学校帰り、そのままの足でアニメイトに寄った。夕方ということもあってか、店内はそこそこ混み合っている。が、今日は目的が一つしかない上、まっすぐレジへ向かった。途中でほかの者を見るとつい衝動買いしてしまう恐れがある。何度かやらかして財布を空っぽにしてしまっているのは私だ。この反省は活かすべく、この店に限らず買う物を決めてから足を運ぶようにしている。それでもついあれもこれも、と買ってしまうことはもうどうしようもない事だろう。ともあれ今日は無事に予定通りの買い物を済ませることができた。
「ふふ〜ん、やっと買えた!」
新刊の発売日から数日。予約はしていたものの、予定が合わなくてなかなか買いに行けなかった最新刊をようやく手に入れた。アニメのオープニング曲を口ずさみながら、スキップしたくなるくらいの軽い足取りで家へ向かう。帰ったら一気に読んでしまおう、と逸る気持ちが口許を緩ませる。
前回までの話を思い返しながら歩いていると、ポケットに入れたスマホが震えた。取り出して確認すると、母からだった。「今日は蟹しゃぶよ。早く帰ってきなさい。」と短いラインだったが、夕飯の内容にテンションが上がる。にしても、蟹しゃぶなんて、今日は何か良いことでもあったのだろうか。両親の結婚記念日は来週だから違うはず。まあよくわからないけれど、太宰さんが喜びそうだな〜なんて思いながら少しだけ足を速めに動かす。
川に差し掛かったところで、可愛らしい三毛猫がいた。橋の上だけど水は怖くないのかなそれともわかってないのかな。おとなしく橋の欄干の上にちょこんと座っていて、ちょっと滑っただけでも落ちてしまいそうで不安になる。人に慣れているようでそっと頭を撫でても嫌がるそぶりはなかった。抱き上げて橋を渡り切ってしまった方が安全だろうと思い、そうっと両手を伸ばすとにゃあと一鳴きして暴れてしまった。
「うわぁ危ないってば……!!」
案の定落ちかけた猫を、身を乗り出して捕まえた。が、肩から掛けていた鞄が勢いよく橋の外側に出てしまい、それにつられて私も橋からずるりと滑った。
良い川だね、なんて言っていつも川に飛び込む太宰さんはこんな光景を見ているのか、なんて現実逃避しながら猫をしっかり抱きこんで目をぎゅうっと閉じた。太宰さんだから死なないで毎回助かってるだけで私みたいなただの女子高生には無理……!
そういえば今日は私の誕生日じゃなかったっけ。急に思い出してだから蟹しゃぶだったのか、蟹しゃぶ食べたかったな、なんて思いを馳せた。
なんだか騒がしい声が聞こえる。胸が苦しくてごほ、とせき込んだ。大量に水を飲んでいたようで盛大に吐き出してしまった。何度か席をして呼吸を整えていると、視線を感じてそちらに目を向けた。
「綺麗なお嬢さんだとは思っていたけれど、瞳の色も美しいね」
軟派みたいな台詞を言いながら、横たわる私の顔を真上から覗き込むように見えれる。その顔に覚えがあるどころじゃなくて固まったまま凝視してしまった。川を流れたのか濡れている黒い癖っ毛、高い鼻、薄い唇、とにかくイケメン。どこからどう見ても私が好きな文豪ストレイドックスの太宰治だった。声も宮野真守だった。いわゆるトリップってやつ……?え、川に流されてトリップ……?
なんて思っているうちに、鼻と鼻が触れそうな距離にまで近づいていた。
「うぉりゃ!!」
凄い気合の入った、聞き覚えのある高い声がして、言葉通り目の前にあった太宰さんがどこかへ吹っ飛んでいった。まさか、と思ってブリキのようにぎぎぎと首を動かすと、橙色の髪で襟足が少し長い、綺麗な蒼い瞳の、お洒落な帽子を頭にのせた男の人がいた。というか中原中也だった。
「此奴と一緒に川に流されてたンだが、知り合いじゃねェのか?」
蹴り飛ばした太宰さんには一ミリも視線をくれずに、中也さんは私の傍にしゃがんで問いかけてくる。知り合いではないけど一方的に知っている……何て言ったらどうなることだろう、異能がある世界ではあるけれどトリップなんて信じてくれるかわからないし、異世界(?)から来たなんて言ったら色んなところから狙われるかもしれないし、どうしたらいいんだろう、でも相手はマフィア幹部だぞ!?中也さんはわんちゃん騙せても太宰さんは絶対無理……!何て答えたらいいんだ……
「?おい?聞いてンのか?」
「中也はミジンコくらいの大きさだから見えてないんじゃなアい?」
いつの間にか復活したらしい太宰さんが蹴られたらしいわき腹を擦りつつ、中也さんの隣に来た。物凄い顔で「あぁ?!」と立ち上がった中也さんが太宰さんに詰め寄るも、私の存在を思い出したらしく深呼吸してこちらを振り向いた。アニメと漫画で見ていたとはいえ目の前にいる中也さんの怒った顔の迫力はすごかった。悲鳴を上げなかっただけ褒めて欲しいくらいだった。びびった私に気付いた太宰さんがさりげなく中也さんの前に立ってくれて、訳のわからなかった中也さんがまた怒鳴って、という悪循環。気づけば二人で喧嘩を始めてしまっていて、双黒の喧嘩を眺める部下の気持ちが分かった気がした。いや、うん、巻き込まれたくないけどさっさと終わらせてくれないかな……
ずっと横になっているのもあれだし体を起こす。二人が言い争っている間に今後のことを考えよう。時間を有効に活用しよう。うん。
この二人しか会っていないし、ここがヨコハマかどうかはわからないけれど、とりあえずトリップは確定としよう。夢女なら誰しも一回くらいはトリップする妄想をしたことはあると思う。ポートマフィアで異能力バンバン使って紅葉さんやエリスちゃんや首領と一緒にお茶したり、武装探偵社で依頼を解決したり。でもそれはあくまで妄想なわけで、本当にトリップしてしまった今、願いは単純で、死にたくないし痛い思いもしたくないし人を殺したくもない。つまり平和に過ごしたい。最初に出会うのが福沢社長や国木田さんなど武装探偵社のメンバーだったらきっとその願いはかなっただろう。がしかし、残念なことに此処にいるのは中原中也と、太宰治なのだ。いや、最惜しの二人だからご尊顔を拝めただけでそれはそれは幸せなんだけれど、この世界で期間はわからないが過ごしていくことを考えると残念どころか最悪だろう。だってこの太宰治、黒い外套を羽織っているんだぜ。死亡フラグにしか思えないよね。
はっ!太宰さんがポートマフィアにいるということは、まだ織田作が生きている……!!原作の流れを考えるとまだ安吾さんもポートマフィアにいるだろう。この二人にも会いたいなぁ。織田さんの元にいければポートマフィアに入ることになったとしても安全かもしれないな、と思いついたのでどこかで会えたら必死で仲良くなれるように頑張ろう。
とりあえず今この二人に対しても、他の人に対しても、何も知らないふりをしよう。失敗したらその時はその時だ。どう考えても今ぺらぺらとしゃべってしまったらまずいだろう。良いように利用されるに決まっている。
よし決心はできた。いつでもどんとこい、と言いたいけれどまだこの二人喧嘩してるよ……
「っくしゅん」
さすがに日も落ちているし、ずぶ濡れだったからか冷えて、ぶるりと震えてくしゃみが出た。盛大なくしゃみではなかったものの、喧嘩していた二人の耳には聞こえたらしくぴたりと停止した。中也さんは太宰さんの胸倉を掴んでいて、太宰さんは中也さんのほっぺを引っ張っている。そのままの体勢でこちらを向いているから、なかなか面白いことになっているんだけれど、表情筋と腹筋に力を入れて笑わないように堪える。
「ごめんねぇ、濡れたままじゃ冷えるよね」
「悪ィ、大丈夫か?」
ほぼ同時にそれぞれ掴んでいた手を離してこちらに戻ってきた。太宰さんが来ていた外套を脱いで私に掛けようとして、中也さんにその手ごと叩き落される。
「ちょっと、何するのさ」
「ずぶ濡れの外套掛けたって意味ねェだろ」
冷静な中也さんのツッコミに納得したのか、太宰さんはむっとした顔でまた外套を羽織って、「はっくしゅん!」と盛大にくしゃみをした。呆れた顔の中也さんが溜息を吐いて私の肩に上着を掛けてくれた。
結局まだ何も話していないというのに、二人ともやさしいなぁ、ポートマフィアなんだよなぁ、と思いながらお礼を言おうと口を開いた。
「 」
口を開いたまま固まってしまった。ありが、と口を動かしたところで何の音も出ていないことに気付いたからだ。もう一度声を出そうと口を動かしてみるも、やはり一言も出なかった。さっきくしゃみはできたのに、なんで?どういうこと?
一人困惑していると、さすがに目が合ったまま口をパクパクさせてから俯いた私に、二人が怪訝そうな声を掛けてくるが、返事ができなくて困惑する。顔を上げて、野後に手をやって声が出ないことをアピールしてみると、中也さんは首を傾げていたが、太宰さんは分かったようで「ちょっとごめんね」なんて言いながら私の頭やら首やらにぺたぺたと触れた。真剣なイケメンの顔の距離が近くて視線を逸らす。
「おい太宰?どうした」
「頭を打ったりはしていないようだし喉も腫れていないけれど、声が出ないようだ」
触診と言うやつだったのか、太宰さんは難しい顔でふむ、と考え込んでいて、中也さんはびっくりしていた。私も同じようなびっくり顔をしていると思う。
私は一緒に川に落ちたはずの鞄もなくて、スマホもなくて、もちろんメモ帳もペンも持っていなかったので、どうやってコミュニケーション取ろうか、と思案する。どうみてもこの二人がメモ帳を持ち歩いているようには見えないし、マフィアの二人がスマホをほいほいと化してくれるとも思わない。
「あぁ、唇の動きで言いたいことはわかるだろうから、声が出ないまま話してくれて構わないよ」
さすが太宰さん、読唇術なんてお手の物か。とりあえず、”わかりました”と口を動かすと、頷き返してくれた。横にいた中也さんだけ「あ?なんて言ってンだ?」と太宰さんに聞いていたが、太宰さんが適当なことを言ってまた喧嘩になりそうだった。困った顔をしていれば太宰さんから名前やどうして川を流れていたのかなど聞かれ、”瀬戸酔夏””川に落ちそうだった猫を助けたら一緒に落ちました””そういえば猫は見ませんでしたか”順番に答えていき、太宰さんは答える度に返事をくれた。家はどの辺にあるのか、学校は、などの問いに対してはわからない、と首を振った。この不思議な会話を重ねるごとに中也さんの眉間に皺が刻まれていく。
「糞太宰、手前何言ってるのか分かってンなら俺にも教えろよ」
「えぇ〜?面倒臭い、なんで私が中也のためにそんなことしなきゃいけないのさ」
そりゃあ面倒だよね、申し訳ないな、と思っていると太宰さんが頭にぽんと手を置いて撫でてくれる。だだだだざいさんに頭撫でられた……!!
もし声が普通に出ていたら変な悲鳴を上げていただろうから、声が出なくてよかった、とポジティブに思うことにした。それにトリップについても黙っておくなら下手に喋ってしまうことも減るだろうし、うん、声くらいでなくても何とかなるはず。
「ていうか中也、君もう帰っていいよ?私酔夏ちゃんとお話するから!」
「あぁ?おい瀬戸、此奴だけはやめとけ、関わんな」
太宰さんは語尾にハートでもついているんじゃないかってくらいの弾んだ声でそんなことを言って、中也さんは眉間の皺をそのままに低い声で言う。関わんなっていわれても、このあとどうしたらいいかわからないしひとまず一緒に行動出来たらいいな、と思ったんだけどなぁ。どうしよう。
しっしっと手で中也さんを追い払うようにする太宰さんに、舌打ちしながら中也さんは少し離れていってしまって、どこへ、と思ったら「首領に電話してくる」とだけいって背を向けてしまった。
ちぇ〜と口を尖らせながら(あざとい)私の方に向き直って、また無音の私と楽しそうな太宰さんの会話が再開される。と、何か悪戯を思いついたらしく、立てた人差し指を唇に当てて片目を瞑った。しぃも何も、私は声でないんだけど、なんて思いながら物音を立てないように動かずに中也さんに近寄る太宰さんを見守る。驚かすのかと思ったら急に勢いよく走りだして飛んだ。というか飛び蹴りのモーションだった。中也さんはこちらに気付いていない。
”中也さんしゃがんで!”
その瞬間、電話をしたまま中也さんがしゃがんだ。既に飛んでいた太宰さんが中也さんの上を通り過ぎていった。なんとか着地に成功していたのを見て、黙ったまま中也さんは立ち上がってこちらを振り向いた。後ろで「ちょっと!なんで避けたのさ!」なんて太宰さんが喚いていたけれど、スルーしてしまった。私をじっと見ている中也さんのまだ驚いているその表情で、私はさっき何があったのか察してしまった。
”私の声が聞こえたんですか”
これは疑問じゃなくて確認だった。普通に話しかけるみたいに口を動かしたが、やはり声は出ていないのに、中也さんは頷いた。中也さんのところまできた太宰さんがきょとんとした顔をして私と中也さんを順番に見ていた。
「え?酔夏ちゃんの声聞こえないよ?」
なんで中也さんにだけ?と私も中也さんも首を傾げる。が、もしかして、と思い至った。声が出ない理由はわからないが、どうやら伝えることのできる異能力なのではないか。そして、太宰さんの人間失格で、私の異能の声は太宰さんには聞こえないのではないか、ということに。
中也さんも同じことを考えたらしい。考え込むように顎に手を当てた中也さんを見て、頭の良い太宰さんも気付いてしまったようだった。飛び蹴りを避けられて苛立った表情だった太宰さんが一瞬で無表情になって、今日出会って初めて、ああ太宰さんはポートマフィアなんだな、と実感した。太宰さんが外套のポケットをごそごそと漁って取り出したスマホを操作する。それを見守る緊張したままの私と、「どうするつもりだ?」と睨む中也さん。
「中也」
「……なんだ」
「スマホ水没しちゃったから貸して!」
てへぺろってテンションで言うから、中也さんが引き攣った顔で文句を言いたげにスマホを渡していた。それから盛大な溜息を吐く。また太宰さんがスマホを操作しているので二人でじっと見ていた。
これはやばい展開になったきた。トリップは隠せば何とかなると思ったけれど、異能はバレたらもうどうしようもなさそうだ。マフィアに利用されるんだろうか、平和に生きたかったな……なんてもう叶いそうにない願いを溜息と共に吐き出した。
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長らく一話を書くのに時間がかかってしまいました。
細かな設定をどうしようかなぁって思っていて、やっと大筋を建てられたところです。
このリンドウはそんなに長くないお話にする予定なのですが、トリップほんとに書くの難しくて、ちょっとゆっくり目に書くことになりそうです。
番外編みたいな感じで、小話を挟んで行こうかなって思っています。
呼んでいただきありがとうございます。