小説 | ナノ
 退屈な日々だ。求めてやまない”死”にさえ、いつも手が届かない。中也なんて「悪運の強すぎるやつだ」「さっさと死ンじまえ」と口煩いし、織田作に至っては死のうとしているっていうのに「非道い怪我だな」と怪我の心配をする始末。ひどいったらないよね、ほんと。
 良い川だ、と思った。流れも程よく在って、汚れ過ぎず、川沿いも草木が元気に生きているようで、まさに入水にぴったりだ。一人笑って、仕事中だったことなんて忘れ去って飛び込む。日の落ちていない、ほんのり赤い空を逆さまの視界に映して、目を閉じ水の立てる音を聞いた。

 ふいに意識が浮上した。顔に触れる冷たい水を感じて流れていることを認識した途端息苦しくなり、ぶはっと水面から顔を出した。ああ、

「また死ねなかったや」

 舌打ちを一つ。飛び込んだ時よりも赤が濃くなっていて、景色もだいぶ違った。また、死ねなかった。いつの間にかたどり着いていた浅い川の底に足を着いたまま、ぼうっとあたりを見ていた。と、視線を感じていた気がしてそちらをしっかりと見ると、私よりも見事なぼうっとした顔の女性がいた。否、女性というには若い。学生服の少女だった。とはいえ私の方が年上に想えるが、年齢はそんなに変わらないだろう。表情だけみれば相当面白いことになっているが、きっと笑うとすごく可愛いんだろう、と一目で分かる少女だった。

「やあ。可愛らしいお嬢さん。私と心中してはくれまいか?」

「……はい?」

 目をぱちぱちと瞬かせて、薄く唇を開いたまま、そう言ってこてんと首を傾げた彼女はぽかん顔のお手本のようだった。




-




 ひとまず川から出て、川縁で棒立ちしていた彼女の元まで行った。変わらず呆然としている彼女に構わず、自殺の素晴らしさや、完全自殺読本にある自殺法について、心中の良さについて、息をするのも惜しく思うような勢いで話した。相も変わらず唖然として一言も話さない彼女に「ということなのだよ。どうか私と心中してくれないだろうか」と結論まで述べたところで、ぶるりと震えくしゃみが出た。
 
「ええと、風邪をひくのは苦しくて時間のかかる、死ぬ確率も低い自殺方法だと思いますよ?」

 くしゃみで体を縮めた私はそう言った彼女の表情は見れなかったが、なんて惜しいことをしたんだろう。目を見開いて顔を上げ、見れば困ったように、心配そうに笑っていたのだ。

「ちゃんと話を聞いてくれた人なんて初めてだ!私は太宰!太宰治!君が私と心中する気になるまで私は諦めないからね!」

 駄々をこねる子供のような必死さだ。自分で客観視してもそう思うくらいだ、傍から見たら相当間抜けに見えたことだろう。それでも構わなかった。自殺を否定されないどころか、私の自殺に対する思いを理解した上で、心配をしてくれたのだ。私の数少ない友人たちでさえ、そんなことはないのに。もしかしたら、私の予想を超えるのではないか。そうだとしたら、握った彼女の手を離したくない、そんな風に想った。




-




 それから私は彼女のことを調べ上げた。ポートマフィアの幹部の手にかかれば、調べていることすら誰にも悟らせずに何でも知ることができる。名前は瀬戸酔夏。年齢は私の一つ下。特に異能力もない、普通の少女だ。ほかにも、通っている学校、ひとり暮らしをしているその住所、携帯電話の番号とメールアドレス、高等学校の入学試験の点数(なかなか優秀だった)、平均より身長は高めで体重は軽い、病気も特になし、アルバイトはしておらず、将来の夢もこれと言って決まっていないこと、特別親しい友人などはいないこと、読書が好きなこと。
 個人情報という個人情報を調べ尽くしても、彼女への興味は尽きなかった。仕事の合間に、時に中也に押し付け、時にサボって、彼女に会いに行った。そろそろ通るだろう時間を予想して川沿いをふらつき、他愛無い話をしては、家が近づく前に去る。我ながら初恋に戸惑う初心な男子中学生のようだな、と自分を嗤った。
 何度も何度も、この逢瀬を重ねるごとに、彼女のことを知れるようで。今まで出会ったことのないタイプの人だった。私の包帯が増えていても、会ってすぐ一目見るだけで、どうしたのかとは言わない。私が彼女の視線を追って、自分の体の包帯を眺めた時だけ、「今度は何自殺ですか?」なんて、聞いてくるのだ。無駄な詮索はしないし、不躾なことも言わないし、ほとんどの人のように自殺を辞めろとも言わない。この微妙な距離感が心地よく思えてしまって、心の中では彼女の名前を呼べるのに、いざ口に出そうとすれば少し溜まった息がこぼれるだけで、決して音にならないのだ。もうそろそろいつもの分かれ道だ。

「では、また」

 酔夏。ああ、また言えなかったや。




-




 ずるずると、なんの進展もないまま、相も変わらず彼女の名前を呼べないまま、数か月が過ぎた。中也からは「仕事をサボるな」と殴られた。もちろん殴り返したし背中にちびと書いた紙を貼ってやった。織田作からは「最近楽しそうだが彼女でもできたのか」と言われ、安吾はその言葉にぶふっと噴き出して「まさか」と嗤った。「まったく、私を何だと思っているんだい?」気取ってそう言ってみたものの、二人から自殺未遂と女性の敵と言われてしまった。あのねぇ、と苛立って言い返そうとしたが、よく考えたら彼女の名前を呼べない時点でとんでもないへたれだと気付いた。何も言い返せることがなくて、続かなかった言葉の代わりにだいぶ氷の溶けた酒を一気に呷った。二人が不思議そうな顔でこちらを見ていたのは気付かないふりをした。

 首領から直々に頼まれた、ある組織についての調査がなかなか進展せず苛立って、そういうときに限って会合があって捕まったりして、酔夏に会えない日が続いたりして、気分は最悪だった。やっと少し進展があって、部下に押し付けて時間を作って会いに行った。殲滅任務やらも多くて怪我が増えていて、さすがに少しは心配されるかな、なんて子供じみた考えも浮かんだけれど、「太宰さんまた怪我増えてません?」って安心したように、でもやっぱり困った顔で笑うのだから調子が狂う。けれどそれが心地よくて任務のストレスなんかもきれいさっぱり忘れて笑えるのだから、彼女の存在は不思議だ。

「豆腐の角に頭をぶつけて死ねって言葉、ありますよね」

 ある日ゆったりと川沿いを歩く酔夏がふと思いついたように言った。どこか遠くから聞こえる、移動販売の喇叭の音につられたんだろう。音のなる方角を見て、思案する。あれをこうしてああして、作れそうだ。まさか酔夏が新しい自殺法のアイデアをくれるとは!

「明日是非それを試してみるよ!」

 つい気分がよくなってしまって、隣を歩いていた酔夏の正面に回りこみ、餓死っと両手を握って言った。

「頑張ってください」

 ついうっかり。急に近づいてしまったからか、目を見開いてから瞬かせた、その耳が真っ赤に染まっているのを見てしまって、あぁ、しまった、と思った。日が落ちるのが遅くなった今の季節では夕陽のせいにはできまい。私の頬に色が移ったのを知られる前に、と、いつも通りなふりをして。

「そうと決まればさっそく豆腐作りだ!」

 声高に宣言して背を向けたまま早足に歩き去った。普段ならぎりぎりまで隣にいたいと思うのに、なぜだか今は隣にいてはいけないと思った。




-




 自宅には大した調理器具がないため、自前で厨房を用意し、必要そうな道具や材料を粗方部下に買って持ってこさせた。いったい何に使うんだ、という顔をしていたが上機嫌な私は「もう帰って良い」とだけ伝え早速豆腐作りにかかった。鼻歌を歌いながら試行錯誤して豆腐を作り続けること数時間。堅い豆腐は完成した。それまでの失敗作はすべて任務でビルにいない中也の執務室に持って行った。
 豆腐の角に頭をぶつけて死ぬ、を実践するべく堅い豆腐を固定し、わくわくしながらいざ!と頭を打ち付けた。豆腐が赤く染まったが頭蓋骨を割るほどの堅さはなかったようで、流血しただけだった。すごく痛い。これでは死ねそうにない。

 気づけば夜になっていて、今日は酔夏に会えそうにない、とまた落ち込む。こういう時は酒だ。今日はあの店に行けば、いつもの夜になるような気がした。カウンターのスツールに座って、ぼうっとマスターが出してくれた酒杯を眺める。ふいに階段を下りる音が聞こえて口許が緩む。

「やァ、織田作」

 静かに店内に入ってきた織田作は軽く片手を上げると、私の隣に座った。いつも織田作が好んで飲む蒸留酒がカウンターに置かれる。なんでもないやりとりをいくつかして、マスターが時折可笑しそうにこっそり笑っていた。つまらない最近の仕事の話をして、織田作が相槌を打ち、質問をする。酔夏と話すのとはまた違う、心地好い時間だ。

「また傷が増えたな」

 前回飲んだ時とは違う場所に包帯があるからだろう、私の怪我を心配するのは二人だけだなぁ、と考えながら「増えたねぇ」なんて返事をする。脚の怪我はどうしたんだ、その腕は、と細かく聞いてくる織田作に一つ一つ正確に返していく。いつもの無表情にも思えるがこの顔は呆れている顔だな、と苦笑した。

「ではその額の包帯は」

「『豆腐の角に頭をぶつけて死ぬ』という自殺法を試した」

 目を丸くした織田作が、「豆腐で怪我をしたのか?」カルシウムが足りてないんじゃないか、とでも言いそうな目でこちらを見てきた。失礼な、研究の成果だ。

「豆腐を堅くするため、独自の製法を編み出したのだよ。塩で水分を抜いたり、重しを載せたり……自前の厨房でね。おかげで釘を打てるほど堅くなったし、組織の誰よりも豆腐の製法に詳しくなった」

 ふふん、とドヤ顔をしていると、「その豆腐はうまいのか」と織田作が真面目な顔で聞いてくる。自殺できなかったから結論からしたら失敗であるから、顔を顰めて答える。

「悔しいことに、薄く切って醤油で食べると、ものすごくおいしい」

 感心したように「うまいのか」という織田作。

「今度食べさせてくれ」

「もっちろん!もう一人食べさせたい人がいるんだ、ぜひ君にも御馳走するよ」

 酔夏なら何て言うだろうか、と笑みを浮かべて考えつつ答えていると、「今のそれ、突っ込む所ですよ」と安吾の声が聞こえた。お堅いことを何やらつらつらと述べて、スツールに腰かけた。ほぅら、いつもの夜だ。私は上機嫌で酒杯を傾け、三人で他愛無い話に花を咲かせ続けた。




-




 翌日、川沿いの道に行くとちょうど酔夏の姿を見つけた。声を掛けると、安心したような呆れたような複雑な表情で額を見ていてわかりやすいなぁと笑った。

「いい案だと思ったんだけどねぇ」

 豆腐自殺に関して、どうなったのか報告するように伝えていくと、その表情は完全に呆れで染まっていた。

「しかも薄く切って食べるとおいしいのだよ!」

「私は遠慮しておきます」


 織田作は食べたいと言ってくれたのに。とわざとむっと頬を膨らませて見つめると、困ったように笑っていて一瞬心臓が跳ねる。頬の空気を元に戻して前を向いて歩き進める。

「あ、でも豆腐って作ったことないから、普通に作ってみたいですね」

「本当かい?!じゃあ今度は堅い胡麻豆腐を作ろう!」

 つい嬉しくなって、笑顔で酔夏のほうを向くと、一瞬寂しそうな顔になったのが見えて息が止まった。私は何を言っているんだろうか。まだ名前も呼べないくせに、この川沿いでしか会えないくせに。いつか、酔夏と一緒に豆腐を作って食べるなんて未来が来るのだろうか。日の当たる場所に住まう彼女と、闇の中で暮らす私が。
 もっと近づきたいなんて私が想ってもいいのだろうか。寂しそうな彼女が何を考えているのか、知りたくないと考えるのをやめて私はいつも通りを装った。





******

読んでくださりありがとうございます。付け足しました。面倒なことをしてすみません。これでちょうど二話までの太宰さん目線です。
次からの分は六話として書きますね。じつは四話までの誘拐されて助けが来たところまで書き終えていたんですが、データが飛んでしまって一から書き直してます。泣きそう。そんな話はどうでもいいですね。

補足と言いますか、設定にちらっと書いた気がする時系列的な話。
小説の黒の時代を読んだ方は今回のお話のバールパンでの話が分かるかと思います。
一部(というか大半)端折ってしまいましたが、安吾が寝返るというかスパイと判明する寸前の平和だった一瞬のお話でした。三人で写真を撮るあのシーン、何度思い返しても泣けますよね、同志は多いはず。
まあつまり何が言いたいかというと時系列的にはその辺の平和な一瞬の間にこのお話が挟まってきます。酔夏ちゃんがこの度誘拐されるのはミミックとは無関係です。ということでした。もう少し平和でいたい、気持ちはありますが、誘拐編(?)が終わればそろそろ、という予定ではあります。ネタバレごめんなさいね。

今後も頑張って書きますのでどうぞよろしくお願いします。



- ナノ -