WJ | ナノ

日本からエアメールが届いたのは帰国するひと月前のことだった。

私の勤務する会社は海外にも進出展開していて欧州支部が立ち上がったばかりの頃、支部長補佐として転勤。立ち上がり当初はやることが本当に山のようにあって、マニュアルも全くないほとんど真っさらな状態から人や企画や全ての物事を動かしていかなければならなかった。とにかく毎日走り回ってバタバタしていたから自分のことで精一杯だったし、故郷のことも頭のずっとずっと隅っこに追いやってしまっていたんだ。

そんな激務の毎日だったものだから、恋愛なんて当然できる余裕もなく、なんとなく流れで付き合った現地の人とも2、3度食事に行っただけ、軽いハグとキス程度でそれ以上進展することもなく、しばらくして自然消滅。

なんの未練もなかった、だって私が一番に優先すべきことは目の前の仕事であって、仕事のために海を渡ったのだから、当然。受け持った支店が軌道に乗るまでは、激動の毎日だったと思う。徹夜や会社に泊まり込むこともザラで今思えばよくあんな無茶ができたものだと当時の自分に尊敬すら覚える。
きっと必死だったから、きつかったけれど何より仕事が好きだったから。


「Hallo,ah ja……Danke……Auf jeden Fall!ja……Tscheus!」


だからこっちでの仕事がひと段落して、本社に戻ってくるようにっていう通達を受けた時はものすごい達成感があって、同時にここを離れるのが少し寂しいような気もしていた。新しい支部長を任命して、仮置きだった支部長と支部長補佐の私は日本に帰る支度を黙々としつつ、最後のヤマを片付けていた。

会社から支給されたスマフォが鳴ることも随分と少なくなり、時折、現地でできた後輩や取引先の人が何人か別れを惜しむ電話をくれる。プライベートのスマフォは大して使わなかったなあ。

激務だった時のことを振り返りつつ、今日分の業務を終えて帰宅するとポストに一通の封筒。差出人は母親だ、日本に帰る旨を簡単にメールで送っておいたから、趣向を凝らせてわざわざエアメールをくれたんだろう。今の時代、どんなに遠くにいても大抵電話やメールで簡単に連絡が取れてしまうから、手紙なんて時間もお金もかかる手段は次第に使われなくなってきている傾向にある。

とは言えもらえるのであれば喜ばない人はそうそういない、ちょっとした母親の心遣いに感謝しつつ、風を開ければ相変わらずの文面が目に痛い。

ご飯は?体調は?ムリしちゃだめよ、そんな母親らしい小言から一変して帰国を楽しみにしている、そう綴られていて詳しい日程が決まれば連絡を、と続いていた。なんだかんだ言って、小言でも手書きのものって結構嬉しい。母親の字体は温かみが感じられるような丸みがある。

そして文末、追伸に、ルームシェアを頼みます。と綴られていた。なんのこっちゃ。よくよく考え、ルームシェアってあのルームシェア?共同生活?テラハウスのようなあれ、だよね。

頼みますと言われても、一体誰と?

母親はいつだって唐突、肝心なところをすっぽ抜かして先へ先へと猛進する。まあいいか、帰国するまでまだ時間はある、そのうち電話かメールで聞いてみればいい。私は止めていた支度の手を再び動かして、また黙々と作業を開始した。

『なまえ』

薄らと脳裏を掠めたキーの高い懐かしい声、いや、まさかそんなはずはないだろう。年下の幼馴染を思い出して、あり得ないと独り頭を振る。

……元気に、しているだろうか。

20150609
← / 

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -