祓 | ナノ
30.その男、祈る


「おー…」

サァ、と吹く風に龍夜は目を細めた。久しく泣いたせいで少し腫れぼったい目にその風は心地よかった。あれから、まだ本調子でないのを理由にしばらく眠った。おかげで気だるさは消えたが気付けば夜。しかも深夜ときた。
当然、やることもなしに(そもそもやれることがない)、ぼんやりとしていると月明かりが明るく差し込んでいるのに気付き、外に出た。眠気など皆無だ。─…予想通りというか、まぁ月は見事だった。

「たまには見てみるもんだな…」

龍夜はそう一人ごちる。弱く吹く風が髪を揺らす。ここにもし戒がいたなら同意してくれるだろうか?…しないだろうな。考えた自分に苦笑いするしかなかった。そもそもあいつに風景を見て評価するという能がないのだから当たり前だ。その時、

「…龍夜?」

ふと呼ばれた名前に龍夜は振り返る。そこには燐がいて、驚いたように龍夜を見つめていた。なんで起きてる。それに、さして驚く理由はないように思えたがひとまず置いておく。そして、よぉ、と彼に笑う。すると、燐は慌てて龍夜に駆け寄る。

「龍夜、お前起きてて大丈夫なのかよ?!」

「─あー、まぁ。大したことはねぇな」

一応。そう答えれば安心したように表情を緩めた。が、それも束の間、すぐに顔をくしゃりと歪めた燐に龍夜はきょとんとする。…なんだろうか、この変わり様は。百面相か?

「どうした?」

「……あの、よ。悪かった!」

「は?」

問い掛ければ突然の謝罪。丁寧に手まで合わされている。…謝られるようなことをされただろうかと記憶を手繰るが残念ながら思い浮かばない。そんな龍夜の疑問に答えたのは紛れもない燐だった。

「その、俺が…油断したか、ら」

「─……」

「お前が、熱出したって、勝呂が…」

「…あァ…」

なるほどな。

項垂れる燐の言葉に納得する。つまり、彼らを治療して自分が倒れたことを燐は気にしているのだ。それと同時に、燐に言った勝呂に少しばかり怒りを覚える。怒りとは言えないようなものだけど。
普通、気を遣って言わないものだろう。言うのもまた優しさかも知れないが龍夜にとっては言わないでくれた方が良かった。龍夜は聞こえないように溜め息を吐いた。
そして、おずおずとこちらを見ている燐の頭を撫でて笑う。それはいつもより優しげで、見たことがない笑みだった。それに燐は目を丸くする。こいつ、こんな顔できるんだな。なんて。そんな燐の心情を知らない龍夜は、

「まあ、それは折半っつーことで。もうお互いに治ったんだ。んなこと気にすんのは野暮だろ?」

「う、そーだけどよ」

「…次からはよろしく頼むぞ?相棒」

「!?」

相棒。そう紡がれた言葉に燐の目が見開かれ、やがて嬉しそうに細められた。そして頷く。龍夜は内心分かりやすいなと苦笑いする。認められることと頼られること。今の彼には何より嬉しいことなんだろう。様子から察するにして。
龍夜は安心したように表情を緩めている燐に部屋に戻るように促す。燐は子供扱いするなと言ったが十分子供だ。少なくとも龍夜からしたら。子供は寝てろ。そう口元を上げて言えば燐はぶつぶつと文句を言いながら自室に戻っていく。後輩の雪男の気持ちが今一度分かった気がした。

「一人じゃない…一人じゃない…頼っていい、か」

その背中を見送った龍夜は小さく譫言(うわごと)のように繰り返し呟く。そして、その場に座って月を見る。月は変わらぬまま、妖艶に龍夜を照らしている。その明るさに龍夜は目を細めた。



悲しくて、だからそう求める永遠はするりと指を擦り抜けるけれど、残る感覚を少しでも掻き集め慰めの時を生きる。いつの間にかそれは集まって、詐りの永遠となった。


龍夜は、月に手を求み伸ばすように翳す。そしてその手を胸にあてた。

あふれだす月明かりに感じる未来を、せいいっぱいの背伸びで繋がるこの日々を。

なぁ、神様。

あんたを信じる気はないけれど。


(あいつらを守ってくれないか)

俺だけじゃ、無理だから。


そして祈るように目を閉じた。






握りしめると溶けるように儚く
(穿たれた白銀の月影にかつての幻想が浮かんでは消えていった)


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