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ただいまー、と少し前の私だったら絶対に言わない単語を呟きながらドアを開けた。昔は一人暮らしで帰ってくれば当然のごとく暗かった部屋の中は今現在煌煌と明るい、春先といえど外の風はまだ冷たくて、室内はほっとする暖かさで満たされている。それから少しだけ香ばしい匂いがする。


「なまえさん、おかえりなさい」


キッチンからエプロン姿でゆったりと歩いて出迎えてくれたのは、ルームシェア……というか両親公認の元、居候を許した年下の幼馴染み、花宮真くんだ。


「ただいま真くん、もしかして夕飯の準備してくれてた?」
「今日は休講の講義があったので早く帰ってこれたんですよ、やることもなかったのでこういう時は食事の準備くらい俺が、って」


大学生の彼は時折こうして嬉しいことをしてくれる、かなりできた子だ。花宮家の教育の賜物だろうか。うちのユルッユルなお母さんに比べて真くんのお母さんは結構厳格な人だったもんね、厳しいってだけじゃないけれど。

スーツのジャケットを脱いで玄関のシューズクロークに仕舞い、私の出迎えからキッチンに戻る真くんの後を追うように部屋へ入る。ふと真くんの後ろ姿を見て、エプロン紐の蝶々結びが縦になってしまっているのに気が付いた。後ろ手で蝶々結びをするのって慣れないと難しいよね。
やってみるとわりとなんでもできちゃう真くんだけど、全部が全部完璧なわけじゃなくて、ほんの少し不器用なところが可愛いなあってつくづく思う。


「気を遣わなくていいのに、でもありがとう!」
「初めてグラタンを作ってみたんですが、少しだけ焦がしてしまって」


恥ずかしげに俯きつつ真くんははにかんだ、特徴のある眉が八の字に下がっている。

彼は私のマンションから電車で二駅ほどの大学に通っている。ちなみに二年生。一緒に暮らし始めたのは今春から、元々はもう少し離れたところのアパートに住んでいた真くんだが、酔っぱらいのタバコのポイ捨てによってアパートが全焼するという不幸に見舞われたのである。

深夜だったけれど異変に飛び起き、必要最低限のものをかき集めて避難。幸い怪我もなく自身は無事であったけれど生活するための必需品はあらかた燃えてしまい、住む場所もまた探さねばならなくなった。私だったら発狂するレヴェルである。アパート全焼のニュースはかなり大きな見出しで報道されていたせいか、うちのお母さんは慌てて真くんのお母さんに安否確認の連絡を入れたらしい。(元々実家が近所だったから仲がいいんだよね、お母さんたち)

そんな折に、海外転勤中だった私が帰国するということで、丁度私のマンションが真くんの大学の近くだったから、お母さんが勝手にいろいろと話を進めちゃったのである。この時点で確か帰国の3ヶ月前だったかな、お母さんは一人でどんどん先走っちゃって自ら率先して私のマンションを掃除して片付けて、水道や電気の再契約も済ませてくれちゃっていた。
更にはスペアキーも真くんに渡して、まだ私が帰国していないけど好きに使っててねなまえには伝えておくから大丈夫よ!と満面の笑みでのたまった、と後に苦笑いを携えた真くんから聞いて言いようのないやるせなさをひしひしと感じたのは言うまでもない。だってお母さんってば私に伝え忘れてるんだもの。ルームシェアがどうの、とエアメールはもらっていたけど、詳しいことは帰ってきてから知った。お母さんではなく真くんから。

帰国してひとまずマンションに寄ってドアを開けたら電気がついていて、リビングから優しい笑顔で「おかえりなさい」と知らない男性に言われたら驚きを通り越して呆然とする他に何ができようか。いや、今思い返せば知らない男性というのは多少の語弊があるけれど、あの時は真くんとものすごく久しぶりの再会だったから。全然わからなかったのだ。

玄関に突っ立ったまま動けずにいた私に、眉尻を下げて真くんは改めて自己紹介と、この状況の説明を順を追ってしてくれた。次第に古い記憶が鮮明に蘇ってくるのと同時に、ほんの僅かな違和感を感じたのだが、それはきっと真くんが身長も伸びたしバスケをやっていたと聞いたので、筋肉質な体つきになったせいだろうと解釈。

子どものころの真くんはそれはそれは可愛らしい子どもだった、小学校に上がる前までは女の子のようだった記憶がある。可愛い可愛いと言いすぎてふてくされるその表情もまた何とも言えず可愛かったのだから。

そんな彼がこんなにもたくましく、なおかつイケメンに育っていてしかもめちゃくちゃ好青年、これはモテないはずがない!彼女の一人や二人(や、浮気やら二股はどうかと思うけど)いるのではなかろうか、いくら幼馴染とはいえ異性とのルームシェアは、もしも彼女がいたら真くんにもそうだが相手にも申し訳ない。

そんなようなことを少しぽろりと零せば真くんはちょっぴり悲しそうな表情で「……いえ、本当に全然モテないですよ、彼女とかいたこともないですし」って。あ、いや、ごめんねなんだろうデリカシーなくてごめんね!真くんのようなイケメンでなんでもこなしちゃう男性を放っておくなんて世の中の女の子は一体何を見ているというのだろう。はい、回想終わり。


「なまえさんに焦がしたものを出すわけにはいかないので、夕飯は少し待っていてもらえますか?申し訳ないのですが何か惣菜買ってきます」


ふと我に返ると、しゅん、と眉尻を下げたまま真くんはエプロンを外して財布とスマフォを手に玄関へと足を向けている。焦がしたっていってもそんなに焦げ臭くはなかったし、ちょっと待ってと咄嗟に真くんの服の裾を捕まえる。セミオープンキッチンのカウンターに、オーブンレンジから取り出された二つのグラタン皿を見ると、チーズが僅かにこんがりしすぎているグラタンがあった。

なんだ、全然食べられる範囲じゃないか。


「大丈夫だよ真くん、すっごく美味しそう!それに私ちょっと焼きすぎくらいの方が好きだよ」
「ですが……」
「せっかく真くんが作ってくれたのにもったいないよ、私もうおなか空きすぎて我慢できないし、食べよ食べよ!」
「……はい!」


裾を引いて真くんの行く先を室内に戻す、しょげた表情から一変して嬉しそうにはにかんだ彼を見て私もつられて口角が上がる。手を洗ってから食べるまでの残りの準備をして、向かい合わせで席についた。いただきます、と声をそろえてグラタンにスプーンを入れ、一口分にすくったグラタンを口に運んでもくもくゆっくり咀嚼する。あ、美味しい。ホワイトソースがすごい滑らかで時間をかけたであろうことが窺える。じい、とまっすぐ見つめてくる真くんに「とっても美味しい!」と少し大袈裟に言えば、それはそれは嬉しそうにしてくれる。

なまえさんが作ったものには到底及びませんけれど、とこっちまで嬉しくなることもすかさず言ってのける真くんはだいぶできすぎている。あえてもう一度言おう、世の中の女の子は一体どこを見ているんだろう、真くんを放置とかきっと頭沸いてる、ご愁傷様。


「あー美味しかったあ」
「よかった、次は絶対成功させてみせますよ」
「うん、楽しみにしてる!」
「風呂の準備もできてます、先にどうぞ」
「ありがと、じゃあお言葉に甘えて」


お風呂を勧めてくる真くんはきっと私が入っている間に後片付けもしておいてくれるんだろうな、一緒に暮らしてるんだし持ちつ持たれつってことでお互い納得してるから、内心悪いと思いつつも感謝をして遠慮なく席を立つ。ココア、入れておきますね。と嫌味もなく押しつけがましくもなくさり気ない気遣いができる真くんはもはやジェントルマン。

真くんを気にかけない世の中の女子たちは、以下略。湯船につかると仕事の疲れもあっという間に和らいでいく、ああ、極楽極楽。お風呂から上がれば大好きなあったかいココアが待っているんだと思うと自然と頬が緩くなる。また明日もがんばろう。

20150609
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