小説 | ナノ
 ここ最近の太宰さんは、一見いつも通りに見えるのに、なんとなくどこか違和感がある。具体的に言葉に表すのは難しいけれど、話しているとあれっと思うことがあるのだ。

「この時間でも冷える日が増えてきたねぇ」

 うんうんと頷きながら言い、こちらを見た。が、すぐ逸らして遠くを見ている。やっぱり、話していても何か他のことを考えているというか、それが私にも分かるのだから、相当思い詰めているのかなぁ、と思う。
 詮索する勇気もないし、それをきっと求められていないだろうから私は気付かないふりをする。
 普段なら鳴ったって出ない携帯をさり気なく取り出して確認していたり、いつも別れる道よりも手前で去って行ったり、忙しそうには決して見えないのだけれど、少しだけ仕草や行動が気になる。
 浮気を疑う彼女みたい。……考えただけで鳥肌が立ったわ、この人の彼女なんて絶対無理だ。




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 明日までの課題を終えて、少し欠けた月を見ていた。窓から吹き込む風が冷たくて疲れた頭にひんやり気持ちがいい。
 なんだか目が冴えてしまって、眠る気にならず冷蔵庫を漁るがお茶がない。
 時間も時間だけれどすぐ近くの自販機まで歩くか、と寝巻きから着替え、小さめの鞄を用意してから必要ないとお財布だけポケットに入れて家を出た。
 家を出てすぐ、直接見えはしないけれど曲がってすぐにある自販機でお茶を買った。思い立ってから5分も経っていない。
 だというのに、ばっと突然視界は真っ暗になり、口元の布からはなんだかおかしな匂いがして、人がいることしか分からないまま、買ったばかりのお茶が地面に落ちた音を聞いた。




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 肌寒くて身震いをした。目を開けようにも目隠しの布が邪魔で薄目しか開かず、光が無い暗闇である事しか分からない。

「えぇっと……あ、そうだ、お茶……」

を買った後すぐに何者かに眠らされどこかに連れてこられたのか。誘拐ってやつだ。今まで生きてきて初めてされたけれど、案外と呆気ないものだなぁ。川を流れる両足から始まってあの自殺志願者との出会いや会話で随分と驚きを無くしてしまったのだろうか。誘拐されたんですよ、って言ったらあの人は羨ましがるだろうか。…爆弾とかあれば喜びそうだ。
 呑気に感想を抱いた所で、現状は何も変わるまい。が、考えを巡らせた所で、自力で脱出できるわけでもあるまい。とはいえ何も出来ず暇なのでここはどこなんだろうとかなんで私が誘拐されたのだろうとか考えてみる。
 現在私は両手両足それぞれ縛られて地面に転がっていたので、冷たい床から離れるべく起き上がって体育座りをしている。寒いが風が直接吹いているのではなく気温が低いイメージなので室内だろう。さっき目が覚めて声を出してしまったが、誰も何も反応しなかったし、今まで何の音もしないからここには私1人しかいないようだ。
 光がないためなんとも言えないが、お茶を飲みたいと思った深夜の喉の乾き具合と夕飯後の満腹感からさほど時間は経っていない気がする。せいぜい夜明け前か朝くらい。つまりそこまで遠くでも無いのではないだろうか。思い出したら喉が乾いてきた。せめてお茶を飲んでから誘拐してくれれば…ってそんな優しさ誘拐犯にあるわけないか。
 場所や時間に関してはかなり推測できたが、目的はさっぱり分からない。実家はお金持ちの家でもないし、私自身も特別何か秀でている訳ではない。誰か得をするのか?いやしないだろう。…言ってて悲しくなってきた。
誰でもよかったにしてはわざわざあんな時間に狙うのだから違和感があるし……人違い?なんてはた迷惑な。誤解なら弁明して早く帰らせて欲しい。




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 いったいいつまでここに居させられるんだろうか。乱暴されたり働かされたりというのがないだけでも誘拐されているこの状況としてはいい方なのだろうけれど、なにもできることがないいまの状態もなかなか気が滅入る。せめてこう、なんか、誘拐の挨拶?みたいなのでもいいから、誘拐してやったぜぇぐへへへ、とか、もう一生おうちには帰れねえからなぁがははは、とか一言くれてもいいじゃないか。思考がだいぶずれている気がする。きっと疲れているんだ、そうだそうだ。
 しばらくぼーっとしていると外から車が走ってきて止まる音がした。助けが来たのか、と思ったけれどサイレンが鳴っていなかったし、犯人たちが帰ってきた可能性のほうが高い気がする。さすがに人質だから殺されたりはしない…と思いたいが、本当に人違いだったり、目的が達成されなかったりで用済み、もありうる。最近では痛めつける動画を送ることで目的を達しようとするなんてこともあるそうじゃないか。
 考えれば考えるほど怖くなってきて、何人かの足音が聞こえて体が震える。今更怖がったって、どうしようもないぞ。落ち着け、自分。

「おとなしくそこにいろ」

 低い男の声となにか重たいものが転がされる音。比較的近いところに転がってきたそれはきっと私のほかの人質だろうか。同じ縛られ方をしているのか、もぞもぞ動く音が聞こえる。その人は声が出ないのか、出ないように縛られているのか、意図的に黙っているのか、一言も発していなかったけど、かすかに聞こえる呼吸や衣擦れの音で怯えているのがわかる。誘拐される間、意識があったならさぞ怖かっただろう。私は眠らされていたのに随分対応が違うんだなぁ。

「もう少し手前のお仲間を連れてこれりゃよかったんだが、まあ二人でも十分人質としての価値はあるだろ」

 あざ笑うような男の声でそばのもう一人の人質さんが動いた気配がする。同僚も人質に取られそうだったのか、それはつらいだろうなぁ。仲間を守って一人だけ人質になってしまったのだろうか。お茶を買いに行った私と並んでいるのが申し訳なく感じるな…いや私はなにも悪くないが。
 パシャっと写真を撮る音が聞こえ、はっとして俯かせていた顔を上げる。

「おじょーちゃんも災難だったな、あんな奴とお友達になんてならなきゃこんな目に合わなくて済んだのに」

 煽るような言葉とともに、ガンっと大きな音を立てて扉が閉まった。

 あんな奴とお友達…?

 いったい何の話だ。私に言ったようだった。全く心当たりが…いや、そんな、まさか。ぐるぐると回る思考の中で、暗い瞳で笑うあの人の顔が浮かんだはかぶりを振って否定して、を繰り返した。今の私にはそれしか、できることがなかった。


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