確かに文若殿は優れた方です、尊敬するに相応しい人というのは重々承知しています。彼の人を見抜く比類なき慧眼、やることなすこと全てにおいて彼に頼れば間違いはありません。
ですが、それとこれとでは話が全然違うということが、あなたにわかりますか?わかりますよね。
「じゅ、んゆ、様……?」
怯えたように揺れる瞳、その中に映る自分もまた同じように怯えたような表情だった。
「なまえ、あなたは俺に好きだと言ってくれましたよね、あれは嘘だったんですか?」
「ち、ちが……!あの荀攸さ」
「なまえ、俺と文若殿、どちらを選ぶんですか?ここではっきりして頂きたいですね」
いくら語調を強めてきつく睨みつけてみても、なまえの肩を掴む己の手は情けなく震えている。
怖かったんだ、なまえが俺ではない誰かを選んで、俺を捨てて何処かへ行ってしまうのが、何よりも恐ろしかった。
何かに執着することなど今まで一度もなかった、今もこれから先もないだろうと信じて疑わなかった。それに良くも悪くも自分にこんな薄暗く淀んだ感情があったと知ったことにも驚きを禁じえなかった。
絶対に手放したくない誰にも渡したくない、いっそこのまま誰の目にも触れないようなところへ隠してしまいたいとさえ考えたほどだ。
なまえの返事も待たず掴んでいた肩を力任せに引き寄せ唇を塞いだ、柔らかくて甘い、鼻から抜けるような吐息を漏らしなまえが呻く。
「荀攸様、っん、待っ、んう」
言葉を紡ぐ隙を与えず何度も角度を変えながら貪るように口付ける、抗議にと口を開いたところへすかさず舌をねじ込み逃げようとするなまえの舌に己の舌を押し付け絡ませた。
これは醜い嫉妬だ。
なまえが文若殿と楽しげに談笑していただけでこうも醜く恥ずべき感情が思考をおかしくさせる、表に出すべきではないとわかっていながらもなまえを独り占めしたい欲を抑えることができなかった。軍師としても男としても己の器の小ささに辟易する。
「荀攸様ってば!何を考えてるのかちょっとよくわからないですけど選ぶも何もこのなまえは最初から荀攸様のものですよ!」
もう!と息切れしながらもひと息で声を張り上げたなまえが温かく柔らかな手のひらが俺の両頬を包む、ひどく醜い顔の男がなまえの瞳に映り込み、思わず視線を逸らしそうになるが、なまえは決してそれを良しとはしなかった。
「私には荀攸様しかいないんですから、変に気を揉まないでください」
仕返しだとでもいうようになまえからそっと優しい唇が届く、彼女が優しいのは重々承知の上だが今はそれだけでは足りない。我儘で強欲で身勝手な俺をどうか受け入れて欲しい。
「今夜はずっと、いえ、これからもずっとそばにいてください」
「荀攸様こそ私のこと捨てたりしたら末代まで怨みますからね」
例え生まれ変わっても必ず見つけて見せましょう。
20200420
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