1059SS | ナノ

洗濯物を干そうとベランダに出た。

この日はサークルの集まりで少し帰りが遅くなったため、アパートに着いたのは深夜まではいかなかったけれど、かなり遅かったと思う。ここのところ忙しくて溜まりがちだった洗濯物、夜にするのは気が進まなかったんだけど、本当に量が半端なくて仕方なかったんだ。

洗濯機から出してきたものをベランダで干していると、ふと下の方に気配を感じて視線をやった、誰かいる。暗いし、なんだろう、黒っぽい服装のようでよく見えない。

このアパートは3階建てで、私の部屋はその3階にある、この辺りは開発途上というか、一軒家とアパートがぽつぽつとあるくらいでほとんどが更地。見通しはいいけど、街灯が少なくて明かりといえばアパートや点々とある一軒家のものばかり、深夜になれば当然それらは消されて辺りはかなりの暗さになる。

見下ろした先の人はどう見てもやっぱり全身真っ黒の服装で、恐らくパーカーだと思うんだけど、そのフードをしっかり被っていて顔は全く見えなかった。(こっち側が明るいってこともあるんだろうけど)でも、私のいるベランダをじっと見上げているのだけはなんとなくわかる。

「清正?高虎……は、まだバイトか、うーん吉継?」

前に、この辺は不審者が多いからねーって話をして、幽霊とかよりも生きてる人間の方が怖い、そんな結論に辿り着いた。だからきっと誰かが私を怖がらせようとしているのかも、なんて。

とりあえず知り合いの名前を呼んでみても、下にいる黒尽くめは微動だにしない。よくよく考えてみれば、こんなアホらしいことをするような人は私の周りには正則くらいだ。

それに正則は同じアパートの右隣に住んでいて、今は部屋にいるはずだ、ベランダから部屋の明かりがついているのがわかるし、微かにテレビの音が聞こえてくる。バカ丸出しの笑い声も薄っすらと聞こえた。

じゃあ、下にいるのは誰?ぴくりともしない黒尽くめ、さすがに気持ち悪くなってきた。本当に不審者だったらどうしよ、うわあうっかり話し掛けちゃったよ。

謎の人物は未だにじっとこっちを見ている、洗濯物を急いで片し、部屋へと戻ると施錠してカーテンをきっちりと閉めた、テーブルに置いておいたスマフォを手に取ると、電話帳を開いて通話ボタンをタップ。

相手はワンコールもしないうちに出てくれた。

『……こんな時間に洗濯するな、騒々しい』

正則と反対側、左隣には恋人の三成が住んでいる。大抵ほとんど……いや、わりと常に辛辣な彼だが、いざという時、もちろん普段も役に立……んーん、頼りになる。ちなみに正則とは犬猿の仲だ。

もう寝ていたんだろうか、三成は不機嫌そうではあったものの、律儀に電話に出てくれた、少し掠れた声が色っぽい……ってそんなこと考えてる場合じゃなかった。

「ごめんね三成、でもちょっと切羽詰まってて」
『もうレポートは手伝わんと言ったはずだ』
「えええ!それガチだったの!?」
『お前のためにならんだろうが、俺は眠い、大したことのない用事なら明日に』
「ああ違うの違うの!レポートとかじゃなくて!」

逸れた話の軌道を修正、さっき見た不審者について三成に話したら、通話口の向こうで怪訝そうな雰囲気を醸し出しているのが感じ取れた。想像以上に食いついてくれたみたい。よかった。

『すぐ俺の部屋にこい』
「うん、あ、ねえ三成」
『なんだ』
「えと、このままそっちで寝ちゃ、だめ……?」
『……早くしろ、俺はもう玄関に出てる』

一瞬の沈黙は肯定と同義、なんだかんだ言って三成は本当に優しいし、心配もしてくれる。ぷつりと通話が切れてから、私はすぐにパジャマと簡単なお泊りセットをクローゼットから取り出した。

スマフォとお財布を、簡単なお泊りセットと一緒に詰め込んで、部屋を飛び出す。玄関を出れば自分の部屋のドアにもたれ掛かり、パジャマ姿の三成がいた。

「三成、パジャマかわいー」
「お前が寄越したものだろうが」
「あ、一昨年の誕生日だっけ、着てくれてるんだ」

部屋の鍵をして、三成に駆け寄る。予想だにしていなかった嬉しい一言、パジャマを誕生日にプレゼント、なんて正直重いというか好みの不安もあったけれど、実はひと月以上悩んで迷って選んだ一品。そもそもなんでパジャマなんかプレゼントしたんだろう、当時の私に尋ねたい。

大方酔った勢い、そういうことにしておこう。

「……お、俺は物持ちがいいんだ、たまたま綺麗に着れてるだけであって、別に、その……とにかく!今はそんなことよりも早く部屋に入れ」
「素直じゃないなあ、お邪魔しまーす」

手首を掴まれ、半ば強引に部屋へと連れられる。しっかりと鍵を掛け、ドアチェーンも忘れずに。三成は私の手荷物を見て、呆れたようにため息はつくものの、滲み出る安堵とほんの少し期待めいた視線、ほんと素直じゃないんだから。

部屋の隅に荷物を置かせてもらい、三成のベッドへとダイヴ。一人ではなくなった安心感からか、すっかり気が緩む。

「ふ、ふふふ、三成の匂いー!」
「馬鹿か、ふざけていないで詳しく状況を説明しろ」
「あいたっ!もー叩かなくても」
「で、その怪しい奴はどうしてる」

いたた、はたかれた場所を大袈裟にさする。どうもこうも、今はわからない、さっきは下からじっとこっちを見てて、ウッカリだったとしても、声を掛ければ少しは動揺すると思ったのに。なのにそいつは微動だにしなかった、不審者と呼ぶのに相応しいこの上ない。

一応私の部屋の電気は付けっ放しだから、きっと向こうは私がまだ部屋にいると思っているはず。

「様子を見る」
「わ、私も見たい!」
「馬鹿、なまえは顔を出すな、下がっていろ」

ぴしゃりと怒られ、ベッドの上で膝を抱えた。ちぇっ、ケチ。

三成はそっとカーテンへと手を掛け、向こう側にバレないよう、ほんの僅かな隙間から外を覗き見ていた。素早く目線を走らせ、すぐに眉間に皺が寄せられる。何もいない、そう呟いた。

「帰ったのかな?」
「わからぬ、だがもう誰もいなかった」
「そっか」
「その残念そうな顔をやめろ、不愉快だ」
「べ、別に残念そうになんかしてないよ!」
「何かあってからでは遅いのだよ、心配する身にもなれ」
「う、ごめ……」

ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ何かあったら、そんな想像をした。自分のことなのに他人事、でもすぐに後悔、心配してくれてる三成に失礼だし申し訳ない。こうして部屋に招き入れてもらっていることもある、気怠げにベッドへ腰掛けた三成に謝りつつ、寄り添うようにもたれかかった。

「寝るぞ」
「あ、お風呂借りていい?」
「……好きにしろ」
「三成、何を想像したの」
「……何も想像などしていない」
「三成のえっち」
「ば、ばっ……!」

ピーン ポーン……と、その時、来客を知らせるインターフォンの音がやけに大きく響いた、私達は揃って玄関の方へ視線を向ける。インターフォンの液晶は依然暗いままだ、つまりこの呼び出し音は三成の部屋のものではなくて、別の部屋。

明らかに私の部屋の方から音が聞こえてくる。いや、でも、もしかしたら正則の部屋かもしれない、しかしそんな予想はいとも簡単に外れてしまう。だって、インターフォンの呼び鈴が何度も何度も鳴らされ続けているんだもの。正則は部屋にいたはずだから、出ないなんてことはない、そもそも時間帯を考えれば来客なんて不自然すぎやしないだろうか。

一瞬で部屋の空気が凍りつく。

「み、三成……!」
「なまえはそこにいろ」

声を潜めて声を掛ければ、三成は立ち上がり、足音を立てないよう玄関へ歩み寄ると、ドアスコープを覗いた。インターフォンの呼び鈴はまだ鳴っている、踵を返し、足早に戻ってきた三成はさっきの比ではないくらいに眉間に皺を寄せていて、途端にぞわりと鳥肌が立った。

「三成……」
「全身黒尽くめ、フードで顔はわからないが女ではない」
「あ、あいつ……!」
「心配いらぬ、鍵も掛けてある上にここには俺がいる」
「う、ん」

未だに鳴らされ続ける呼び鈴、微かに聞こえてくるガチャガチャという音は、きっとドアノブだ。
怖い、何かあったら、そんな風に少しでも思ったことを本当に後悔した。三成にしがみつけば、何も言わずに抱き締めてくれて、大丈夫だ俺がいる、とおまじないのように何度も囁いてくれた。

「っせえんだよ!テメェ今何時だと思ってんだコラァ!」

何度目かわからない呼び鈴の音に、ふと聞き覚えのある怒声が覆い被さる。正則だ、ドスの効いた声色で叫んでる。正則、大丈夫かな、何も知らないっていうのも怖い。

「誰だテメェ、シカトか!?オイ、聞いてんのか!……う、煩ェっつってんだろうがよォ!」

次第に正則の怒声が勢いを失っていくのがわかった、呼び鈴も、ドアノブをガチャガチャ言わせる音も全然止まないんだもん。気が付けば正則の怒声は聞こえなくなっていて、代わりに私のスマフォが着信を告げだした。

液晶には「正則」の文字、慌てて出てみれば、ひどく焦った様子だ。

『オイなまえ大丈夫か!?お前の部屋んとこになんか変な奴いんだけど!ヤベェってガチで、俺話し掛けちまったよ!』
「私は平気、今は三成と一緒だから」
『そっか、それにしてもマジヤベェ!あいつ俺が何言っても無反応でピンポンとドアガチャ続けるし!』

一体、誰なんだろうか。
もし、私がベランダに出た時に不審者に気が付かなくて、そのまま部屋にいたら……。インターフォンが鳴って、どうせ三成か正則だろうって何も知らずにドアを開けていたら。そんな想像をしてゾッとする。

『ケーサツ!ケーサツ呼ぼうぜ、こんなん埒が開かねェ!』
「……ま、まだいるみたいだもんね、三成、正則が警察呼ぼうって」
「あの馬鹿にしては名案だ、俺が掛ける」
『オイ頭デッカチ!今さりげなく馬鹿っつっただろ!聞こえてんだよテメェ!』

通話口の向こうでがなり立てる正則をしばらくそのままにして、三成が警察へと電話を掛けるのを黙って見守った。耳からスマフォを離した三成の眉間の皺が、いくらかマシになったのを見て、警察からはいい返事がもらえたのがわかる。

丁度この近辺を巡回しているパトカーがいるようで、すぐに様子を見に来てくれるそうだ。インターフォンもドアガチャもまだ聞こえているからアイツはまだそこにいる。うまくいけば、来てくれた警察と鉢合わせてすぐにでも御用。

『なあ、ケーサツはなんだって?』
「三成が電話してくれて、様子を見に来てくれるって」
『アイツまだそこにいるよな、どんだけ鳴らしてんだよ、気持ちわりー』

いつかドアノブが取れてしまわないか心配なところ、耳にへばりつくようなインターフォンの音と、ドアノブをガチャガチャする音はしばらく軽いトラウマになりそうだ。正則との通話も続けたまま、数分が経った頃、私と三成がいる部屋のインターフォンが来客を知らせた。

即座にインターフォンのディスプレイに視線をやれば、写っていたのは二人組の制服姿。警察だ、お巡りさんだ。

「俺が出る、ここにいろ」
「うん」
『ケーサツきたのか?』
「きたみたい、一旦切るね」
『おう』

ドアスコープを覗いて確認した三成が玄関を開けた、三成越しに二人組の警察官が見えて、一瞬目が合った。事情を説明しているのを聞いていると、ふとインターフォンの音とドアガチャの音がなくなっていることに気が付いた。

アイツは捕まった?いや、捕まっていたら警察官はそこにいないだろうし、逃げたんだろうか。それにしては逃げ足が速過ぎる。妙な違和感を覚え、ここにいろとは言われたけれど、私も玄関の方へと立ち上がる。

そばに行けば三成はいい顔をしなかったが無視をした、あらかた話しをし終えたらしいけれど、何故か双方とも浮かないような、納得しないような妙な表情だった。どうしたの、結局アイツはどうなったの?

「なまえ」
「うん?」
「さっきまで、警察がくる直前までインターフォンも鳴っていたし、ドアも音を立てていた、そうだな?」
「え?うん、怖いくらいずっと」

唐突な三成の質問に頷くと、警察官はますます不思議そうな表情で顔を見合わせている。警察官の二人はアイツと鉢合わせていないのだろうか、むしろタイミング的に鉢合わせていないとおかしい。

「あの、アイツは……不審者はどうなったんでしょうか」
「我々がここに到着した時には誰もいませんでした、悪戯をされていたというのはこの隣のあなたの部屋ですか」
「あ、はい……」

おずおずと聞いてみれば、警察は誰も見ていないという。それは絶対におかしい、だってこのアパートは階段が一つしかないのだ、正則の部屋の方は突き当たり、そしてここは三階、飛び降りるのは絶対にむり。

不審者が警察に気付いて逃げたとしても、階段を降りるしか道はないから、上がってくる警察官と絶対に鉢合わせるはずなのに……不審者はどこへ?

「それと、少し見て頂きたいものがあるのですが……」
「なんでしょうか」

妙な違和感を覚えつつ、ふとひとつの仮定が脳裏を掠める。もしかして消えた不審者が幽霊の類いだった、とか。しかし私に三成、正則までもが同じ人物を見ていたわけで、その線は些か弱い。まさかね、と変な妄想を打ち消していると、警察がこちらを、と私の部屋の前を指差した。

「……っ!」
「これ、は」

三成と一緒に自分の部屋の前に立って、異様な光景に一歩後退る。インターフォンのボタンがどう使えばこんなふうになるんだ、と聞きたくなるほどにボタン部分が中へとめり込み、ドアノブは異様な変色を見せている、更にドアノブの周囲に爪で引っ掻いたような筋が何百と付いていて、言葉が出ない。

いたずらにしては度が過ぎている。

「念のため、この近辺のパトロールを強化します、深夜の一人歩きは避けて気になることがありましたらすぐにお電話を」
「……は、い」

簡単な調書を取って、警察は帰った。気が付けば正則も出て来ていて、私の部屋のドアを見るなり絶句。あの短時間でこんな風になるものなの?怖いし気持ち悪いし、どうしたらいいの。

「……なまえ、しばらく俺の部屋で過ごせ」
「三成……」
「こんなものを見て、そうやすやすと一人にさせられるわけがない」
「なんかあったら俺も呼べよな!喧嘩なら任せろ!」
「馬鹿が、傷害罪で余計面倒なことになるだろうが」

しばらく三人でその場に佇んでいた、私は三成の言葉に甘えて、いくつか私物を三成の部屋へと運び込み、しばらくお邪魔させて頂くことにした。三成の腕の中で安心感と不安感がせめぎ合う毎日。
結局犯人はわからずじまいで、そのうち引っ越そうかと悩んでいるところである。

20140528
20200421修正
※若干のフェイクと脚色をいれた実話。
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