困った犬がいまして。きゃんきゃんとさっきから鳴いているんです。どうにも手に負えなくなってしまったので、引き取ってくれませんか。
携帯電話を通して聞こえた相変わらず淡々とした黒子の声。残念ながら私に犬を飼ってあげる余裕はないんだよ。見えないだろうけど、苦笑して返せば、また淡々と「違いますよ」と返事。なにが。 問い返す前に、早く来てくださいねと一方的に取り付けられた。ちゃんと場所を指定してくるあたり、しっかり者の黒子らしい。電話は適当なのになぁと笑ったのはついさっき。 そういえば、今日は早く帰ったらラッキーなんだったっけ。
「なるほど」
つまりはこういうことか。目の前でうずくまる金髪に溜め息にも似たそれを吐き出す。たまに聞こえる嗚咽。びく、と肩を揺らした金髪、つまりは黄瀬なんだけれど、その黄瀬がゆっくり顔を上げた。 あ、泣いてる。 ぼろぼろと滴を落とす目に、なにも工夫した思考をすることなく、ただ目の前のその状況だけを理解する。
困った犬がいまして。 きゃんきゃん。きゃんきゃん。さっきから鳴いているんです。
「名前、っち。ど、して」
「黒子から電話貰った。犬が鳴いているんですってさ。黄瀬だったんだ」
「はは…犬、ッスか」
黒子っちらしいやと笑う黄瀬。私だけが思うことかもしれないけど、今の黄瀬はイケメンでもなんでもなかった。と、きっと口に出しでもしたら日本じゅうの女の子にふるぼっこ決定か。事実、イケメンは何をしてもイケメンという定義があるらしいから。 イケメンだって不細工な顔をつくれた方が人間らしいだろーに。
とりあえず、黄瀬の前にしゃがんで、持っていたタオルをイケメンの顔を押し付けた。
「ちょ、名前、っち」
「さっさと泣きやまんかい。男でしょうが」
男だって泣きたいときはありますよ。身長であなたに負けかけている今とか。 黒子の言葉が聞こえた気がするけれど、そんな安い涙があってたまるかと思った。実際、黒子だってそう言ったときは笑っていたから。
「…ごめん、名前っち」
「いいよ。理由なんて知ってるし。だからさっさと泣きやめ」
そしたら一緒に帰ってあげるよ。嫌なくらい愚痴を聞いて、泣いてもまたタオル押し付けてやる。 だからさっさと泣きやめ。今はその安くないはずの涙をしまっておきなよ。 もう一度、溜め息を吐き出す。ほら。促すように言ったら、きゃんきゃん鳴いていた犬はさらに鳴いて、私は抱きしめられる。まぁ想定してたけど、さ。 あと何枚タオルいるだろう。顔をぐしゃぐしゃにしているだろう黄瀬のさらさらとした金髪を撫でながら目を閉じる。
「あー…もう、」
するする。 いつの間にか私の手は、黄瀬のその広い背中に回っていた。これが人事を尽くすことだとか、笑える。
愛の失踪
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