遍く照らす、 | ナノ

遍く照らす、 / 火群の瞬き
十四

十四


永遠に思えた勝負も、終わる時は一瞬だった。
アマネを追い越すように翔んだウツシが後襟のはためく背を蹴り落とす。逃げようと翔蟲を放つアマネへ、ウツシは地面に叩きつけられることも気にせず、抱きつくように鉄蟲糸で己の身体ごと拘束した。
二人は縺れるようにして墜落し、水切り石のように勢いよく地面を滑り跳ねた後、突き出した岩に引っかかって止まった。
地面に衝突した衝撃により腕や肩の防具は壊れ、辺りに砕けた破片が飛び散っている。

「う、ぐぁっ……!!」
「ああ……やっとだ! やっと、キミを――捕まえた」

押さえつけられた手に鉄蟲糸が絡みつく。籠手が砕けようとも決して離さなかった剣は取り上げられ、両手を縫い止めるように鉄蟲糸の隙間を刺し、虫の標本のように地面に留められた。
のし掛かられた身体はウツシの全体重以上の力で押さえつけられている。骨が折れそうになる程の強さに、アマネは逃げることもできず、ただ足をばたつかせた。
刃が毀れている双剣の切っ先がアマネの片目を隠す怨虎竜を模した半面を引っ掻き、その下の素顔を露わにする。

「なんでよ……! もうほっといてください! 私に構わないで! 一人にさせて! こんなっ、こんな姿、あなたに見られたくなかったのに……!」

胸をかき乱す悲痛な叫びと同時に、ウツシが美しいと思い焦がれた双眸が、男を捉える。
しかし面の下にはウツシが思い描いていた銀灰の輝きはなく、代わりに赤紫の星雲が滲む瞳が、涙で濡れていた。その縁を飾るように、怨虎竜の鬼火の結晶に似た粒子が付着している。
同じ星の色をしながらも、左右で異なる瞳がウツシを睨め付けた。
鬼火が破裂するように恐怖と怒りがアマネの内で弾ける。
男が全身でアマネへの欲を叫ぶたび、胸の奥を無遠慮にかき回されるような恐怖が彼女に走った。
恋とするには生々しく、愛とするには濁りすぎている。粘度の高い蜜のようなそれは、息さえ許さないほどにアマネへと滴り、溺れさせようと手を伸ばす。
その、底知れぬ執着が恐ろしかった。
だってアマネにはもう、返せるものが何もない。それでも欲しいと、男は手を伸ばしてきて。なのに、散々暴れ拒んでも、抵抗をねじ伏せる手はどこまでも優しい。

「どんな姿になっても俺の気持ちは変わらないし、我が愛弟子は何より綺麗だ。……と、言ってもキミは納得しないか」

悲哀を誘う啜り泣く女の声に、ウツシは苦しげに眉根を寄せた。
捕まえた手を嫌だと泣き尚も暴れる女へ、ウツシは宥めるように髪を梳き、結晶がこびりつく肌に伝う赤い涙を舌で掬い取った。濡れた水音に涙の味が濃くなり、鉄の味が混じる。

「言ったよね。俺が捕まえたら連れて帰るって。髪の一筋から足の爪先まで、キミの全部は俺が貰う。……たとえキミにだって、渡しやしない」

星が燃える瞳はウツシから逸らされ、拒絶するように涙をこぼし続けている。
泣き止んでほしくて何度も落とす唇の震えが、捕まえた歓喜と逃げようとする怒りのどちらが原因か、ウツシには判断がつかなかった。

「キミは知らないだろうけど、俺はね、キミが思うよりずっと狭量なんだよ。俺の知らないところで笑っているキミが許せない。俺がいないキミの幸せを願えない。……仕方ないよね。だって、キミが欲しくて欲しくてたまらないんだから」

逃がさないとばかりに布地が破れ、露出した肩を掴まれる。骨が軋むほどの力に、食い込む指が皮膚を赤く染めた。

「なのに、一人になりたい? 俺から逃げたい? っふざけるな!!」

空気が震える。轟々と燃える炎の音を掻き消し、砦跡の空気を引き裂くような竜の咆哮に、アマネの身体からは呼応するように赤紫に光る火の粉が舞った。

「キミこそ……! キミこそ、俺をこんなにした責任を取れよ……! キミがいないと、俺は……っ」

アマネの顔にぱたぱたと水滴が落ちた。
血を吐くような声で男が叫ぶ。しかし、吐き出された言葉は途中で不自然に途切れた。

「ぇ……?」
「ああ――くそ、あと、少しなのに」

濡れて滑り、べたつく手がアマネの輪郭を沿う。触れている熱い筈の手は、今は凍るように冷え切っていた。
蜜よりも透き通り、雷よりも鮮烈に輝いていた瞳は霞み、アマネを探して視線を彷徨わせている。その男の口からは、赤い雫がこぼれ落ちていた。
度重なる鬼人化とその強化状態の繰り返し。さらに使用限度を超えた薬の乱用により、ウツシの肉体は無意識に限界を超えた鬼人化の極限状態へと移行していた。
持久力ではなく命を削るそれにより、ウツシの体力は刻々と失われている。しかし気付かずに移行していたが故に、解除すること自体が頭になかった。
だからウツシがその違和感に気付いた時には既に、彼に残された体力は吸い尽くされる寸前であった。

「俺と、したことが……」
「きょう、かん……?」

滴り落ちる血がアマネの唇を濡らし、紅を差したように彩る。
呆然と見上げるアマネの全身から血の気が引いていく。ほんの少し前まで命のやり取りをしていたのに、いざそれが失われるかもしれないと思うと、胸が締め付けられたように苦しくなった。
違うと、意味のない否定が口を衝いて出る。
理由になっていない否定ばかりが喉まで迫り上がり、言葉にならずに消えていく。
その間にも、ウツシの口からは血が滴り落ちる。
一滴落ちるたび、女を掴む力が強くなり。
一雫落ちるたび、男の顔が色をなくした。
ぽたり、ぽたりと。薄暗い世界でもよく見える、ただ一つの色彩が落ちていく。

「ぁ……待って、今、秘薬を。だから……」
「まな、でし……」

咄嗟にポーチを探ろうと、頭上で固定されたままの両腕を動かす。
身動ぐアマネを、逃げようともがいていると勘違いしたウツシが肩を押さえる力を一層強めた。

――いかないで。

どちらともなく言葉がこぼれた。
その音が互いに届く前に、目を開いたまま、ウツシの身体がゆっくりと傾ぐ。
手繰る手を失ったことで、アマネを捕らえていた鉄蟲糸は溶けるように解けた。

「教官、教官……ウツシ、きょうかん」

アマネは震える唇で何度も男の名前を呼び続けるが、ウツシは胸に倒れ込んだきりぴくりとも動かない。ウツシの口から溢れる血と唾液がアマネの首筋を伝い落ちる。その冷たい感覚に焦りが募り、アマネの指先が急速に冷えていく。

「ゃ……やだ、きょうかん、寝ないで、起きてください」

細く小さな風が首筋をくすぐる感覚を頼りに、冷たい指でウツシの太い腕を揺する。アマネの胸を押し潰している硬く平たい胸当てに遮られ、男の鼓動は聞こえない。背に手を回すと、ぐっしょりと濡れたウツシの上衣が滑る。
ウツシの下から抜け出そうと力の抜けた重い身体を抱き、転がるように反転させ、地面に横たわらせる。傷がどこか触れたのか、低く呻く声にすら安堵の息がこぼれた。
そして手を突いてウツシの上から退こうとして、壁に阻まれたように、アマネの身体は止まった。
ウツシの両手はいつの間にかアマネの腕を強く掴んでいた。硬く閉じられた手はしっかりと上衣を握り離れない。むしろ、外そうとすればするほど力が強くなっていく。
その本当に気絶しているのか疑うほどの力は、アマネを諦めさせるには十分だった。
腕を切り落とすことも考えた。しかし、もう、この男から逃げ切れる自信がない。身は隠せても、心がずっとウツシを忘れてくれないだろう。
今だって、アマネの耳奥ではお前が欲しいと叫んだ男の声が、まるで呪詛のように木霊している。
身に焼き付いた熱は一向に冷める気配がなく、アマネを覆う諦念には染みが滲むような仄暗い喜悦が混じっていた。

「……もう、ダメね。捕まってしまったわ」

やがて、アマネは穴の底から飛び上がり静かに見守っていた怨虎竜を振り返ると、独り言のような声でそう呟いた。
怨虎竜は返事をするかのように、鬼火を纏った尾を揺らした。
一度言葉にすると、あとはもう早かった。必要なことを独り言のように、怨虎竜へと言い続ける。伝わっているのかどうか分からないが、もう二度と会えないと思うと、言わねばならないことは多くある。
血に染まる刀殻や爪を舐めて整える姿もどこか可愛いと思う程度には、共に過ごした怨虎竜への情があった。

「人の狩場は覚えていなさい。お前なんてすぐに狩られてしまうから、絶対に近づいてはダメよ。もちろん、里にもね」

アマネが怨虎竜から視線を外し、遠く白み始めた水平線へと目を向ける。
雲は薄くなり、吹き荒ぶ風も収まった。潮騒に紛れ、船が近付く音も聞こえている。それが、ギルドの船であることは明白だ。

「もうすぐ、ハンター達が大勢来ます。お前はここから直ぐに離れなさい」

小さな唸り声に、お前はと、聞かれた気がした。

「今度こそ、ここでお別れです」

空を覆う薄雲が赤く染まり、曙光の一筋が静かに寝息を立てる男の顔を照らした。
その陽光の暖かさに、アマネはそっと目を伏せた。
朝日で温められた男の頬に血色が戻る。陽に透ける海松色の髪が、閉ざされた瞳と似た黄金色に輝いた。
腕を掴む、血がこびり付いた手をそっと包むように握ると、温められて力が緩んだのか上衣から指が外れていく。
手を握ったまま横に腰を下ろしたアマネが、汗と血で固まり鬼火で薄っすらと焦げたその髪を柔らかな手つきで梳き、撫でていると、簡易野営地点の方から船の音が聞こえてきた。
男と同じように傷だらけのアマネの背中に、濡れた硬くて柔らかいものが当たる。

「さぁ――いきなさい」

きらきらと輝く鬼火の粉塵が、潮風に煽られて空高く舞い上がった。



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