遍く照らす、 | ナノ

遍く照らす、 / 火群の瞬き
十一

十一


突如、雷神龍が雷電を纏いながら曇天を裂き、龍宮砦跡上空へと出現した。
同時に、そこから遥か遠く離れた山間からも、雲に隠れていた風神龍が捕捉された。
近海で調査を行なっていた観測隊は壊滅状態となり、ギルドは急ぎ調査船を派遣し現地へ向かわせたものの、波が高く島に近づくことさえできていない。更には近付く風神龍の威風に当てられたモンスター達が大挙し、砦跡方面へ向けて群れを成していた。
前回まで雷神龍、風神龍を退けたカムラの英雄が不在の中、ギルドより再度の古龍討伐要請を受けたカムラの里は、前回同様に里長であるフゲンを筆頭に数人の里守と、対の古龍と共鳴している巫女二人を率いた討伐隊を組むことを決めた。
その決定に、ウツシが待ったをかける。

「俺に行かせてください」

黄金の瞳は炎が爆ぜていた。
アマネが消えて以来、頑なに外そうとしなかった雷狼の面を珍しく外したウツシが、真っ直ぐにフゲンを見据える。それはかつて男が対外的に見せていた、里を見守る穏やかな視線ではない。狩るべき獲物を見つけた雷狼竜と同じ、歴戦の狩人が湛える冷徹な眼差しだった。

「ウツシ。フゲンが征く以上、お前はここに残らねばならん」

長と英雄が不在の里を誰が守り導くのかと、ハモンが言外に男を諭す。影に隠れた常の思慮深さがようやく顔を出したウツシは炯々と光る目を揺らすと、その迷いを振り切るかのように、やにわに頭を深く下げた。

「お願いします、俺を連れて行ってください。アマネは必ず砦跡に来ます。……これを逃せばきっと、あの子は二度と姿を見せない。俺にとっては最後の機会なんです」
「その根拠は。今でなく、産卵直後の弱った所を狙うかもしれんぞ」
「あの子が後から来ることなんて、それこそあり得ません。余計な横槍が入らないのは今だけですから。それに、仮にまた失敗しても、後から来た俺達やギルドに倒してもらえる」

ウツシの弟子であるアマネは狩猟技術や知識を学ぶ過程で、本人でさえ無意識のうちに、こと戦闘に関しては作戦から判断までの思考すら、師であるウツシに似通うようになっていた。
いつも気が合うだなんて笑いあっていたが、実際は共にいた時間の長さから癖や行動、仕草に至るまで鏡写しになっていただけのことだ。その事実にウツシが気付いたのは、ごく最近のことだが。
だからウツシはアマネが砦跡に現れることを、誰よりも確信している。

「何より――俺ならそうするからです」

下げていた頭を上げた男の顔が稲光に照らされた。雷光の強い光で眉骨や鼻梁の影が浮かぶ男の顔は、整っている分だけ凄みを帯びる。
正面に立つフゲンの、互いに燃える瞳がかち合った。
走る稲妻にやや遅れ、カムラの里に雷鳴が轟く。集会場に降りる沈黙を引き裂くように、轟音が空気を震わせた。
やがてフゲンが諦めたように息を吐き、仕方がないとばかりに頷いた。すぐ様ゴコクが筆を動かし手元の紙に修正を入れると、ウツシはもう一度、深々と頭を下げた。
集会場の外では、里を囲う川からも確認できるほどの黒い雨雲が、砦跡の方角から墨を少しずつ広げるように薄曇りの空を染めていた。





砦跡周囲一帯は雷神龍が現れた途端に天候が崩れ、まるで異界のような様相へと変貌していた。
海上は絶えず稲光が走り、逆巻く風が波を押し上げる。空からは海の底と天上が繋がったかのような豪雨が降り注ぎ、外界からの帳を作り上げた。
悪天候には慣れているギルドの船ですら近付けさせないほどの嵐。しかし、威風を纏う風神龍はその雲間を泳ぐように進む。青白い龍体が徐々に砦跡へと近付くにつれ、一帯の激しさは増していった。

嵐がその勢いを弱めたのは、すっかり夜も更けた頃だった。
風神龍はとうに砦跡へと辿り着き、巣のように渦巻く嵐の中心へと入っている。
それでも未だ空は雲に覆われたまま、風が波をかき混ぜ、海面に稲光が走っていた。カムラの里からの応援も、今はただ船を出せるまでに嵐が収まるのを待つしかできない。それこそ大型の撃龍船でなければ、到底渡りきることは不可能な荒れ模様だった。
――それは、人間だけでは、の話だが。
ギルドが待機場所としている区域の対岸に、女と獣の輪郭が昏い闇に溶け出していた。
近場にあっても、切り立った崖と深い森が続き資源も少ないそこは、随分と昔にギルドの調査が行われて以来放棄されている区域だ。
その入り組んだ崖の上で、怨虎竜に乗ったアマネが瀑布のような雨の中に走る稲光を、睨むように見つめる。

「あの砦まで、飛べるわね?」

確認をするように、アマネが小さく囁く。
怨虎竜は当然だとでも言うように唸り、叩きつける雨の中でも消えることなく灯る、赤紫の鬼火を纏った。周囲にも鬼火が漂い、紫の靄が満ちていく。

「タイミングはお前に委ねます。私のことは気にせず、とにかく飛ぶことだけを考えるように」

怨虎竜の上で鬼火とは異なる碧い光線が走る。
動きを阻害することなく糸が巻き付く。それを背に乗せた女が手繰るのと同時に、獣は地を踏みしめ、咆哮と共に空へ駆けた。
強靭な体躯による跳躍力は凄まじく、その大きさからは考えられないほど軽やかに空を舞う。直後、鬼火の爆発による急加速で、砲弾を思わせる速さと勢いで飛翔した巨体は天から降り注ぐ瀑布の中を泳ぐように跳んだ。

常に獣を苛む、身を焼き思考を奪う餓えはない。
背に乗せた仇敵でもある人間の重さも気にならないほど、蓄えた鬼火で体は軽く、いくらでも空を駆けることができそうだった。
だから、ただ自身が喰らうべきものを喰らうため、空を駆ける。

ここに来るまでの間に数多の百竜夜行を貪り、その力を蓄えたことで、怨虎竜はかつてないほどの活力に満ちていた。怨虎竜の成長を著しく早めたほどの過剰な供給は、幼体に近かった矮躯を今や同じ成体の中でも抜きん出て大きなものへと作り変えている。一度に放出できる鬼火の量も増え、鱗も誘爆した炎で自傷しないほど硬い。
赤紫の尾を引きながら、怨虎竜は流星の如く空を駆けた。


瀑布の帳を潜り一人と一頭が龍宮砦跡へと降り立った時、海底から呼び起こされた、朽ちて久しい城砦はまだ深い闇に沈んでいた。
激しければ激しいほど嵐の中心は穏やかなもので、砦跡の周囲を囲う海は油を流したように静まり返っている。しかしその空は月明かりすら届かない、閉塞感を抱くほどに重い雷雲が広がっていた。
アマネの身体に冷たい海風が撫でるようにして纏わりつく。前回来た時よりも濃い潮の匂いに、彼女は眉を顰めた。磯臭いと言うには生々しい、穴の底に満ちていたような臓物臭。
不意に、闇の奥で何かが蠢く気配がした。
アマネは仮設拠点から離れている、切り立つ岩の上から円形に広がる空間を見下ろした。その夜目が利く目に、力なく横たわる、衰弱した風神龍が映る。
黄玉の目は興奮したように光り、まるで最後の力を振り絞り巣穴の入り口を守るかのように、しきりに首を動かしながら睥睨し、警戒を露わにしていた。時折青白く発光する龍体に、身を伏せている地面が照らされ濡れたように反射する。その地面が黒ずんだ赤色をしていることに気が付き、アマネは今にも飛び出しそうな怨虎竜を宥めるように撫でた。

「お前が食べるのは、まだあれじゃないでしょう」

囁くような声で言い聞かせる。傍に潜む獣が飢えたように喉を震わせた。
強大な力を持つ古龍が死に際に放つ、モンスターを引き寄せる目に見えぬ力は、人間の身であるアマネには分からない。

「いい子ね……私が道を拓くから、それまでお前はここで動かず、機を逃さないように見ていなさい」

アマネはそう言うと、いつかのように翔蟲を放ち風神龍の下へと翔んだ。
着いた地面は流れ出たものと雨とが混ざり、足を止めるほど酷く滑る。
招かれざる客に気が付いた風神龍の爛と光る目がアマネを捉えた。

「会うのは二度目ですね。今度こそ、その首をいただきに来ました」

静かな声は風に乗り風神龍の耳へと届く。それが自身を退けた人の子だと分かるや否や、風神龍は咆哮した。
震えた空気は風を生み、その龍体へと集束していく。吹き荒ぶ風がアマネの上衣から垂れる後襟をはためかせる。
腰から片手剣を抜いた彼女の周囲に、その風に対抗するかのように鬼火が広がった。





それは、地上に燃え落ちる星の輝きにも似ていた。
龍宮砦跡へ向けて川を下っている最中、遠くで星が瞬いた。その鮮やかさに、この地ではまだ未確認である天彗龍かと職員が凍りつく。
……違う。マガイマガドだ。
慌てた職員が観測用の望遠鏡を覗き視認するより早く、ウツシがその答えを見た。
常人には彗星の尾のように見えていても、ウツシの目は空へ散る鬼火の靄をはっきりと見ていた。その背にはきっとアマネがいるのだろう。睨め付けるように空を見上げる男は、遠くで飛翔する赤紫の小さな炎に歯噛みした。
今すぐ飛び出したい衝動に耐えるも、焦りは苛立ちへと変わり、ウツシから余裕を奪っていく。

「もう少し早くなりませんか」
「増水もありこれ以上のスピードは危険です。……あと半刻ほどで着きますので、もう少しお待ちを」
「半刻、ですか」

いっそ呑気とも取れるほど平坦な職員の声に、ウツシの噛み締めた奥歯から軋む音が聞こえた。組んだ腕を、指先が音も立てずに叩く間隔が狭まっていく。
海上の嵐の影響で増水した川の流れは早いが、船を乗り換える予定の沿岸まではもう少し時間がかかる。異国ほどではないが、船が必要な距離であることに変わりはない。
予想通り一人立ち向かおうとするアマネはとっくに海の上にいるのに、自分はまだ遠く川の上にいる。早く、と心ばかりが逸る。一人で行かせて、また取り残されるのか、と。
焦燥に駆られ、今にも空へと飛び出しそうな身体をウツシは必死に押さえつけていた。
その背を、見かねたフゲンが声を張り上げ押す。

「行けウツシぃ! お前の足なら船より早い!」

夜の闇を裂く爆音に空気が震えた。慣れていない、非戦闘員に近い職員達が耳を押さえしゃがみ込む。
突然声を上げたフゲンに驚き振り返ったウツシへ、里長の顔ではなく、かつて男を育てた親代わりが大きく頷いた。

「っ……先に行きます!」

ウツシは立ち直ったギルド職員が制止するより早く船から翔び上がり、遥か先にある嵐へ向けて翔蟲を放った。



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