遍く照らす、 | ナノ

遍く照らす、 / 火群の瞬き




カムラの里では、アマネと雷神龍が共に消えてから二度目の満月が昇ろうとしていた。
アマネの捜索は行われているがその生存は最早絶望的で、里の者の殆どが里の英雄であるアマネの死を受け入れ始めている。
それでも葬儀を執り行わなかったのは、どこかで全てを忘れて幸せに生きていることを願ったからと、何よりアマネの師であるウツシがまだ諦めていなかったからだ。
里を守る英雄の不在が続く。百竜夜行の兆候が再び現れたのは、その最中だった。

「里長」

戦支度をするフゲンの下にウツシが音もなく降り立つ。視線だけを投げたフゲンに、ウツシは膝を突いたまま低く抑えた声で監視から送られた夜行の侵攻状況を淀みなく報告した。僅かに俯く面に嵌め込まれた硝子玉が篝火に照らされ不気味に光る。
フゲンは、雷狼竜の面をした男の素顔をもう暫く見ていない。快活な笑い声と豊かな表情を向けていた先が奪われて以来、男は鬱ぎ込むように面で顔を隠し、一層任務に打ち込むようになってしまった。
もう一人の弟子の前では面を外して何とか取り繕えているようではあるが、それも時間の問題だろうと弟子の少年自身が告げている。

「――以上になります」
「そうか、ハモンに承知したと伝えろ」
「はっ」

膝を突いていた男が立ち上がる。軽やかに宙を舞ったウツシの影は瞬く間に空に溶け消えた。再び持ち場である前線へと翔けた姿を見送るフゲンの背に、甲高い半鐘の音と百竜夜行接近と叫ぶ声が叩きつけられる。

「アマネよ、早く見つかってやらんとウツシが持たぬぞ……」

里長、と自身を呼ぶ声にフゲンは今度こそ太刀を掴み砦へと翔けた。
暖簾を下ろし、祓え桜の幟を掲げ、雪崩れ込む百竜を迎え撃つ狼煙が砦から上がる。
フゲンが密かに呟いた声は、足下で主人を見上げていたカエンだけが聞いていた。





ウツシが双剣を振るうまでもなく、目の前のモンスターは脳天に振り下ろされた鋭い蹴撃に沈んだ。その反動を利用してウツシは空を舞い、頭上を飛び越えようとした毒妖鳥の翼膜に双剣を滑らせた。風を掴めず体勢を崩した飛竜がもがくように翼を薙ぐ。その刃のような翼を身を捻り避けると、宙を蹴ったウツシの空中での乱舞による連撃をまともに食らい、飛竜は力なく地に落ちていった。
地に降り立ったウツシが辺りを見渡すと、現れたモンスターの殆どが息絶え力なく地面に倒れ込んでいる。今回、前線の防衛では砦内部への侵攻を一度も許すことなく済んでいた。
未だ消息の掴めない風神竜ではあるが、今回は遠く離れているためかいつにも増して規模も小さく脅威も低い。あまりの手応えのなさに拍子抜けするほど、順調な迎撃。そのことに前線に立つウツシは密かに安堵していた。
今日の百竜夜行は砦内にアマネのいない二度目の防衛戦になる。前回は分断させた怨虎竜を迎え撃つためにアマネも別の場所で戦っていた。しかし今度は違う。どこにもいない。ウツシが呼ばれることは絶対にない。
振り向いた先、砦最奥から上げられている狼煙は変わらず空へと立ち昇っている。モンスターを相手取っている最中も無意識に砦内部を気にしていたウツシを、フゲンは背を叩いて叱咤した。

「それほど後ろが気になるか、ウツシよ」

幼い頃の男を養育し、弟子として見ていたこともある親代わりのフゲンだからこそ気がついた。
ウツシは面をしていても分かるほどに後ろを気にしている。気配が前を向いていない。年を重ねても変わらない素直な気質に、思わず口角が上がりそうになるのをフゲンは堪えた。
普段であれば叱るほどの隙ではあるが、今回に限り下位も下位、それも捕獲寸前のようなモンスターの群れであれば何を言うこともなかった。何せ今回、フゲンは背負った太刀を、肉を焼く以外で一度も抜いていないのだから。

「そういうつもりでは……いえ、すみません」
「謝るな。……雷神龍と風神龍を追えば、アマネの行方の手がかりも掴めるやもしれん」
「……本当に、見つかるのでしょうか」

不意に、ウツシの声が暗く沈んだ。雷狼竜の面に嵌め込まれた硝子玉が無機質に光る。

「今になって時々、思うのです。あの子はもうとっくに雷神龍の腹の中で、だからもうどこを探してもいないんじゃないか、と」
「……そう言ったギルドの者に、ならば雷神龍の腹を捌いてでも連れ帰ると啖呵を切ったオマエが、珍しく気弱なことを言う」

モンスターの物真似で叫ぶことはあれど、ウツシは滅多なことでは声を張らない。その男が上げた、おそらく生まれて初めて身の内から込み上げた怒号を、叫びを、フゲンは覚えている。
あれはまさしく、番を奪われた雷狼竜の怒りの咆哮だった。

「もし腹の中にいたとしたら、なおの事早く出してやらねばならん。……さて、ようやく次が来たぞ」

地を揺らすほどの足音が響く。百竜夜行の第二波だ。
雪崩れ込むようにモンスターの群れが砦へと走る。先頭は傷だらけの鎌鼬竜に、青熊獣。続く毒狗竜が、割れた嘴から毒を垂れ流しながら足を引き摺っていた。肉が抉られ、安定しない重心にふらふらとよろめきながら走っている。
ウツシとフゲンが異変に気付いたのは、その時だった。
先ほどの狂騒も、里へと侵攻するモンスターはどれも深手を負っていて、中には走りながら息絶えるモンスターもいた。あまりにも長く傷つきながら走り続けていたためだと思っていたが、やはり何かがおかしい。
立ちはだかるウツシとフゲンに目もくれず、脇目も振らず走る鎌鼬竜。その首目掛けてウツシが疾走し双剣を振り抜き首を掻き切った。直後、青熊獣を越えて飛ばされた毒塊を、後方へ回転するようにして避けクナイを放つ。額の真ん中へ深々と突き刺さったクナイの勢いで青熊獣の体が崩れる。その巨体に躓いた毒狗竜へ、疾翔で接近し首を刎ねた。
双剣を鋭く振り付着した獣血を飛ばしたウツシに、背後から声がかけられた。

「ウツシ」
「妙、ですね」
「うむ。遠くから走ってきただけとは思えぬ有様。通常の百竜夜行とは異なる事態が起きているのやもしれん」
「……持ち場を離れます。俺が少し探って、」
「待て。……何か来る」

潜めた声と同時に、ウツシも動きを止めた。
フゲンが背負った太刀に手をかける。ウツシは体勢を低くし、いつでも飛び出せるよう双剣を構えた。
森の奥、昏い木々の影の向こうで濃い闇が蠢いた、ように見えた。
ウツシとフゲンの間に緊張が走る。
侵攻するモンスターと戦う剣戟が遠く聞こえ、砦の方から竜寄せの法螺貝が響く。

「……仕掛けますか」
「早まるな、ウツシ」

通常のモンスターとも違う気配に、武器を取る手に汗が滲んだ。
低く響く足音に、濡れた重い何かを引き摺るような音が近づいてくる。報告、観測共に見落としたヌシかと身構えた。
足に力を込めたウツシと抜刀の構えに入ったフゲンの、踏みしめた足下に差す影から不意に、紫の靄が立ち昇った。
暗闇に妖しく揺れた紫の炎が瞬時に赤く染まり、白く瞬く。
――鬼火だ。

「里長!!」
「ぬぅっ!?」

後方でフゲンが叫ぶより早く振り向いたウツシが上空へ回避するも、爆風の勢いで重心をずらし高く放り出される。目を見開いたフゲンが反射的に放った居合からの抜刀術で爆破の衝撃をいなし、回避を重ねて囲うように迫る鬼火の輪から抜け出した。
空中で姿勢を整えたウツシが軽やかに着地する。
爆風に巻き上げられた土煙の奥から、紫の炎を纏った怨虎竜が姿を表した。その口には食いかけと思われる天狗獣が咥えられている。肉の焼ける臭いと甘い腐臭、錆びたような血臭が混ざった臭いが辺りに広がる。怨虎竜が百竜夜行で仕留めた獲物を持ち去る姿は幾度も見たことがあるが、直接食らう姿を見るのは初めてだった。

「マガイマガド…! そうか、奴がここにたどり着く前に群れを襲っていたのか!」
「通常個体より一回り小さいが……まさか幼体か?」

武器を構えたウツシとフゲンが地を踏みしめる。
怨虎竜の動きが止まり――直後、遠くから再び竜寄せの法螺貝が響き渡った。
音のする方へと首を向けた怨虎竜が二人に目もくれず、力強く跳躍する。

「っまずい! あっちは砦だ!」
「頼んだぞ、ウツシ!」

怨虎竜は纏った鬼火の加速もあり、風を切るように森を駆けた。その後ろから全速力で空を翔ぶウツシが迫る。鋭い枝葉が当たりむき出しの肌に赤い筋が生じるのも気にせず、ウツシは弾丸のように空を蹴り怨虎竜の後を追った。
通常より小さな怨虎竜は体が軽い分早さも出るようで、全力のウツシの追い上げも躱しきり視界の悪い森の中を駆けていく。軽いひと蹴りで崖を登り、瞬く間に砦内部へと駆け下りた。あまりにも迷いの無いその動きに、ウツシの頭の片隅に疑問が浮かぶ。
怨虎竜は百竜を誘き寄せる法螺貝を吹く案山子の上空へと躍り出た。案山子の前では雌火竜の放った火球を受け負傷した里守が地面を這っている。
見上げた里守の顔が絶望一色に染まるのが、怨虎竜を追って飛び出したウツシの目に映った。

「頼む、間に合え……!!」

ウツシが咄嗟に戻り玉を投げるよりも早く、怨虎竜が空中で回転しながら鬼火を纏った十文字の尾を、雌火竜の頭部へと叩き込んだ。
完全に不意を突かれた雌火竜は、脳天に食らった鋭い尾の叩きつけにより目を回している。反動で僅かに浮いた怨虎竜が、重力に従い落ちる身を鬼火の爆破の勢いで再び上空へと打ち上げると、宙でもがく雌火竜の尾の裏に噛み付いた。そのまま尾を振り子のようにして身を反転させ、雌火竜を地に叩きつけた。頭から地に落ちた竜の首が叩きつけられた衝撃で音を立てて折れ曲がる。
体重を感じさせないほどの軽やかさで怨虎竜が着地すると、次いで迫る蛮顎竜へと身を躍らせた。
鬼火の勢いで風のように低空を駆ける。その鋭い下顎の棘と肉薄し、前腕に生えた刃で首を裂いた。振り向きざまに尾を力強く振り、次々と押し寄せるモンスターを薙ぎ払う。振り抜いた尾の遠心力で空に跳び、よろけた蛮顎竜へと飛びかかった。

怨虎竜が初めに宙を蹴った隙に、里守を助け起こし安全域にまで退避したウツシは、まるで里守を守るかのように立ち回る怨虎竜を探るように見つめた。
たった一匹で群れの波を退けた怨虎竜は、付着した血を振り払うように尾を薙いだ。鼻を鳴らしながら、自身に向けられる値踏みするような視線や怯えの混ざる視線を受け止める。緩慢な動作で再び尾を振ると、今度こそ周囲の里守には目もくれず、今しがた自身が沈めたモンスターの新鮮な屍肉を貪った。
砦内部の里守達はそれを緊張した面持ちで見守る。有限である物資を思うと、このまま怨虎竜に全て食らわせた方が、都合が良かったからだ。





その後も怨虎竜は砦内部に居座るようにして雪崩れ込むモンスターを襲い続けた。不思議と周囲で迎撃する里守や砦の設備は襲わず、里守が放つ大砲やバリスタの弾を器用に避け、時には設置された罠を利用し、百竜夜行だけを食い尽くしていく。
……まるで、防衛に参加したことがあるみたいだ。
どの位置によく里守が配置され、罠が仕掛けられているのかを理解している節がある。撃龍槍に誘い込む意図を汲んで複数体のモンスターを追い込むような立ち回りさえ見せた。
ウツシは前線にいるフゲンからの伝令により、怨虎竜の監視の任を与えられている。以前から百竜夜行を襲いに現れた怨虎竜は確認されているが、ここまで里の設備について熟知している個体は見たこともない。
古龍のように知能が高いモンスターなのか、それとも偶然能力の高い個体なのかを見定める。
それ故内部に残り、時には怨虎竜と連携を取り、里守として迎撃を続けながらの監視だった。
最後に現れた大物の角竜は怨虎竜の倍近い大きさではあったが、鬼火の瞬発力を生かした敏捷な動きで翻弄し、強靭な脚の刃と槍にも似た尾で着実に体力を削り、鮮やかに爆ぜる鬼火で地に沈めた。後に続いていた群れも、怨虎竜の咆哮とウツシ達里守の迎撃に怯み次々と逃げ戻っていく。
……上手く里守達の射程範囲へと誘導したな。
防衛成功を知らせる法螺貝の音が響き渡る中、仕留めたモンスターの屍肉を貪る怨虎竜をウツシは探るように眺めた。
明らかに設備の位置、作動までの時宜を熟知している様子だ。そして時折ウツシですら背筋が冷えるような容赦のない、冷酷な手段を取ることもある。しかし反面、小さな見た目の通りまだ未成熟の個体のようで、その狩りはまるで教えられた通りに動いているようにも取れる。
どこか釈然としないものの、かつて里を襲い夜行の度に何度も接近した怨虎竜の仔、もしくはその群棲の若い個体というのが、今見た限りのウツシの見解だった。

「ウツシ!」

砦内に張り巡らせている移動用の坑道の縁に、前線にいたフゲンが現れた。
今回は里へと侵攻する気配がないことから、無理に討伐する必要はないという判断のようだ。フゲンの隣にいる、途中で合流したらしいゴコクが掲げた撤収の合図に一つ頷き、ウツシも握っていた双剣を納めた。
モンスターの屍肉はきっとこの怨虎竜が綺麗に食べ尽くすだろう。紫の靄を立ち昇らせる怨虎竜から視線を外し、翔蟲を放つ。すると、口をモンスターの血で赤黒く染めた怨虎竜が不意にウツシを見た。

「なんだ……?」

怨虎竜を跳び越えるように空を舞うウツシを浅葱の目が追いかける。
ぐる、と喉を鳴らした怨虎竜がそのまま砦の外へと顔を向けた。直後、ピィー、と天に木霊する鳥の鳴き声のような音が響く。砦の中を奇妙なほど反響するその音は、フクズクに狩猟を覚えさせる時に用いる指笛に似ていた。
坑道の入り口からフゲンが飛び降りる。空中で器用に身体を捻り方向転換したウツシも着地した。
砦に再び指笛が響く。反応を見せる怨虎竜に号笛で間違いないと視線を交わす。
フゲンの下にウツシが駆け寄ると、反響音に混じり再び音が響く。足下の肉塊から完全に意識を外した怨虎竜に、いつでも双剣を抜ける体勢を取ったウツシがフゲンの前に立つ。
繰り返し三度、指笛が砦周囲の山間に反響しながら砦に響き渡った。
その残響も消えた頃、怨虎竜は突然弾かれたように駆け出した。紫色の靄を纏った尾が瞬く間に入り組んだ砦内部の進路の影に消えていく。

「あいつ逃げるでゲコよ!」
「追え、ウツシ! この怨虎竜、誰かが手招いたものやもしれん!」
「承知」

その命に、ウツシも地を蹴り空へ翔び出した。一蹴りする毎に落とされる鬼火の爆破を避け、空を駆けた怨虎竜を追う。



空気に溶けつつある残り香のような紫の靄を辿る。
鬼火を避けつつ爆破の勢いを利用し高く翔んでいたウツシが次に怨虎竜の姿を捉えた時、その紫と黄色の竜体は広大な森の中へと消える所だった。
……このままだと撒かれるな。
面越しにも感じる風圧から視界を庇うように、顔前で腕を交差させたウツシが鬱然と茂る木々の影へと消えた怨虎竜へと目を眇めた。
紫の靄が影に溶けた辺り、眼下に生い茂る木々の方へと翔蟲を放つ。重力による加速も加え、砲弾のように風を切る。身体が地面に叩きつけられる寸前、再度翔蟲を紫の靄へと投げた。地表近くで衝撃を殺さないまま、護謨で打ち出したようにウツシの身体が滑空する。
遠く視界に捉えた紫の灯りを目指し、中空を翔けるように加速する。後方に追い縋るウツシの気配を察した怨虎竜が振り切ろうと放つ鬼火を避けながら、木々の太い幹を蹴り駆け抜けた。
いつまでも追い続けるウツシに怨虎竜が鋭く吼える。
一目散に駆け抜ける先に光が差す。開けた場所に出るようだ。
日没が近付いているのか赤い陽光の中、墨を落としたような影が滲む。次いで勢いよく飛んできたものがウツシの面に弾かれた。反射で掴んだそれがあまりにも手に馴染んだこと、逆光で見えないその影が人の形をしていることに気がついたウツシの反応が、僅かに遅れる。
急停止したウツシの足下に砂埃が立つ。
その影の前、立ち塞がるようにして横に控える怨虎竜が進み出た。怨虎竜から放たれる鬼火を羽衣のように纏った影が、その頭を柔らかく撫でているのをウツシは呆然と見つめた。
輪郭を艶やかに縁取る黒絹の髪に、逆光の中でも炯々と光る銀灰色の瞳。所々黒ずんだ濃藍の衣に怨虎竜の片手剣。右目に走る傷を隠すように顔を半分覆い隠す黒い半面は、怨虎竜とよく似た角を生やし、眼球の部分が暗く落ち窪み、碧黒い光を放ちながら禍々しく揺らめいている。

「ぁ……アマネ……?」
「見つかってしまいましたね」
「アマネ……? 本当に、本当にキミなのか……?」

衝撃に追いつかない体が縺れるように前へ転がり出る。
少し窶れた、白い頬へ腕を伸ばす。傷跡が残る褐色の指先が横に垂れた髪の一筋にかかる寸前、アマネが半歩身を引いた。
割れた腰当てを継ぎ接ぐように重ねられた紫の鱗が風に揺れ音を立てる。

「ぁ……」
「砦へ近づきすぎたようですね。あれほど気取られるなと言ったのに。……悪い子ね」

苦笑を浮かべたアマネの目がウツシから怨虎竜へと移り、黄色味を帯びた歪な七支刀のような角に指を絡めた。

「この子は里に危害は加えません。百竜夜行として群れを成したモンスターだけ襲うよう、躾ています。……だから、どうかお帰りください」
「何を、言ってるんだ。アマネ、俺と帰ろう。里のみんなだって心配している。俺だってずっと、キミを探して、」
「あの日。雷神龍と共に水底へ沈み、カムラのアマネは死にました。ここにいるのは、龍に負けた英雄達の夢の名残。あれを倒すという妄執に突き動かされた亡霊です。そう、思ってください」

周囲に鮮やかな紫色の靄が広がる。沈む日が染め上げる空と同じ色をした鬼火が立ち昇り、空との境界を無くしていく。

「私は私のやり方で、あなたのいる里を守ります」
「だから里を出ると?……キミも、俺から離れていくのか」

困ったように微笑したまま何も返さないアマネに、ウツシがさらに言い募る。

「ダメだ。そんなの……そんなこと、許せるわけがないだろう! 俺はキミしかいないんだよ! キミじゃないともう……!」

かつて、男には選択の自由が与えられなかった。
当時は里にも余裕がなかったことも一因ではあるが、その類稀なる才能を伸ばすことを男は義務付けられていた。
幼いながらも大事にされていたことは感じていたが、その肯定感を塗り潰すほどの過酷な訓練。幼い身に、里の安寧と期待を一身に背負わされていた。それらはいつだって死と隣り合わせの期待で、男を取り巻く環境は気を抜けばすぐに命を失う、過酷なものだった。
だから男は、自分がそれを与える側になった時、いつだって選択肢を提示できるようにしてきた。一人薄氷の上で立ちすくむことがないように。望まぬ傷を増やさないように。本当にやりたいことを、選べるように。
その結果の孤独と葛藤をずっと隣に寄り添い、共に見つめ、手を握り続けてきた女が、男を拒むように微笑む。
ウツシは体温が急激に冷えていくのを感じた。分けあっていた温もりが離れていく感覚に、奥歯が震える。

「嫌だ……」
「……ごめんなさい。でも、あなたはもう平気ですよ」

日が落ちた濃紺の空に鬼火が輝き、アマネを照らした。
自分のために何一つ選べず、出来なかった子供はもういない。そう告げて穏やかに微笑む、生涯でたった一人愛した女が紫の靄に身を隠す。
違う、と叫びかけた男の口からはただただ乾いた息がこぼれるだけだった。
全部終わったら狩猟に行きたいのも、羽を伸ばしに遠出したいのも、全部相手はアマネだけだと叫びそうになる喉が、締め付けられたように動かない。失敗した呼吸が鞴のような音を立て口から漏れる。
空まで覆う紫が赤に変わり、やがて白く瞬き爆ぜた。
炎の中一段と美しく口角を上げた女が、鬼火の眩い爆破に消えていく。
男の身体に吹き付ける爆風が背に垂らした布を捲り上げ、勢いよくはためかせた。

「……キミが。キミがいなきゃ意味がないんだよ、俺の愛弟子」

ようやくこぼれ落ちた言葉は砂塵に舞い、空へ溶けた。
風除けとして翳した手を下ろした男の耳の奥で、割れるような音が響いた。





ウツシが里に戻る頃にはもう、すっかり月が昇りフクズクも寝静まっていた。
里の重鎮達、里長であるフゲンとギルドを取り仕切るゴコク、かつて怨虎竜を退けたハモンの三人が、人気のない集会場で帰還したウツシからの報告を聞いていた。

「では、マガイマガドを放ったのは間違いなくアマネだったのか」
「はい。しかし、里には手を出さず群れをなしたモンスターのみ襲うように躾けたと」
「はっはっはっ! あやつめ、ついに野生のモンスターを手懐けたか!」
「笑い事ではないでゲコよ」

愉快だと声を上げて笑うフゲンに、神妙な顔をしたゴコクが一枚の紙を懐から取り出した。討伐・発見報告義務対象と書かれた下に怨虎竜・マガイマガドの文字が見える。

「よりにもよって、ギルドから通達が来たばかりの報告対象モンスターでゲコ」

報告義務対象。その名の通り、ギルドから発見次第報告を推奨されたモンスターに付けられる札のようなものだ。通常はあるがままに、自然の営みに重きを置くハンターズギルドであるが、稀に生態系や人間の生活に強く影響を及ぼすと判断されたモンスターは、狩場や人里近くで発見次第討伐依頼が出される。その為の前段階、調査をする為に普段から狩場に出ているハンター達に、対象となっているモンスターを発見次第報告させようというギルドの制度だ。義務とは言え、命のやり取りをするハンターにとって他に気を回す余裕もない為、実質任意ではあるが。
居場所が探知不能等によりまだクエストとして依頼ができない、けれど現れた時点ですぐに調査をしたい。そういったモンスターに与えられるそれは、地域毎に内容が異なる。全地域では恐暴竜が該当するが、特にここカムラで言えば里付近に現れたヌシと、海を渡れることが確認されて以降対象に追加された、生体に不明な点も多く食欲旺盛で生態系を狂わせかねない怨虎竜が該当していた。

「これは、一刻も早くアマネを保護せんとまずいことになるゲコ」

ギルドへの申請もなく、野生のモンスターを対モンスター用に飼い慣らしていると知られれば、上の連中が嬉々として審議にかけることは予想に難しくなかった。最悪、危険思想ありとギルドナイトを派遣されても不思議ではないとゴコクは考えている。
雷神龍の単騎討伐指名の件と言い、カムラの英雄を疎む連中は殊の外多い。英雄信仰が土台としてあるハンターズギルドではあるが、その影に隠れて自分のものでないうちから利権争いをしようとする小賢しい連中がいることを、長命種であるゴコクはよく知っている。奴らは、宝の山であるカムラの里に「英雄」がいること自体が疎ましいのだ。
今は亡きかつての古狸共の首を思い浮かべたゴコクは、ひっそりと息を吐いた。

「ギルドの捜索は既に打ち切りになっているでゲコ。ひとまず、アマネが生きてマガイマガドと行動していることは内密にするゲコね」
「……さてウツシよ、他にアマネは何か言っていたか」

黙り込んでいたハモンに問われたウツシは頷き、僅かに逡巡する。初めてアマネが手を取ってくれなかったことを、男は拒絶と受け止めた。その事実が心に重くのし掛かる。

「……自分のことは死んだものと思って欲しい、自分のやり方で里を守る、と。ですが、愛弟子の口振りからすると、対の古龍討伐及び百竜夜行の収束に向けて動いているように思えます。側にいたマガイマガドも、アマネに従う様子を見せていました」
「だからマガイマガドの幼体を飼い慣らし、狩りを覚えさせ食わせているでゲコか」
「……しかしわからんな。百竜夜行の原因は風神龍の威風によるもの。それも元を辿れば、対である雷神龍を探してのことだ。アマネもそれは承知しているはず」

集会場が沈黙に包まれる。轟々と響く川音が空間に満ち、しばらくしてフゲンがぽつりと呟いた。

「百竜夜行のみ食らうマガイマガド、か」
「……フゲン。もしやアマネのやつ、マガイマガドに古龍二体を食わせようとしてるんじゃないのか?」

考えられなくもない、と全員が思った。むしろ、その可能性が一番高いであろう。
アマネは自身の切り札として、怨虎竜を使おうとしている。
沙汰を待つ三対の目が里長であるフゲンに注がれた。

「アマネの行動も推測の域を出ん。素直に戻る意思がない以上、里の衆には、生きていることはしばらく伏せる。ギルドへも、マガイマガドの件はいつものように報告を。それで良いな」





「良かったな、ウツシ」

報告も終わりハモンとゴコクが集会場を出た後、俯いているウツシにフゲンが声をかけた。
視線を上げた顔は、ウツシの顔として見慣れた雷狼竜の面で隠され、その表情は分からない。それでもかつて世話をした親代わりとして、愛弟子と呼び愛した女を見失って以来沈みがちな男が、常よりも陰鬱な気を纏っていることくらいは気が付いていた。

「お前が取り逃がすくらいには元気で、目立った傷もなく生きていたのだろう? ならば、後はオマエがしっかり捕まえるだけだ」
「……俺に、任せていただけるのですか」
「なんだ、他に適任でもいるのか?」
「アマネは俺を選びませんでした」

日没の色に消えたアマネを思い出す。絞り出したようなウツシの声は、かつての快活さも、任務時に見せる抜き身の刃のような鋭利さもなく、迷子になった子供にも似ていた。
フゲンはその途方に暮れたような、フゲン達に言わせれば腑抜けにも程がある男に、一つ息を吐き背を向けた。男の苛烈で獰猛な性質を知っている。無双の狩人の名を冠するにふさわしい冷酷さも。非常な手段すら顔色一つ変えずに選び取る冷徹さも。
それを眠らせ良き理解者であるまま、まさに火群が人の姿を取ったような女を手に入れるなぞ、土台無理な話だとフゲンは思う。
掲げられている限り、炎は決して一人だけを照らさない。
その事を、身をもって知るフゲンが男に一つ言葉をかけた。

「……ウツシ。男なら、惚れた奴を手に入れる時くらいなり振りかまうな。みっともなく足掻いてでも奪い取れ」

それきりフゲンはウツシの方を見ず、集会場から去って行った。



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