short | ナノ
だらりごろり、木々の枝の隙間から溢れる春特有の柔らかい日差しを浴びながら微睡む。流浪の身でその日暮らしだった私はついこの間声を掛けられ仕官を決めた。

ただ、今し方綺麗にまとめ、便宜上決めたとは言ったがほとんど私の意思などまるっと無視され半ば強制のような形であったこともあり、本音を言えば誠に遺憾である。

面倒ごとは嫌いだ、誰かのために命を張れるような気概もない、できれば死なない程度に腹を満たし、日がな一日ごろごろだらだらしていたい。

誰かのため、ましてやこの世の安寧のためなどと大きすぎる夢物語を囀る嘴は持ち合わせていない。至高の武、最強の武とかそういう暑苦しいのも御免被る、乱れた世に理を敷くやら仁の世やら正直どうでもいい。藪をつついて出てくるのは面倒と後悔だと相場が決まっている、戦があれば避けて通りその日を凌ぐのにどうしても困った時にだけこっそりバレない程度に兵糧をくすねる。

戦禍を遠巻きに巻き込まれないよう戦況を見定めながら移動、ごくたまに兵糧庫からとんでもない代物を見つけることもあるが、そういったものは足が付く確率が非常に高くなるため絶対に手を出さないよう心掛けている。

そうやって平和にのんびり生きてきたはずだったのに私の安寧はいとも容易く、呆気なく崩れ去っていった。それもこれもどれもいけすかない魏の軍師の一角、荀攸というやつのせいだ。

とある大きな戦、手薄な兵糧庫を見つけて嬉々として忍び込んだところ、そこは敵が兵糧を狙うようにとわざと手薄と見せかけていた罠、兵糧庫に見せかけた伏兵うじゃうじゃの拠点だったのである。

一生の不覚、どちらの軍にも所属していない流浪の身であった私はあっさり捕虜になったというわけ。そうだ、声を掛けられたというのは捕虜になってからであり、実を言うとヘマをして捕まった流れでこうなった。

……面倒な執務を半分終わらせ、半分は適当な誰かのところにさっさと流し忍ばせて今日の分はことなきを得た、あのくらいであれば多分バレない。そそくさ執務用の小部屋を後にして城の裏手の奥まった小さな庭の隅へと辿り着く、ここは最近見つけた最良の怠け場所、捕虜の私は緩くはあるものの見張りが常に近くで目を光らせている。

もちろん怠けていないかとも。すり抜けるのは得意だ、今でそうやって生きてきたのだから、それが私の誇りだったというのに。

捕まったあの時の澄ました軍師の顔が今も脳裏に焼き付いてはなれない、なんでもないとすかしたような無表情、造作もなく捕まえた私に何を言うでもなくめんどくさそうに吐き付けたため息、それは自尊心をずたずたにするにはじゅうぶん過ぎるものだった。

嘲り笑われた方が断然マシ、思い出すだけでもあの無表情に飛び蹴りでも入れてやりたくなるくらいには苛立っている。あの時一発でも見舞っておけばよかったんだ、捕まったことと、うっかりとはいえ自分の失態に自我を喪失してしまったことが悔やまれる。

ああいやだいやだ、私はそんな苦々しい思い出に浸るためにここへ赴いたわけではないのだ、ままならない世の中から心だけでも穏やかにだらだらしに来たのだ。小憎たらしい軍師のことなんて思い出してやる義理は微塵もない、さっさと思考から追い出しぬくぬくうたた寝を「何をしているんですか」したかったのに聞きたくない声が耳につく。次いで薄らと隈が居座る眠たげな双眼と目線が合った。

あーあーあー聞こえない聞こえない私はなんにも聞いてません、なんにも見ておりません。どうせ怠けている私を目敏く見つけて叱るやらなじるやらしに来たのだろう。きっとそうだ間違いない、軍師っていう生き物は人の嫌がることをして生き甲斐を見出しほくそ笑むような外道なのだ。そんなやつの思い通りにさせてなどなるものか。

ふと頭上に差した影に反応して視線を上げてしまったけれど、全てをまるっと無視して目を閉じてやった。すやあ。これが今私にできるあいつへの全力の抵抗、人生ままならないことを思い知れ!

反抗すればきっといつか使い物にならないと見なされて追放扱いになるかもしれない、そうなれば願ったり叶ったりだ。処刑されないとも限らないけれど、またその時はその時。

目を閉じて相手との会話を拒否したものの向こうも全く動く気配を見せず膠着状態のようだ、特にお叱りが飛んでくる様子もなく第一声以来何も言わない軍師、荀攸はじっと私を見下ろしているらしい。

なんだか気味が悪いな、でも何があっても動くものか、若干の居辛さを感じながらそれでも負けじと無視を決め込む。

「隣、失礼」
「はあ!?」

動かないって決めたのに。
微かに衣擦れの音がして動いたのを確認すると、間髪いれずに荀攸は私の寝転んでいる隣に腰掛けた。思わず飛び起きて抗議まじりの声を上げてしまった。なんだろう負けた気分。

「何か?」
「何か?じゃないんだけどこっちが聞きたいわ!何してんの!?」
「何、とは」
「疑問で返されても困るんだけど」

今日も鉄壁の無表情、殴ってみてもいい?衝動的に振り上げそうになる拳をなんとか諫め、嫌な顔を全力で作って見せても眉ひとつ動きやしない。むかつく。

ひと呼吸おいたところでそういえばとこぼしたのは荀攸だ。

「出どころ不明の竹簡が俺のところに紛れていまして」
「……」
「あなたなら知っているのでは、と探したところ執務室はもぬけの空」
「……」
「守備の薄いここを覗いてみたら丁度いいところにあなたを見つけた次第です」
「……」
「竹簡はあなたのところのものですね?」

全部お見通しだし、ここも私だけが知ってる秘密の場所だと思っていたのにこうもあっさり見つかるなんて。しかも言われることがいちいち断定的、わかってても確認してくるのが嫌がらせかよと地味にいらいらする。言い返すにしてもはぐらかしたところで丸め込まれるのは百も承知、かと言って素直にそうだと答えるのも癪だ。

だったらだんまり攻撃しかない、子供じみてて大いに結構。ぷい、と顔ごと逸らして質問には答えてやらなかった。ふーんだ、困れ困れ。

相手がどんな顔をしているのか見られないのが残念だがきっと困っているに違いない、反抗することで多少なりともすっきりした。さてこの後はどうするべきか、と思案しかけたところで視界の端に何かがちらついて、口元を覆いそうな勢いで顎を掴まれた。こう、ガッと。

「もう一度だけ聞きます」

ゆっくりと、それでいてものすごい力でむりやり顔の向きを戻される、この軍師なかなか強いぞ。強制的に視線を合わせられ、据わった目が怖くて情けないことのに「ひぅ……」喉の奥から出たことのない音が漏れ出てしまった、次に歯向かったらわりとやばいのかもしれない。

「竹簡は、あなたがやるべきもの、そうですね?」
「……ひゃい」
「他に言うことは?」
「……ごえんなひゃい」

顎全体を掴まれているせいでうまくしゃべれない、それでも謝らなければ間違いなく恐ろしいことになる。久しぶりに言い知れぬ恐怖心と対峙した気がする、ほんと怖かった。

軍師ってやつはやっぱり怖い生き物だった、いけしゃあしゃあとしていた自分に後悔する。すり抜けるのが誇りだと言ったがあれは嘘だ、嘘になってしまった撤回します。私実は世渡り上手なんだ、謝ったもん勝ち、長いものには巻かれましょう。

荀攸は私が謝ったのを聞くとパッと手を離して何故かすぐに頭を下げている、やだ今度は何。

「捕虜とはいえ女性に手を上げるのはよくありませんでした、申し訳ありません」
「え、ええ……?」
「ですがここにいる限り職務の怠慢は看過できません、きちんと取り組むことをお勧めします、さもなくば……」
「ひい!だ、大丈夫だよもう怠けない!ちゃんとやるから!」
「本当ですね?」
「ほんとにちゃんとやるって約束する!」
「わかって頂けたようでよかったです」

さて、と言いながら荀攸は立ち上がりながら私に手を差し出している。流れで差し出された手を取ろうとしてすぐに引っ込めようとした、そうだ待てもしかしたらまた何か企んでいるかもしれない。

「う、わ」

そんな疑いをも見越したらしい荀攸は私が引っ込め掛けた手を素早くさらうと自分の方へ引き寄せ、勢いのまま荀攸に突っ込んでしまいそうになるけれどすんでのところで踏みとどまる。私、そういう展開望んでいませんので。

「では行きましょうか」
「……は?」

荀攸は私の手を掴んだまますたすたとどこかへ向かって歩きだした。

「ど、どこ行くの?」

連れて行かれる理由がわからない、それに行き先もわからない。恐る恐る尋ねれば荀攸はさも当たり前だと言う口ぶりで俺の執務室ですが、と答えた。いやだから私そういう展開望んでいませんので。

「え、なんでやだ!」
「また怠けられても困ります、よって俺が見張りながら政務を行えば万事解決」

掴まれた手はしっかりと握り込まれて振り払おうにもむだな労力を費やすだけだった、見た通りごつごつしてて男の人の手だなあって……いや待て悠長に観察している場合ではない。

「きちんとやると言ったのはあなたです」
「言ったけど見張り付きなんて言ってなかった!」
「ええ言ってませんからね」
「ずるい!」
「なんとでもどうぞ」

ずるずると引きずられるようにして荀攸の執務室に軟禁、しばらく滞りなく執務を終わらせる頃にはお小言に対しての反撃どころの話ではなかった。地味な作業ほど疲れるものはない、それを毎日毎日黙ってこなしていく人たちはきっとまともな精神力じゃないよね。すごく褒めてる。

「……はあ、疲れた」
「お疲れさまです」
「すごいね荀攸って」
「……は?」

お、珍しいものを見た。目を見開いて驚いてるみたい、仏頂面がほんの少し揺れた。だってすごいよ、こんな地道な大変な作業をずっとやってるんだもん、私には到底むり。

「毎日の積み重ね、慣れです」
「やっぱり軍師殿って人間じゃないや」
「どういう意味ですか」
「そのまんまだよ」
「心外です」

なあんだ、なんの面白味もない堅物だとばかり思っていたけど結構いろんな表情持ってるじゃないの。面倒事は嫌いだけどもう少しだけ彼のことを調べて、ほんの少しくらいなら彼のために働いてみてもいいかな。

20200326
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