小説 | ナノ
 それはそれは衝撃的だった。学校の終わり、ほんの少し赤く反射する川沿いを家に向かい歩いていると、大きな桃が、ではなく人のものらしき足が一組流れてきたのだ。普通に十数年間生きてきたからか遠い親戚以外の死に際に立ち会ったこともなく、ましてや殺人事件も入水自殺も無縁だった。故にただただ驚きでしかなかった。
 勝手に死んでしまったことにしてしまっていたが、まだ生きているかもしれない、助けなきゃ、でもどうやって、と急に冷静になって逆に慌てる。そんなこんなで時間が経ってしまい、気づいたらその人は水面から顔を出していた。

「また死ねなかったや」

 小さな呟きは聞こえていたがそれにもまた驚く。やっぱり自殺しようとしてたのか。こちらから見える背中には高級そうな外套。切羽詰まっているわけでもなさそう。どちらかといえば恋人に捨てられたような、もっと言ってしまえば飼い主に捨てられた子犬のような雰囲気が漂っている。
 時間にして五分も経っていないだろうが、目に留まってからずっと阿呆みたいに棒立ちで見ていたのがよくなかったのかもしれない。私の気配に気づいたのだろうか、その人はこちらを振り向いた。振り向いてしまったのだ。

「やあ可愛らしいお嬢さん。私と心中してはくれまいか?」

「……はい?」

 今の私はきっとお手本のような阿呆面を晒しているのだろう。こんなに綺麗な顔の殿方の前で。




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 その人はずぶ濡れのまま、自殺とは何か、今までどんな自殺法を試したか、心中という結論に至った理由、などなどこちらが何も言えないのを良いことにすごい速度で喋った。ということなのだよ、どうか私と心中してくれないだろうか、なんて抜かすものだから呆気に取られていると、その人がくしゃみを一つ。

「ええと、風邪をひくのは苦しく時間のかかる死ぬ確率も低い自殺方法だと思いますよ?」

なんて思い立って言うものじゃなかったと言った瞬間から反省する。なぜなら目を輝かせて、濡れた冷たい手で私の手を握ったからだ。

「ちゃんと話を聞いてくれた人なんて初めてだ!私は太宰!太宰治!君が私と心中する気になるまで私は諦めないからね!」

そしてこんな可笑しなことを言ったからだ。




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 毎日毎日暇なんだろうか。そんな暴言にも等しい言葉を投げたくなるくらい、帰り道は決まって現れるようになった。だいたいいつもこの川沿いで、私が川沿いに着く頃から、川沿いを離れる頃までというほんの少しの時間だけれど愛を囁いて(?)は、ではまた、なんて言ってふらっとどこかへと去っていく。
 学校に来たりも、家まで着いてきたりもしない。通りかかっただけみたいに、通りすがりに、毎日いろいろな言葉で心中を誘ってくるだけ。私の個人情報も聞いたりしない。ひたすら怪しいのになんとなく不審者と切り捨てられず、毎日そんな会話に付き合う私も私でおかしいのかな。本当になんなんだろうこの人。
 心中に誘ってくるし、初対面(?)も川を流れていたけどたまに川を流れていた形跡があったり、顔やら首やら手やらに包帯が増えていたりするのを見る限り、本当に色々な方法で自殺しようとしているのはわかった。でも理由は何も言わない。仕事も家族も友達も悩みも何も言わない。何も分からない。なんだかそれは私が触れちゃいけない領域のような気がして、何も聞かないようにしている。この人はとてつもなく頭がいいんだろうなぁ本当は、って時折思うことがあるけれど、どこかそれがあまり気に入っていないのかなぁ、って、勝手に予想してる。全部がつまらなく見えるんだろうな、そりゃ死にたくもなるのかな、なんて。違うかもしれないけど。
 このよく分からない関係も、1週間も続けば当たり前になる。1ヶ月も続けば、会わない平日は多少心配になるくらいだ。不思議なことに。この人、太宰治の事は、「綺麗な顔の自殺未遂心中軟派男」っていうたった十四文字しか知らないというのに、随分絆されたものだ。正直に言ってしまえば、今日も会えるかな、なんてちょっと楽しみになってきているのも事実。こんな調子で心中してもいいかも……なんて思わされてしまうんだろうか、あらやだ怖い怖い。頭の良い人って怖い。

「やぁ!今日こそ私と一緒に心中してはくれまいか?」

「あと六十年くらいしたら考えてあげなくもないです」

この人は死から嫌われているんじゃなかろうか。六十年して私が一緒に心中しようなんて言っても、きっと、死ぬのは私だけなんじゃないか。そんな気がしてならない。




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