56.その男、墓参りへ 墓参り行かねえ? そう燐に言われたのが数十分ほど前のことだ。誰の、とは聞かなかった。誰のだなんて分かりきってる。燐なりの気遣いかなにかなのだろう。前の龍夜ならば断っていたかもしれない。それでも今なら、むしろ清々しいくらいの気持ちで行ける気がした。それは昨日の夢のおかげかもしれないし、何らかの形で龍夜の何かが変わったからだろう。 つまりのところ、龍夜は承諾したのだ。 「懐かしいな…」 ぽつりと呟けば、燐が不思議そうな顔で龍夜を見上げた。手には紫苑と勿忘草のシンプルな花束がある。龍夜が選んだものだ。燐はなぜこれなのか不思議がっていたが、ちゃんとした理由は話していない。 「龍夜も行ったことあんのか?」 「行ったこと…まぁ、一時期預かってもらってたくらいだ。俺には身寄りなかったしな。」 いつだって一人だったから、とは言わなかった。 修道院にはたしかに面識がある。ほんの一時だけ、家族を教えられた場所だ。 そう言えば燐は、なら俺と同じだと嬉しそうに笑った。…ああ、こいつらも親がいないんだったか。いや、片方はいるが親だとは思ってはいないだろう。 「…そうだな」 「お、また笑ったな!」 「笑っちゃいけねぇかよ」 「いや!むしろ笑った方がいいぞ。じゃないといんげんに見えるからな」 燐が胸を張って言うのだが。 …いんげん? 燐の言う聞きなれない単語に思わず我が耳を疑いたくなった。いんげん、いんげん…陰険だろうか?神妙な表情をする龍夜に自分の言動を振り返るように考え込む燐。間違いに気づくことはあるのか。ひとまず、雪男に伝えておくかと頭の片隅に入れて思わず吹き出しそうになる。なんとなく、雪男に笑顔で字練習帳を渡される燐が想像できた。 燐がそれに気付き横で何か騒いでいるが何でもねえよと軽く頭をかき混ぜてやった。 わ、と驚くような声。 龍夜は小さく馬鹿と笑うが聞こえなかったようだ。…昔はよくされたそれ。きっと彼もまたそうなんだろう。 いつだって、似てしまうのだから仕方ない。でもそれがなんとなく嬉しくて生きていける気がしてくるのだ。 あの日見た蜃気楼 (忘れないから、でも縛られないよ) prev:top:next |