1059SS | ナノ

ずるり、と天井裏から這い出て来こられた時にはさすがの私もひやり、としたものが背中を駆けたのを感じざるを得なかった。偶然にも丑三つ刻ということもあって相乗効果、一瞬だけでも怖いと思った自分が情けない、大の大人でありしかも男であるというのに。

言い訳をさせてもらえるとするのならば、第一に這い出し方にまず問題がある、刺客だとしたらこのように気配を垂れ流すようなことはしないだろう。第二に出て来たその姿がまるで化け物じみていたように見えたこと、冷静になった今、よくよく見たらそれは見知った顔も何も。


「なまえ、今までどこにいたんだい」
「た、只今帰還した次第です……」


と布団から上体だけ起こした私の横に、へろ、とぼろ雑巾のような姿になってしまっているなまえに問い掛けたが、若干話が噛み合わない。

彼女は忍、戦には不向きの間諜、諜報専門で得意なのはハッタリ紛いのなんちゃって奇襲と変化術、そんな彼女にちょっとしたお使いを頼み、簡単な仕事に意気揚々とつい一週間ほど前に出掛けたのだが、出掛ける前と今現在のこの有様。

一体何があったのかと聞くのは野暮だろうか。

簡単な仕事になればなるほど喜々とするし、重い任務に掛かるとなると鬱屈とするのはなまえの性格を十分によく表している。めんどくさがりで、尚且つ仕事嫌い、自分も忍のくせして忍が嫌い。ただなまえは己のことを忍だとは認識していないらしく、忍と呼ばれる度に「忍じゃない!隠密だ!」とどこぞの男装麗人な彼女を思わせるようなことを言う。

大体、ちょっとしたお使い(堤防から妙な音がしていると聞き様子を見てきて欲しいと頼んだのだ)にまさか一週間も掛かるとは予想外もいいところ、彼女の足からしてみれば往復半日は掛からないはず。

これもまた彼女の性格なのだが、便りがないのは元気な証拠とでも言うように何も心配がない時は連絡を寄越さない、ついでと言わんばかりにふらふら道草を食うこともあるものだから、二、三日は、あぁまたか……と気には留めずにいた。

しかしどうしたことだろう、四日過ぎ五日過ぎ、一向に帰ってくる気配を見せないなまえに私もいよいよ何かあったのでは、と焦りを隠せず、輝元に万が一のため小隊を組ませ自らも馬に跨がりしばらく各地を廻ってみたのだが、どこにもいない。

まさか最悪の事態に、とは考えたくないがさすがに一週間も経ってみると何事にも集中出来なくなり、とにかくなまえの安否を考えてばかりいた。

そうして丁度、一週間とさらに一日が経とうとしていた折にずるり、と丑三つ刻に天井裏からなまえが這い出て来たのである。


「まずは怪我の手当をしよう」


ぐで、となったなまえは怪我こそあるものの、致命傷になるものはなさそうで、疲労困憊しているためにそれ以上動けないのであろうと読み取れた。蝋燭に火を点し、湯を取りに一旦部屋を出ると今宵は月が雲に姿を隠してしまっているようだった。


「堤防に問題はなかったです」
「うん、便りがないから大丈夫なんだろうとは思ったよ」
「妙な音がしたのは、上流から流れ着いた木屑の擦れる音だったようです」
「そうだったのか」


今や堤防のことなどどうだっていい、大丈夫なのだと便りが来ない時点でわかっていたのだから、何故帰還するまでにこんなにも時間が掛かりぼろぼろになっているのかを、私は知りたい。

一応は無事に帰ってきてくれて心底ほっとしている、手当を終えしゃべるくらいの気力はどうにか取り戻したなまえに尋ねてみると、苦虫を噛み潰したような顔をして「腹立つ」と一言漏らしてから事の経緯を話し出した。


「いいですか元就さま、私は決して忍ではないと言うことを念頭に聞いてください」
「わかった」
「堤防の様子を見た後、城下に行ってました」
「あぁ大体いつも道草してくるからね、なまえは」
「ちゃんと元就さまにもお土産をと大福を買ったんです」
「それは嬉しいね」
「ですからすぐに帰ろうとしたんですよ」


城下に行っても一日以上は掛からない、そこですぐに帰ろうとしたらしいなまえの身に何かがあったのだ。

帰る道々お土産とは別に買った大福を頬張っていたなまえの足元に一本のクナイが突き刺さる、曲者。瞬時に身を翻して辺りに注意を払えばいくつもの黒い影、忍の群に取り囲まれていた。

伊賀、甲賀、甲州、はたまた風魔一党か。

どれにも当て嵌まらないように見受けられるその出で立ちから、抜け忍あるいはならず者だと悟る。一体何の様かと尋ねる暇さえ与えてはもらえず、問答無用で斬り掛かってこられてはたまったもんじゃない。恨みを買うような覚えは仕事柄ありすぎるために、いちいち覚えていてはいないし面倒だからと、今までそうしてきたように逃走を計るのみ。

なまえの足を持って逃げ切れないことなどないのだから、しかし悠長に構えていたのが災いしたようで、奴らは思いの外素早く連携に長けていた。瞬く間に退路を塞がれこれはいよいよ困ったことになった、戦術もある程度は嗜んだがこれはあまりにも分が悪すぎる。第一なまえは諜報専門であるから、まるで八方塞がり。

さて、どうしたものかと頭上では鳶がひょろひょろ鳴いている。八方塞がりとは言ったが頭上はがら空き、鍛え抜かれた脚力を駆使し、力の限り地を蹴って空中へ飛び、手頃な木の枝へとぶら下がることに成功。

まさか、と呆然しかけた忍の群は逃がすまいぞとばかりに慌てて後を追ってくる。諦めの悪そうな奴らばかり、このまま城へ戻っては奴らの思う壷。仕方なしに遠回りにはなるが、奴らを撒くために上京する他なさそうだ。思いがけない長旅の始まりに、走りながらやはりついて来る忍の群にため息を零した。

それが一日目の出来事。

夜通しで走り続け、一人また一人と脱落していく忍の群、そろそろ江戸に入るか入らないかのところで、全ての忍を撒ききりようやく一息つくことが出来た。さすがにくたくただとしばらく森の中に潜み、本当に追っ手を撒けたかどうか探っているうちにいつの間にか眠りこけ、気が付けば三日目の夜。随分と寝ていたようだ。

もう追っ手はいないようだと確認し、森を抜けせっかく大福をお土産に買ったのだが安芸に戻る頃には腐ってしまうだろう、また買えばいいやと腹の足しに。

町に繰り出しそこで得意の変化術を使い、その地の大名に変化しては宿を無賃で借りしばらく休んだ。(多少の後ろめたさはあったが致し方ない)すっかり元気になったところで、江戸城を遠巻きに眺めながら帰路に、と人生そうも上手くいかないらしい。踏んだり蹴ったりとはまさにこのこと、一本道の脇にある木の幹にもたれ掛かり、こちらを見つめているのは風魔一党の頭領、風魔小太郎。

面倒な奴に出くわした、すぐさま別の道を行こうと回れ右で目の前に風魔小太郎、あぁ困った困った。

何故逃げる、我と遊んでいかぬか、見ぬうちに随分やつれたな、何故このようなところにいるのだ。

矢継ぎ早に尋ねられるがいちいち丁寧に返す義理もないと思い、こちらにもいろいろと事情があるのだと返したら、変な風に捉えられたらしく、狸のところに諜報かと言われた。さすがにそれは違うと言いかけたところで風魔はいい座興を見付けた、と言わんばかりに執拗なまでに絡んでくる。

訂正する暇さえもらえず(あれ、既視感?)風魔は今から狸もとい家康の寝首を掻きに行くぞとお誘い合わせてくるが、馬鹿を言うな馬鹿を。そんなことして徳川の番犬が黙っているはずがない、それに忍は嫌いなのだからあまり近寄るな。

嫌な顔をしてやれば風魔はそれこそ面白そうに、なまえは忍ではなく隠密であったな、と小馬鹿にしたような口をきくものだからつい対抗して、隠密は忍より優れていて特に諜報事は誰にも負けないのだと噛み付いた。

そこでやめておけばよかったものを、ついでだとばかりに狸の秘密のひとつやふたつ、持っていてもおかしくはないなどと口走る。持っていてもおかしくはないと言うだけであって、決して持っているわけではない。

ただ、そういった事柄も隠密であるなまえの手に掛かれば、知るのは容易だと示唆しただけの例えを言っただけだったのだ。

それなのに風魔はなまえが家康の秘密を知っていると捉え、いいことを聞いたと言うからてっきり自分にも教えろと言うのかと思えば、愉快そうに少し声を大きくしながら「うぬの主の秘事、なまえは知っているそうだぞ……半蔵」もうこれ以上の座興はない、有り得ない。

そんなつもりなどなかったのに、風魔は徳川の番犬まで召喚して下さりやがって目の前には嫌いな忍が二人も。

主の秘事、漏らさせぬ。それはそれは怖い顔した番犬の目は些か血走っていて、何度違うと誤解だと叫んでもまるで聞く耳を持っちゃくれないから、どうしようもない。

これは逃げるが上策、勝ちってね。

何を言っても通じない相手にはそれが一番だと、すぐさま逃走を計るがそう簡単には逃がしちゃくれないらしい。あろうことか、連携してきやがる。狸が最近腹を気にし始めたことや、体脂肪率が有り得ない値まで上がったことまでなまえは熟知したそうだぞ。死人のような顔色のくせに、生き生きした表情で風魔が番犬に虚言を吹き込む。

知らねーよそんなこと!それに体脂肪率高いとか、腹を気にしてるとかあの腹を見れば誰だってわかる、知って誰が得をするんだ。そもそも風魔の方が詳しくよく知り過ぎてるということに気付け。

くわっ、と目を見開いては滅!と何度も繰り返す番犬は恐すぎて見ていられない。必死で走るもののその差は開くことも縮むこともなく、平行線を辿ったまま。


「それから三日三晩、追い回され続けてようやく命、からがら……っ!」
「それは大変だったね…」


うっうっ、と当時の苦しみを思い出したのかなまえは腕で顔を覆う。追い回されている様子が容易に想像出来るから、笑い話にはならなそうだ。


「要するに家康公は肥満体、か」
「ば、馬鹿馬鹿しいにも程が、そんなの秘密でも何でも……うわああん!」
「あーよしよし(こりゃひどい精神的外傷を負ったものだね)」
「だから忍は嫌いなんですよおお!」


端から見ればなまえも立派な忍だと思うよ、とはあまりに不憫過ぎるなまえには言えず、彼女の忍嫌いは余計に拍車が掛かったのではないだろうか。

この調子では当分仕事を頼めそうにないなあ、とうとう本泣きに入ったなまえは嗚咽混じりに「くたばれ」と「召されよ」を繰り返し、終いには「この世に生を受けたこと心底後悔させてやる今に見ていろ」などと叫び始めてしまった。

さすがに家臣達がびっくりしてしまうだろうから、そっと口を手の平で覆い隠し落ち着かせるためにと抱きしめた。体温と、規則正しい鼓動の音は人を落ち着かせる効果があると誰かに聞いたことがあった気がしたから。(もしかしたらなまえだったかもしれない)


「もう大丈夫、私のいる城になまえ以外の忍は入れないからね」
「私は、忍じゃ……ないで、すっ」
「何はともあれ、無事でよかった」
「ご心配……お掛け、しました」


ぐすぐすと鼻は鳴らすものの、落ち着いてくれたようでおとなしく腕の中で私にもたれ掛かれる。ここで頬を朱に染めて恥じらってくれでもしたら、嬉しいんだけどね。

なまえの中で私は恐らく主と言う名の保護者、といった位置にあるんだろう。私としては少しくらい意識してもらわないと、困るんだけどなあ。

ひっそりと苦笑しながら今はただ、傷心中の可愛い忍を慰めて、地道に株を上げることしか出来なさそうだ。


それぞれのめ事
(元就さまは父の様な香りがします)
(そうかい)
(はい、加齢しゅ)
(怒っていいかい?)
(すみません冗談です)


この時代にそぐわない単語がありましたがその辺りはスルーで。
20100510
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