祓 | ナノ
8.その男、追想


 まだ朝早い時刻。

龍夜は彼の部屋の扉を叩く音で目を覚ました。誰だ、任務もないのに。いや、急な任務か。あまり回らない頭で考えながら入室を促す。すると入ってきたの他でもない燐で。燐はわけが分からないと見てくる龍夜に一応といった感じで側にあった椅子を指差した。

「座って、いいか?」

「別に構わねぇけど」

龍夜が頷けば燐は龍夜の側に椅子を置いて座る。ちょうど、向き合う形だ。龍夜はしばらく窺うような目で燐を見たが、燐の少し暗い表情に溜め息を吐いた。何か、あったか。おおよそ、昨日のことだろうが。
龍夜は起き上がると、燐を見据えて尋ねる。

「どうかしたか、奥村」

「…………」

無言。言うか言うまいか、迷っている様で、視線がゆらゆらと揺れている。…一体なんだというのか。少し苛立ちぎみに龍夜はもう一度溜め息を吐くと、再び口を開いた。

「奥村。言わねぇとわかんねえぞ」

「…お前は、」

「あ?」

ようやく燐が口を開いた。その視線は俯きがちで龍夜の包帯が巻かれた腕にいっている。

「お前は、ジジィの知り合いなのか?」

「!」

龍夜の目が僅かに見開かれる。燐が言うジジィとは十中八九藤本のことだろう。龍夜にとって、師にあたる藤本は、燐にとっては父親のような存在だったとメフィストが言っていたのを思い出す。藤本は燐を守って自決したのだとも告げられた。
龍夜は重い息を吐き出したあと、なんでだ?と問い掛ける。すると燐は小さい声で、

「メフィストが、お前はジジィの大切なやつだって」

「…メフィストか」

あいつなら言いそうだ。
龍夜は小さく舌打ちをしたあと、今はいないメフィストを恨む。とはいっても、彼が言わなくても恐らく話すことになっただろうが。それは遅かれ早かれ、いつか。
龍夜は燐を見据えると、口を開いた。

「俺はジジィの弟子にあたる。ジジィに拾われてな」

「お前も!?」

「も?…ああ、シュラか。お前の話は聞いたことがあったからな」

「シュラも知ってんのか!?」

見開かれる燐の目。
龍夜はそれに小さく笑って頷く。
シュラは龍夜にとって、同じ藤本の弟子であり、お馴染みで、姉のような存在だった。そして、今は同じ祓魔師だ。懐かしむようにそう告げれば燐は信じられないと言うように瞬きをする。それがなんとなく可笑しくて龍夜はケラケラと笑う。
突然、笑いだした龍夜に燐は、なんだよ!と叫ぶ。バカにされたとでも思ったのか。まあ似たようなものだが。

こちらを睨んでくる燐に龍夜は、首を振る。
そして、

「いやな、不思議なもんだよな。ジジィのガキがジジィの弟子のシュラの弟子で、そんなお前を俺が預かってんだからよ。」

「!そういや…そうだな」

「…奥村、俺はな。」

不意に声音を変えた龍夜に燐の表情が強張る。
龍夜は壁に寄り掛かると、何もない宙に視線を移した。

「俺はジジィに拾われた。今の俺がいるのはジジィのおかげでな。俺にとっちゃお前はジジィが守りたかったモノ。俺はジジィの意思を尊重するだけだ」

つまり、守ると。

龍夜の言葉に燐が目を丸くする。だが、龍夜は小さく笑みを浮かべているだけだった。燐はそれをしばらく見ていたが、やがて、

「…ありがと、う」

照れたように笑った。
それに今度は龍夜が目を見開く番だった。

(…ジジィ?)

似ていないはずなのに。
燐の姿が藤本に重なって。藤本が笑っているような感覚を覚えた。
龍夜はシュラが燐は藤本に似ているところがあるのだと言われたことを思い出した。それが、これか。


…本当は、

ジジィを奪っていった空が憎くて仕方なかった、ジジィを攫っていった海が憎くて仕方なかった、ジジィを手離したこの腕が酷く憎くて仕方なかった。最後までジジィの右腕だったなら、ジジィは死ななかったんじゃないか。
いつも頭の片隅で思っていた。

だから、関わることがあったなら、せめての藤本の残したモノを守りたかった。それが彼の意思で、自身にできることだと、そう思っていたから。

すべては藤本への忠誠だった。けれど、燐は、奥村は。


救われたいとは、許されたいとは思わなかった。それでも救われた気がしたのは、彼の笑みが、言葉が、師に重なったからか。


…ジジィ、あんたは生きてるんだな。

そう思わずにはいられなかった。






そして尚も壁に問うのだ
(なぁ、俺の足枷は消えるのか?)


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