そろそろ潮時だと思うんだ。
しばらくの間連れ添った彼がそう言ったのと、あたしの張り手が、窓のそとに伺える秋晴れの空にぴったりともいえる綺麗な紅葉を彼の頬に咲かせたのは、ほぼ同時だった。そろそろ、なんて彼の中ではとっくにこの関係終わらせていたくせに。
白々しいにもほどがある。呆然とする彼をひと睨みし、テーブルにあった伝票を掴みカウンターへ五千円をたたき付けるようにして喫茶店を出た。もう二度とあの喫茶店には行かない。
あぁ、いらいらする、いつかこうなるとわかっていたのにずるずると付き合い続けた自分自身に腹が立つ。度重なる浮気、ばれる度に頭を下げられもうしないから、一番は君だけなんて台詞を何回繰り返されたのだろう。結局は浮気相手を孕ませてデキ婚するってことを、あたしは彼からではなく会社の後輩から聞かされた。相手は社内でも眉目秀麗で有名な社長秘書。(あたしと彼は会社の同僚なのだ)
最低の一言に尽きる。
見目もいい、経済力もあって人の温和な性格だが、欠点をあげるとすれば優柔不断で誰にでも優し過ぎるところ。それが災いしてか、勘違いちゃん(いや、もしかしたら確信犯ちゃんかもしれない)が寄ってきては断りきれない彼の性格上、いいように掌の上を踊らされる。
自分ではリアリストだと豪語するが惚れっぽくて、少々女に対して夢想的なのもいけない。客観的に見れば彼もダメ男の一種じゃないか。最低、自分の男を見る目のなさに呆れる。マンションに帰りバッグを投げ捨てそのまま寝室のベッドに沈む、カーテンを閉めきった部屋は薄暗く午後の陽射しがゆるゆるとカーテンの隙間から差し込んでいる。
久しぶりの約束だった。
なかなかお互い仕事が忙しくて予定が合わず、やっと空いた土曜日の今日。彼からのお誘いでやってきたのがさっきまでいたあの喫茶店。奢るから、と進められたメニューを受け取り、はたと気付く。
彼は一向にあたしの目を見ようとしない、とりあえずと頼んだランチを食べ終わり食後のコーヒーを啜っていた時に彼が切り出し、同時にあたしも彼を見限った。(そして結局ランチ代を精算したのはあたし)
限界はとうに超えていたがあたしにはどうも、自分の感情を溜め込むくせがあったらしい、今まで目をつむってきた彼の行動だがあの一言が引き金となったようだ。
「……もう何も話すことなんかないっての」
帰ってきてから何度も鳴り続ける聞き慣れた携帯の着信音、ディスプレイに表示されているのはもちろん彼の番号。言い訳も声も聞きたくない、着信音がやむとすぐに電源を落としてバスルームへ向かい、纏わり付く全てのものを落とすかの如く熱いシャワーを頭から被った。
死んだように寝ていた日曜日はあっという間に過ぎ去り、週明け。否が応でも彼と顔を会わせなければならない、同じ部署の同僚ともなるとため息すら出てこなくなるほど憂鬱だ。
会社のエントランスを早足で過ぎ去りいつものように、受付嬢に軽く会釈。閉まりかけているエレベーターに飛び込み、乗って初めて乗らなければよかった、と心底後悔した。
「お、おはよう!」
ぎこちない笑顔を向ける彼。
気まずいのはお互い様、あしらうようにおはよう、と返しそこで会話は途切れた。端から挨拶だってする気もなかったのにまさかこんなところで会うなんて。横目で彼を盗み見れば必死で話題を探しているのか、慌てふためく様子がひどく滑稽に見える。そろそろ職場の階に着く、あたしはエレベーターの最上階ボタンを押し扉が開くのと同時に彼に向き直った。
「どうぞお幸せに」
「えっ」
取ってつけたような笑みを全面に押し出し厭味のつもりで言ってやった。今までに出したことないような声のトーンに自分でも驚いたが、彼の方がもっと驚いていたようで、目を見開いたまま固まっている。そうこうしているうちに彼を乗せたままエレベーターの扉は閉まり、階表示のランプが最上階へ向けて上昇していく。小学生並みのいやがらせだ、何事もなかったかのように自分のデスクにつけば、正面の張コウと目が合った。
「おはようございます、なまえ」
「おはよ」
「やはり今日は華やかさが足りませんね」
「別れたの、知ってるでしょ?」
派手な別れ方をしたのだ、誰が見ていてもおかしくないような喫茶店で。あたしと彼の交際は社内でも悪い意味で有名だったし、きっと誰もが破局を知っている。張コウが、あのような美しくない方とは別れて当然です!と彼を非難してくれたお陰で朝から嫌な気分だったのが少しだけ晴れた気がした。
「ついに別れたそうだな!ふはは!」
しかしせっかく晴れた気分も割り込んできた人物によって、またもやどんよりと雲行き。こいつに言われると腹が立つし何より高笑いが耳障り。
「司馬懿殿!美しくありません!」
「そーよ、彼女すらいないあんたに言われたくない」
「い、いないのではなく意図して作らないだけだ!馬鹿め!」
司馬懿はひどく動揺しながらも憤慨したように、バシッとデスクに何かをたたき付けすぐに背を向けると自分のデスクへと引っ込んだ。たたき付けられたのは小さなメモで部長からのものだ。出勤次第、俺のところへこいですって。なんだろ?
「ヘッドハンティング?」
「あぁ、要は引き抜きだ」
「あたしをですか?」
何故また急に、目の前にいる夏侯惇部長に疑念の目を向ければ彼もまたお手上げだとでもいうように肩を竦めた。何でも、別の部署の部長があたしにどうしても来てほしいと夏侯惇部長に懇願していたらしい。あたしとしては一向に構わない、別れた彼と顔を合わせなくて済むかと思うと進んでお願いしたいところ。
「で、お前の意見を聞きたいんだが」
「まあ、構いませんが」
「ならばすぐにでも移動願えますかな」
全く聞き慣れない声が背後からかかり同時に肩へと僅かな重み、そこには筋張った手が乗せられていて、辿って顔を見れば見知らぬ人。色素の薄い髪、切れ長の目、整えられた顎髭と末端がくるりとカール掛かった口元のカイゼル髭。
誰?と首を傾げる間もなく、夏侯惇部長が呆れたように口を開いた。
「なんだ張遼、わざわざ来たのか」
「せっかくの才をこのような場所で埋もれさせるのは勿体ない、と」
「厭味かお前」
俺は構わん、本人も承諾済みだから好きに連れてけ。夏侯惇部長は、張遼と呼ばれた人に惜しみもなくあたしを差し出した。今、出来ることならあたしは未だ肩に置かれている手を振り払って自分のデスクに戻りたい。(あ、今はもうすでに元デスクか)顔は見たことなどなかった、ただ話というか噂だけは聞いていた。
泣く子も黙る部署の鬼。
あたしはとんでもない人の部下になることを承諾してしまったようだ。仲間を誰ひとりとして従えずに、鬼ヶ島へ行ってしまった桃太郎になった気分。
や、別に鬼退治に行くわけじゃないんだけども。
「ではなまえ、私の下でいい仕事をすること期待している」
「いや、あの、あたし……」
「夏侯惇殿、もはや取り消しはなしですぞ」
夏侯惇部長はひらひらと手を振っているだけ、張遼さんは口角を吊り上げて笑うとあたしの肩を包むようにして歩き始めた。(こうなると否が応でも歩かざるを得ない)
動悸と息切れがするのは、決して張遼さんとの距離が近すぎるとかではなくて初めての部署移動だから、緊張しているのだと何度も自分に言い聞かせた。
求愛ヘッドハンター(いい仕事、が全然違う意味に聞こえたのは気のせいだと信じたい)______________
ずっとぶんえんのターン!あの子限定、ヘッドハンター遼来来、文遠はずっと付け狙っておりました、今か今かと虎視眈々とチャンスを!そして見えたゴーサイン(ヒー!)彼氏と別れた今が攻め時張文遠 い ざ、参 る !
20091129
20151113修正
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