29.その男、泣く スゥ、と龍夜が目を覚ますば、辺りには誰もおらず、悪魔の気配もなかった。気だるい体を起こす。 「………」 久しぶりに使った詠唱。 詠唱騎士が使うものとは違うそれ。まさか、また使うことがあるとは思わなかった。けれど、自分の意志でやったこと。後悔はない。無理をするんじゃないと怒られそうだが。はぁ、と息を吐き出せば何となく気が楽になる気がした。それは錯覚かもしれないが。 戦うだけに精一杯だった昔の自分。随分変わったものじゃないか。 龍夜はクツリと笑う。だけど心は。 一人じゃない。たくさんの人間が言ってくれた。一人じゃない。たしかにそうだろう。でも、龍夜を心の奥底から理解できる人間は多くない。理解しようとする人間は多いが。龍夜の闇を取り払える人間は少ない。龍夜自身、それは自分が原因だとは分かっているが。 でも、それで十分だ。理解しなくていい。近くにいてくれれば、それでいい。また一人になるのは嫌だから。それで笑ってくれればいい。それ以外は望まない。不意にふわりとした感覚がすりよる。龍夜はそれを苦笑いしてたぐりよせた。 「勝手に出てくんなよ、戒」 「俺の勝手だろうが」 「ご主人様にそれはないんじゃねぇの?」 そう言えば、俺は狗じゃねぇと返された。どう見たって狗じゃないか。そう思ったが、龍夜は小さな笑みを溢して戒の柔らかな毛皮に寄りかかる。 いつだって龍夜の側には戒がいた。戒は元々藤本の使い魔だった。藤本がもし自分がいないとき、龍夜を守るものがあるように託した。思えば、藤本は自身の死をずっと昔から予感していたのかもしれない。長くは生きられない、と。だから、託したのかもしれない。考えすぎだろうか。 思考の海に沈むように、体を戒に埋めた。そんな龍夜に戒が不思議そうに尋ねる。 「………どうかしたか?」 「いいや、どうもしねぇよ」 「そうか…そうだな」 それきり、戒は黙った。 戒は深追いすることがない。昔からそうだった。それでいて、側にいる。放っておけと言っても、側にいた。 ある種の在り方だ。 そう考えて、込み上げてきたのは虚しさにも似た寂しさ。龍夜と戒の在り方は龍夜と藤本の在り方で。 …寂しい、なんて馬鹿みたいだ。望んで何になった?何も変わらない。変わるはずない。それでも。 生きた 生きれば、救われる。生きていれば、お前の居場所ができるから。その通りだった。今、俺は生きて笑っている。けれど、虚しさはなぜか心のどこかにあった。それはどんなに暖かい言葉をかけてもらっても消えなかった。どうすれば消えるのか。龍夜は知らなかった。 はぁ、と溜め息にも似たそれを吐けば、戒が尻尾を絡めてくる。そして一言。 「泣け」 「……え?」 あまりに唐突な言葉。 龍夜は思わず聞き返した。 「泣け」 ぶっきらぼうで、それでいて優しく。 じわじわとナカが侵食されていくようで、ふいに目頭が熱くなる。久しぶりの感覚。 「っふ、…ぁ…」 溢れる声。 それに堪えられずに、龍夜は泣いた。何年かぶりに泣いた。戒は声を押し殺し、静かに泣く龍夜を同じように静かに見ていた。 声など、殺さなくてもいいだろうに。いつだって龍夜は自分を殺す。強いゆえに殺す。藤本がぼやいていたのを、戒はよく聞いた。けれど、彼がそれを望んだなら。 (俺は守るだけだ。) だから、無理をしないで そう、祈るように目を閉じた。 虚しさを消す方法。それは泣くこと。泣いて流してしまえばいいよ。 (青年はその術を知らなかったけれど) 愛されたいとか愛が欲しいとか、こんなにもありふれたことじゃなく 忘れようとする度思い出す (ただ愛を知りたかったのです、) 泣くこともまた強さ prev:top:next |