下地であり、先祖からの意志を継ぎ、血を繋ぎ、明日を迎えるために他ならない。それには適材適所、本人の希望は二の次にするよう誘導し、将来の選択を幼いうちからさせている。
全ては里のため。
蹂躙された屈辱に、次期里長として身も心も里に殉じる覚悟を決めた時から、フゲンは思想を何よりも里を優先させるものに切り替えている。それでも締め付けるような胸の痛みを無視して、フゲンはどこまでも的確に、冷徹に、安寧の炎を灯し続けるための道を撰び取る。
だから、少年の雷の如く鮮烈に光るその才は、直に誰よりも苛烈に轟くであろう。
師として、フゲンがそのように仕上げるのだから。



20210817

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