徳川家康の娘として、少しでも一日でも早く父の目指す泰平なる天下が訪れるようにとわたしは戦場に立つ。父は猛反対をされましたが、同じような歳の稲ちゃんが頑張っているというのに、わたしだけ城でのほほんとしているわけにはいかない。
徳川の人間として成すべきことをするまで、だからわたしは戦場に立つのですと父に熱く語り尽くせば、渋々承諾して下さった。
ただし無理だけはしないでくれ、と切々と念を押す父に胸を張って全てわたしにお任せあれ、なんて答えてしまったことに対し、さすがに全ては言い過ぎたのかもしれないと今更になって後悔。
あぁ、後悔先に立たず、後の祭り。
「とと、徳川家御姫、なまえ殿とお見受け致す」
「え?あ!いい如何にも」
「御首、頂戴つかまつる!」
「げ!」
ガ チ で や ば い ! !
奇襲を掛けたまではよかった。
先陣を切らせてほしいと申し出て、父の猛反対を押し切りやってきた敵陣営。ついつい張り切り過ぎて突出し過ぎた。味方とはぐれ、敵の脇腹を突くはずが何をまかり間違えたのか、たった今わたしはひとり本陣を突いている。
敵大将との一騎打ち状態。
奇襲が当たり本陣には大将のみしかおらず、当の大将も混乱しひどく狼狽した様子だったのだが、いくら狼狽したといえど大将は大将。
さすがに勝ち目は薄いと見える、咄嗟に刀を構え直し踏み込むものの、大将以上に動揺しきったわたしの太刀筋は容易に見切られ、弾かれた。
相手の槍が迷いなく首筋を狙い、襲いくる。死を覚悟し、もうだめ、と目をつむり来たるべき衝撃に身を固くする。お父様、先立つ親不孝尚且つ不甲斐なき娘をお許し下さい!
「な、何奴!」
その時、敵大将が再びうろたえだしたかと思えば、ふわりと身体が掬い上げられるように宙に浮く。
恐る恐る目を開ければ、濃紺の忍装束に身を包み、顔の半分以上を面で覆った人。わたしを抱き上げたまま、ものすごい速さで軽々と城壁を飛び越えていた。
「ご無事か、姫」
「へぇ!?は、はい!」
……誰?
窮地を救ってもらい、姫と呼ばれたということは間違いなく徳川の人間でわたしを知っている、しかも城にいる人しかそうは呼ばない。だから徳川と何らかの繋がりがあれば、知らないはずはないのだけれど。例えば同盟国の相手方も、きちんと把握しているし。
侍女さんも兵士さんも、城の人達はみんな顔も名前もわかってる、でもこの人は初めて見た知らない人。
「ご無事で、何より」
「ご、ごめんなさい……あの、ありがとう」
「謝辞、無用」
物音ひとつ立てず降り立ったところは味方本陣、丁寧にまるで壊れ物でも扱うかのように優しく降ろされ、慌てお礼を述べる。
ああ、助かった。
今頃ほっ、として改めてよくお礼を言おうとしたところで、かの人は目の前で膝をつきそれを制した。
「なまえ!」
「お父さ……まぎゃ!?」
直後にごづっ、と鈍い音。
それに伴い脳天から雷でも喰らったのではないかと思うほどの激しい痛み、その場にうずくまりながら振り返れば、普段から温厚な父が鬼のような形相で仁王立ちしている。
「全くお前は……心配を掛けるでない!」
「す、すみませ!」
「傍に半蔵を控えさせておいて正解だった」
「はんぞう?」
まだずきずきと痛む脳天をしかと押さえながら、涙目のまま父を見上げる。聞き慣れない人の名前が飛び出し聞き返した。
服部半蔵、お前を助けた忍だ。あやつがおらんからったら今頃お前は。やれやれ寿命が縮む思いよ、と呆れながらもひどく安心したようにする父。
「服部、半蔵……忍がうちにいたなんてわたし知らない!」
「あぁ言っておらんからな」
「な、なにそれ」
「隠密が主な仕事だ、表舞台にはそう出てくることはないぞ、なまえには言ってなかったこともあるがほとんどの者は知らんだろう」
そうか、忍だったのか。
それならあの人間離れした俊敏さも頷ける、どうせならこれを機に仲良くできたらいいな。そう思い半蔵がいた方に向き直るが、すでに彼は消えていた。満足に礼も言わせてくれず、少し寂しい気もするがそれが忍なのだろう。
ぼんやりと思い出されるのは濃紺の忍装束に顔を半分以上覆う厳つい面、ちらりと見えた琥珀色の瞳と、固く結ばれた口許。
今度は菓子折り持って、きちんとお礼をさせてもらわなくては。父曰く、わたしが無事であったことが半蔵にとっても何よりなのだから、お前がそれ程気に病むことはないと。
それじゃあわたしの割に合わない、だからちゃんと逢ってお礼をするの。主だとか従者云々の前に、人としての礼儀は弁えるべきだから。
「よし!」
気合いを入れ直して性懲りもなく再び出陣するために、身なりを整えた。早く戦を終わらせ、半蔵を探して捕まえるために。
隠密プリンス
(なまえ、再度参る!)
(相変わらずの猪で困ったものよ……半蔵)
(御意、護衛仕る)
20100307
← / →